第203話 謎の炎球
「精霊よ我が金を奉じ『塩』『灰』『鶏冠』を偽り、青と結びし赤き気を支えたまへ、求むるは静寂に盛る炎なり」
イタゥリムが詠唱を口にする。その次の瞬間、曇天の空に8枚の花弁を携えた桃色が咲く。
「おおー」
凄い。かなり綺麗だ。まるで空に絵を描いたよう。
「あっ」
しかし十数秒後、絵の輪郭に僅かなブレが出はじめる。そしてそれは伝染するように、大空に咲いた大輪に揺らめきを生み出す。
そして、しばらくするとそれは完全なる炎と化してしまった。
「あー、だめぇ! やっぱり持たなかった!」
そしてイタゥリムの集中が切れると同時にそれは霧散してしまった。
「凄い凄い! 花が咲いた! もう完成しているじゃないか!」
「ああ! さっすがイタゥリムさん! 紅等生2位の実力は伊達じゃないぜ!」
拍手を送ってきたのは同じグループの紅等生の子たち。彼らも気になっていたのか、この場に全員が集結していた。
「うるさいわよ! 交流会の結果次第で1位はあるんだから! てか、こんなのじゃ全然ダメ……どうしても炎を維持できない」
実際試験でこれを見せたとしたら、おそらく合格は貰えるだろう。だって「火で絵を描いて空に打ち上げる」という最初に聞いた星火魔法の要項には合致しているのだから。
だが十数秒持たないとあれば、合格以上の判定は難しい。きっと上には上がいる。
(うーん、これは繋ぎが悪いねぇ。もともとの魔法の形を意識しすぎかな?)
(はぁ)
もともと別々の魔法を組み合わせて星火魔法の形にするわけだが、勿論組み方が悪ければ望む効果は発動しない。均等に魔力を分散させることが難しくなるのだ。
(これはアレだね、『詠唱』って魔法発動の手順が悪い働きをしてると思う。だって、魔法術式を組み上げる前に形式ばった南大陸語を頑張ってこねくり回さないといけないワケだし)
(いやそうは言っても、魔法術式なんてあんなわけわからんもんを素で活用してるのってお前だけじゃん。普通の人間には無理だよ)
(そうかなぁ……言語を媒介にしてるだけで、結局は一緒だと思うんだけど)
天才に凡人の感覚を共有するのは難しい。
普通、言語という道具があるだけで取っつきやすくなるもんだよ。その証拠に俺でも詠唱を
「ねぇ、どう? 魔女の秘書やってるあなたなら学生基準の魔法なんて慣れたものでしょ? 何かアドバイスちょうだい」
「えっ、えーっと……つ、繋ぎの部分が甘いというか、杜撰というか?」
「ああもうっ! そんなことは自分でも分かってんのよ! どう杜撰なのか言ってくれたら改善に繋げられるのに!」
結局俺は役立たずだった。しかしリアに改善案を聞いても、「もうちょっと、惜しいところまで出来てるんだから自分で完成させたほうがいいよ」と答えを教えてくれなかった。
「ほら、男共は何かないの!?」
「申し訳ない……」
「僕らはそれぞれの魔法の行使にいっぱいいっぱいなんだ」
イタゥリムは授業が始まる前から教わる魔法を習得していた。どうだ、ウチのお嬢は超優秀なのだ。
そういえば、他の班はどうなってるんだろうか。疑問に思って、俺はぐるりとあたりを見回す。するとその結果、同じ演習場内に『月』と『渦巻』のグループを発見した。
『花』とリューロイ様の姿は……ない。もはや前日の練習すら不必要ということかな。
「ちなみにふたりはどう?」
俺に出来ることは何もないので、ここ数日ずっと真剣に授業を聞いていたアトリとスティアの様子を見てみる。
「わたしはこれくらいかな」
「うおっ」
アトリは空中に花を浮かべてみせた。その高度は十分に高く、綺麗に維持も出来ている。……が、肝心の色が橙一色だ。
「あのね、色を変える部分がよくわからなくて……詠唱も覚えたんだけど、上手くいかないの」
「そうか……それでも凄いな」
紅等生の中でも色を付けられない生徒の声はボチボチ聞こえてくる。これまでの教育をまったく受けてこなかったアトリが授業を受けただけでこのレベルなのはとても凄いことなのではないだろうか。
いや、リア開発の光魔法をスキル化させている時点で、彼女はもしかすると彼らよりずっと優れているということも?
「それでスティアは?」
「あ、いえ、わたくしは」
「あっ、すまん。そうだった……」
スティアは魔法が使えない。それはこの場で設けられた制限ではなく、そういう
俺ってばそれを忘れて彼女に窮屈な思いをさせてしまったかな。
「ごめんな」
「いえ、別に大丈夫ですよ。それより、『いつかわたくしの魔法もみてください』とリアさんにお伝えください」
「ああ、うん」
勿論それは伝えるまでもなくリアに届いている。
(もちろんだよスティア! はぁ、スティア奥ゆかしくてすてき……)
そして、愛に震えていた。まあそれは内側だけで勝手にやってもろて。
「みんな大詰めって感じだな。俺たちは出来るだけ邪魔をしないよう──」
アトリたちと話して少し気分を和ませる。その次の瞬間、事件は起きた。
『ごめんなさいっ!』
声が聞こえた。それが誰のものかを判断する余裕もなく、俺はふたりを後ろへ隠すように前へ出る。すると、今の状況がはっきりとわかった。
炎だ。バスケットボール大の炎が
俺はとっさに大量の魔力を注ぎ、広範囲に分厚い障壁を貼った。
「ふたりとも大丈夫か!?」
「う、うん……びっくりしたぁぁぁ」
「大丈夫です。しっかり守っていただきました」
反応が間に合ってよかった。ふたりとも怪我ひとつない。
しかし、あの『声』がなかったら今頃……考えたくもないな。
(ミナト、あの時の声ってさ、エステモちゃんだよね?)
(ああ……いったい何が?)
そして考える余裕が出たことで、例の声の正体もわかった。ただ何がどうして、炎球が飛んでくるに至ったのかは不明だ。
ああ、こんなことが起きるとわかっていたら、もっと早くから警戒をしていたのに。でも、まさかこんな貴族もいる場所で狙撃されるって思わないじゃん。
(エステモ……いったい何があったんだ?)
とにかく、今は聴覚に集中して情報を集めないと……。
すると、聞こえてくる聞こえてくる。
『あら何ともないみたい? あなた、手を抜いたのではなくて?』
『あ、当たり前です! 人に向けて魔法を撃つだなんて……そんなこと、しちゃいけないんです……』
捉えたエステモの声と交わるもうひとつの声。エミユン様だ。またヤツが絡んでいた。
会話の内容的に、先ほどの魔法自体はエステモがやったということで間違いはないらしい。ただ、どうやら手を抜いていたようで、確かにあれほどの火炎が迫ってきたにもかかわらず全く熱くなかった……気がする。
どういう力関係なのか知らないが、エミユン様にやらされたことなのは確実だ。
「ヒマワリ! 大丈夫なのアンタ!?」
「ああ、お嬢さまですか」
流石に火炎が飛んで気づかぬ者はいない。イタゥリムもその周りにいた者も、一斉にこっちへ集まってきた。
「私たちはこの通り、なにも問題はありませんよ」
「本当なのね!? よく確認しなさい!」
「大丈夫ですって!」
イタゥリムの様子は必死だった。いくら何でも心配し過ぎじゃないかってくらい。
「やったのは誰!?」
彼女は俺の顔と、火の玉が飛んできたであろう方向を交互に睨む。
……ここでエステモやエミユン様の名前を出すことは躊躇われる。確かに俺たちは彼女たちの声を聞いたけれど、普通の純人にそんなことは不可能で、さらに「聞こえてきた声」なんて証拠は何のアテにもならないからだ。
「わかりません」
「……そう。なら、先生に掛け合って、調査をしてもらいましょう。今、あの方角にいるヤツらが皆容疑者よ!」
「ちょっ! お嬢さま!?」
ヤバい、イタゥリムの奴ブチ切れてないか!?
確かに炎撃ち込まれた状況はそれ自体とんでもない事件だが、今は一分一秒が貴重な時じゃないのか!? いや、まさかそういう作戦か?
考えすぎかもしれない。しかし俺はあのエミユン様がイタゥリムを陥れるためならそんなまわりくどい行動に出てもおかしくない人物だと思っている。
「お嬢さま、私はいいですから! 星火魔法の練習に戻りましょう! ね?」
「何言ってんのよアンタ! またやられたらどうするのよ!」
「その時はまた私が障壁で守りますから! そうだ! お嬢さまのことも私が警備します! だから練習しましょう!」
「この状況で練習練習って、意味わかんないわよ!?」
確かにあんなことがあった以上、俺の主張は厳しい。しかしイタゥリムにとって、こうして揉めている時間すら勿体ないことも事実だ。
どうにかして彼女には溜飲を下げてもらわねばならない。
「あの……」
頭を悩ます俺に、この騒動を作った原因のひとりは目の下を赤く腫らした状態で現れた。
「エステモ? なに? こんなときに」
「実は、その……さっきの炎球は、私が……」
「は?」
「わ、私が、やったの……星火のれんしゅう──を」
震えながらも何とか言葉を紡ぐエステモだったが、イタゥリムは容赦しなかった。
「ふっざけんな」
「うぅ……っぐぅぅぅ」
イタゥリムはまるで男同士の喧嘩のように、エステモの胸倉を掴んでその身体を持ち上げる。
「ちょっ! お嬢さま! い……っけません!」
「ぐっ……離しなさい!」
俺はいつかのように身体強化を強めて、彼女を止めに入る。
このままでは暴力事件に発展してしまう。ああ、もうこうなったらすべてを隠し通すのはむりだ。
「これには……っ! 理由が! あるのですっ! エステモ様を傷つけてはいけません!」
「理由!? 理由ってなに!?」
「……エミユン様です。ウチのスティアがその耳で情報を捉えていました。今回の裏には彼女が関わっています」
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