第196話 紺反生

「それでは今年も紅等生との合同授業を始めますよ。紺反こんたん生は見本となるよう励むように」


 ついに貴族学級との授業が始まった。講堂の壇上に立つ装いの整った中年男性はこの学級専属の教師らしい。


 ちなみに紺反こんたん生とは貴族学級の生徒のことを表す。元はアーガスト王家が仕える貴族へ送った紺色の生地が由来だそうな。


「ここから3日間、授業は紺反生と紅等生との混成で行います。まずは班に分かれましょう。組み合わせはこちらで作成済みなので、私の元へ確認に来るように」


 教師が指示を出すと一斉に生徒たちや、その付き人たちが動き始めた。


「じゃあアンタ行ってきて」

「わかりました」


 俺は教卓へ向かって歩き出す。こういった雑用はこっちの役割だ。


「失礼しま……す!?」


 続々と教師の元へ向かう者たちの後ろにくっつくように歩いていると、スッと突然足元に何かが現れた。それを避けようとして、俺はタップダンスを踊るように少々粗々しい着地を披露してしまう。


「チッ」


 その瞬間、何か舌打ちのような音を捉える。それに妙な違和感を覚えた俺は、先ほどの刹那に一体何が起きたのか、記憶を辿る。


 突然足元に何か。それは間違いなく人の足だった。そして、それを出した犯人もすぐにわかった。俺はすぐ近くにいたその人物を睨む。


「なんでしょうか」


 見たことのないメイドだった。彼女の表情には薄ら笑い。それだけで今起きたことが、故意であることがわかる。


 女には出来るだけ優しくしたい俺だが、これに平然としていられるほど穏やかな性格をしていない。


「なっ……んっ……でもないです」


 だが、ここでキレてイタゥリムに迷惑をかけるわけにはいかないと何とか怒りを飲み込む。


(アンガーマネジメント! よく頑張ったね、ミナト!)

(お、おう)


 俺よりずっと火の付きやすいリアに褒められると、なんだか可笑しくてすぐに頭が冷えた。


 んで、この女はどこのメイドだ? 何か目印がないか、彼女の全身を眺める。


「あらあら、どーうして彼女は突然舞踊を始めたのでしょうかぁ? 野蛮人の下女もやはり野蛮人ですわねぇ! オーッホッホッホ!」


 すると、足を引っかけてきたメイドの飼い主は、こちらから探すまでもなく自ら声をあげた。


 平民たちよりも離れた島に固まっている集団にいる女、あれは確かエミユンとかいう貴族だ。イタゥリムを亜人と罵った女。いや、亜人は悪口じゃないけど。


「エミユン、今は自由時間ではないのですよ? 私語はなるべく慎みなさい」

「失礼。あまりに愉快だったもので。オホホ」

「そうですか。では組み合わせが判明次第、すぐに次の行動へ移りなさい」

「承知しておりますわ」


 教師はそれ以上何も言わなかった。彼女の見方をするというよりは、面倒ごとを見て見ぬふりするといった印象だ。エミユンの家はそんなに大きい貴族なのか?


「だ、大丈夫ですか? 怪我は?」


 マイルちゃんが心配そうに声をかけてきた。


「ああ、平気ですよ。慣れない服で粗相をしてしまいました。お恥ずかしい」


 こういう時凄く皮肉の利いた言葉を言えたら格好いいんだろうけど、生憎俺にそういうセンスがない。投げ込まれた侮辱をただ愚直に受け止めるのみ。


「紅等生イタゥリムの使いのものです」

「うむ、ではこちらを」


 生ぬるい衆目を浴びつつ俺は教師の元へ行く。そこで何やら記号が描かれた布きれを受け取り、イタゥリムの元へと帰る。


「アンタ平気!?」


 意外にもイタゥリムは心配をしてくれていた。


「全然平気ですよ。転んだわけでもありませんし」

「それはよかったわ……注意喚起が遅れてごめんなさい。アイツがこんな早い段階で仕掛けてくるとは思わなかったのよ」

「はぁ、アイツとはエミユン様のことでしょうか」

「ええ。ラピジアの北にある古臭くてしょぼーい街を治める伯爵の娘よ」


 イタゥリムは小声で教えてくれた。


「去年の交流会でもあたしはアイツに色々と陰湿な嫌がらせをされてね。まったく目立てなかったどころか、使用人に怪我までさせられちゃって」

「そ、そんなことが許されるのですか!?」

「許す、許さないの問題じゃないのよ。向こうは高位の貴族。確たる証拠がない限りのらりくらりと躱されちゃうわ」

「そんな滅茶苦茶な……」


 マイルちゃんをはじめとした紅等生に仕える使用人が皆一様に怯えた表情をしていたのは、そのせいだったのか。


「エミユン様は特に古い考えに汚染された権威主義貴族の生まれよ。その寄子よりこや似たような考えを持つ貴族のことも教えておくから、注意しておきなさい」


 なんだそれ。俺たちはただイタゥリムの側に突っ立ってるだけでいいのではなかったのか。


 陰湿貴族のネチネチとした攻撃を躱しつつ、イタゥリムの魅力を貴族の男にわからせる、か。うーん、きっつ。今更自分に課されたミッションの難易度の高さに気が付いてしまった。


「お、お願いします」


 だが、来てしまったからには乗り切るしかない。スティアやアトリにまで危害が及ぶ可能性もあるからだ。あと、いざという時、ついでにイタゥリムのことも守ってやらなくては。






 俺が教師から手渡された布には鳥のシルエットが描かれていた。同じ鳥の布を持っている生徒同士で、グループワークのチームを組むというわけだ。


「『鳥』を布をお持ちの皆さま! こちらへお集まりくださーい!」


 同じ『鳥』グループの男子生徒が走り回っている。彼は紅等生の生徒で、成績は下の方。だからああやって取りまとめを一手に引き受けているのだ。


「鳥はあっちね。行きましょう」


 お貴族様を待たせるわけにはいかないので、俺たちもさっさと移動を始めた。


 『鳥』の布を渡されたグループの集合場所にて、紅等生の生徒たちと貴族たちが揃うのを待つ。貴族たちは恐ろしくマイペースな移動をしていた。


「そ、それでは皆様お揃いということで、ほ、報告をしてまいりますっ!」


 しばらくして、貴族のメンバーも無事全員集まった。貴族たちを案内していた生徒は遠目から見てもガチガチに震えているのがわかる。それもそうだろう、その中にはあのお方がいたのだから。


「やあ! 君がエルフを連れてきたイタゥリムだな!」

「え゛っ! で、ででで殿下ぁっ!?」


 左右を兵士に挟まれながら、こっちへまっすぐ向かってくる金髪藍目の美少年。流石のイタゥリムも狼狽えすぎて聞いたことのない声を出す。


「殿下! それ以上はなりません!」

「なぜだ? 折角珍しいエルフがいるというのに」

「亜人は危険なのです!」

「いやいや、危険がないと判断されたからこの場にいるのだろう?」

「万が一のことがあります! 自重くだされ!」


 双方納得できる言い分であるのだが、リギィ殿下は身分が身分だけにエルフに近づくことすらできないようだ。


「ちっ、ダメだったか。一度亜人と話してみたかったのに」

「いけません。あまり無茶をなさるなら、そこの亜人を強制的に追い出すことになります」

「むっ、それはいけない。折角連れてきたイタゥリムが可哀想ではないか。わかった、これ以上近づかないよ」


 そう言って、リギィ殿下は俺たちから距離をとる。


 凄く物分かりがいいというか、こちらへの配慮もしっかりとしている。城で話した時にはわからなかったが、結構いいヤツじゃないか殿下。


「だがイタゥリムと話すくらいは構わないだろう? 王都にもその名を轟かせるナユタン商会、一度その娘と直に語り合ってみたかったのだ」

「ま、まあそれくらいなら……」


 殿下を諫めていた兵士は苦々しい表情を作りながらも、彼の要求を呑む。普通王族が平民と気軽に話すなんてことはまずないだろう。


 これはアレかな。最初に絶対飲めない要求を投げ、ハードルが下がった後に本命を認めさせるという高等テク。


「ヒ、ヒマワリッ! ア、アンタ、エルフと一緒にちょっと下がってて!」

「承知いたしました」


 殿下と対面するという突然発生したビッグイベントにイタゥリムは焦りを隠しきれていなかった。しかしここで冷静に俺たちへ指示をとばせるところは流石だ。


「で、殿下! 本日はお日柄もよく──」

「あー……そういうのはよい。君はかなり破天荒な人物だと踏んでいる。まずはこの場にエルフを連れてこようと思った経緯を聞かせてくれないか?」

「えっと、その……なんというか、折角このような機会をわたくしたち平民に与えていただいたので、皆さまを楽しませようと思いまして……」

「ほう。それは嬉しいことだ。しかし、エルフとはまた力が入っているな。相当の銭を費やしたのではないか?」

「いえそれほどでも……」


 イタゥリムは額に汗を浮かばせながらも、何とか殿下との会話を成立させている。


 がんばれ、ウチのお嬢さま! と俺は心の中でエールを送った。

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