第195話 紅等生

 座学の授業が行われる講堂の扉を開け放つ。その瞬間突き刺すような視線に晒されるのを感じた。


『うおっ、デカッ! あれが『血樹けつじゅ』の商人の子か。近くで見てみるとすげーな』

『どうする? 話しかけに行く?』

『いやいや、一旦様子見ー』


 リアのエルフ地獄耳がイタゥリムに対する評判を聞き分ける。やはり彼女の風貌と実家の力は貴族の間でも、一目置かれるほどのようだ。


 そして今回の為にわざわざ連れてきたエルフも勿論衆目の的。


『うわなんだあの美人は』

『使用人? ……てかエルフだよあれ! いち商人の子がすっげぇよなあ』


 エルフを知らず、その美しさにただ見惚れる者。その価値を知り、イタゥリムの財力に驚嘆する者。反応は様々だが、貴族の子弟たる若者が一斉にスティアへと注目するこの状況はイタゥリムの望み通りの展開であった。


「おーい、イタゥリムちゃん! こっちだよー」


 イタゥリムを呼ぶ声が聞こえる。今のは朝にも会ったエステモちゃんだ。


 声が聞こえてきた方向を探ると、講堂の一角に数十名ほどの生徒が集まっている場所があった。彼らは紅等生、つまり皆今回交流会に参加する平民学級の面々。とりあえずイタゥリムもそちらへ向かう。


「あら、遅れてしまったかしら」

「まだ時間じゃないから大丈夫だと思うよー。皆緊張して早く着き過ぎただけみたい」

「そうなの」

「うん。だからそういう意味では、イタゥリムちゃんは大物だねー」

「いやエステモ。それを言うなら、アンタもさっき表で会ったばかりじゃない」

「うふふ、じゃあお互い大物ということでー」


 あ、いいな。イタゥリムが女友達と話している。てっきり教室では一匹狼を決め込んでいると思っていたが、エステモとは想像以上に友達をやってるみたい。


「あ、どうも、昨日ぶりです」

「あっ、ああ、これはエステモ様の……」


 エステモの連れてきたメイドさんが近寄ってきた。確か名前はマイルちゃんだったかな。ピンク髪ナチュラルボブの可愛い子だ。若干アトリに雰囲気が似ている。


 そんな彼女はどことなく不安そうだった。顔色も少し悪い。


「大丈夫ですか? 調子が悪いようでしたら、医務室かどこかに……」

「と、とんでもない! ここは貴族学舎ですよ!? ご迷惑をおかけするわけには!」


 親切のつもりだったが、凄い勢いで断られてしまった。


「あの、ヒマワリさんは大丈夫なのですか? こんなにお貴族様が近くいらっしゃるところで……私はもう胃が痛くて……」

「ああ、そういうことでしたか。そりゃあまあ、緊張はしていますよ」


 マイルちゃんはどうやら貴族の子弟たちを前に緊張が限界のようだ。確かに子弟とはいえ、変に目を付けられたら人生終わりかねない。こうなってしまうのが庶民というものだろう。


「ただ私は最近『称号』を得た方に仕えていますので、多少は慣れているのです」

「ああそうでした。ナユタン商会の方は、訳あって出向しているんでしたっけ。いいなぁ、ずるいわ」

「はは、ずるいって」


 こっちは一応、王様や侯爵様と対面してようやく緊張がマシになったんだぞ。


「まあ余計なことはしないに限りますよ。自分自身の立ち居振る舞いにしてもお嬢さま方のサポートにしても、いつも以上を出すよりいつも通りを心がけましょう」

「はい……ありがとうございます。ご助言、心強いわ。授業が始まる前にヒマワリさんと話せてよかった」


 そう言ってマイルちゃんはこっちの手を握ってきた。うわ、凄い手汗。よっぽど緊張していたんだな。


「うふふ、うちのマイルと仲良くしてありがとう」

「アンタ! なに他所様の付き人に手出そうとしてんのよ!」


 と、そんな俺たちの会話に混ざってくる主人たち。その反応は正反対だ。


「手を出すとか、そんなつもりは」

「今手握ってたじゃない!」

「まあまあ、イタゥリムさん。マイルも嫌がっていないようだし、別にいいじゃない」

「あの、否定していただけませんか?」

「うふふ」


 エステモはころころ笑う。結局、手を出す云々の話は否定してくれないみたいだ。


 しかし不思議な雰囲気の女性だ。上手く言えないが、男好きしそうな感じがある。


「あなた、ヒマワリさんだっけ?」

「あっ、はい。ウチのお嬢さまがいつもお世話になっております」

「これはご丁寧にー。でもあなたって、臨時の付き人って聞いたけど?」

「ああ、ご存じでしたか。しかし、今はイタゥリムお嬢さまの付き人としてご一緒しております。このスティアと共に」


 俺はそう言って、スティアへ視線を誘導する。


「噂のエルフだねー。うーん、美人。流石のお貴族様たちも皆釘付けだ」

「ええ。そして私とこのアトリはそのサポートの為にいるのです」

「ふぅん」


 エステモの視線は俺からスティアへ、それからアトリへと移った後、最終的にまた俺のところへ帰ってきた。そして、それ以上はじっと動かない。


「あ、あの、なにか?」

「うん、私ね、実はエルフよりずっとあなたの事が気になってたの」

「え」


 何故に俺? 意外な言葉に背筋が凍る。


「だって、あなたもそのエルフに負けないくらい凄く美人だし、それにいっつもクールなイタゥリムさんが楽しそうに話しているのを見てるとね、さぞ魅力的な人なんだろうなーって」

「あ、そういうこと……」


 なんだよ。気が付かない内に偽装の魔法に綻びが……とか色々考えたじゃんか。


「ばっか、コイツはそんな上等なものじゃないわ。女に対してメッチャだらしのないヤツなのよ? 今朝だってそこのエルフとずっと乳繰り合ってたし! 流石のアンタも油断してたら誑かされちゃうかもね」

「へぇ」


 俺へのひど過ぎる風評被害に、エステモは距離を取るでもなくやけに挑戦的な視線でこっちを見てきた。ヤダなにその目……正直エロい。


「ねぇねぇ、あなたから見て私はどうかな?」

「は? いや……えっ?」


 どうかなって……えっ、どゆこと?


 女にだらしないとされる女にそんなことを聞くとは。つまり彼女は百合っこで、俺……じゃなくてヒマワリが誘われている?


 どうって? んなもん余裕でイケる。だってこんなに可愛い女の子だぞ。しかし今はリアの母親を迎えるための大切なミッションの途中なわけで。


 久しぶりに袋一杯の色気を浴びせられて、俺の脳は混乱を極めた。この娘、実はノインの親戚だったりしませんかー!?


「うふふ、冗談だよー。本気にした? ごめんねー」

「…………」


 揶揄われていただけ。まあ、現実はこんなところだろう。

 

 湧き上がった何かは一気に沈静していく。


「えっと、その……エステモはこういう子だから」


 俺の背中をさするイタゥリムの手のひらは妙に優しかった。







「あちらにいらっしゃるのが貴族の方々ですか」


 平民たちが固まって座るエリアから、講堂の出口に近い場所を眺める。


 使用人がうじゃうじゃいるので勘定が大変だが、所謂貴族学級は紅等生と同じく30人前後で構成されていた。


「そうよ。でもあまりジロジロと視線を送るのは無礼になるから、ほどほどにしておきなさい」

「はい。ですが、知っておきたいこともあるのです」

「はぁ? なに?」


 貴族たちの中に見知った顔がいくつかあったのだ。例えば、左右を重装備メンズに挟まれた美男子とか。


「あの囲まれているのって、アーガストの王子様ですよね」

「そうよ。リギィ殿下ね」

「そんな重要人物がこんなところにいてもいいのですか?」

「こんなところって……。あんた、交流会を舐めてない? この場にいられる人間は使用人を含めて、皆厳しい身元調査に合格した者だけなの。だから、アンタんとこのご主人様にもいろいろと書類を出させたでしょう?」

「ああ、そうでした。その為だったのですね」


 そういえば『紫雷の魔女』として、アトリやスティア、そしてヒマワリに関する書類にサインをいっぱい書いた気がする。


「それにね、いくら交流会であっても殿下とお言葉を交わす機会はないと思っていいわ。こうやって、お姿を拝見できるだけでもあたしたちは特別なの」

「ああ、そうなんですか」

「だからこそあんな厳重警戒なんでしょ」


 不用意に近づこうものなら側に控えるあの兵士たちに止められると。王族だしそれも当然だろう。まあリギィ殿下に用はないので、なるべく近づかないように気を付けよう。


 そして殿下以外にもその対象はいる。たとえば、浅葱色の髪の線の細い青年。言ってしまうと、アイロイ様の孫、リューロイ様だ。彼には大きな借りがある。本来なら『紫雷の魔女』としてご挨拶に向かうべきなのだが、今はイタゥリムのサポートだけを考える方がいいだろう。

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