第189話 新たな契約
「はぁ……もうやってらんないわ」
エルメルトンを学園に連れていくことが不可能であると悟ったイタゥリムは投げやりにソファへと身を投げる。
一応、今お客様の前なんだが? と、そんな指摘をしても無敵モードの彼女には響かないだろう。こちらとしても事を荒げる必要性は全く無いので、彼女をいないものとして扱った。
「では、商談を再開しましょうか」
ともあれ、これでようやく話が進みそうだ。俺とギシカフは先ほどまで進んでいた、エルフ購入に関する契約内容を詰めていく。
「はい、それではこの契約書に記入を──」
そして、いよいよエルメルトンの所有権がこっちに移る、その直前だった。
「……っ! そうだわっ!」
今までふて寝でもしているのかと思っていたイタゥリムは突然叫ぶように言った。
「こら! 突然大きな声を出すんじゃない! お客様の前だぞ!」
「そんなことどうでもいいの! それより、アンタ!」
「……なんですか?」
イタゥリムの目はキラキラと輝いていた。やばい。ようやく終わったと思っていたのに、嫌な予感しかしないのだが。
「料亭の女将の手紙にあったのだけど、アンタのご主人様、既にエルフを1人飼ってるのよね?」
「え……」
俺の嫌な予感はまさに的中。そっちに興味を持つか……。
「えっと、それが?」
「エルメルトンはアンタにあげるわ。代わりにその子を寄越しなさい」
「は?」
「聞こえなかった? アンタんとこのエルフとエルメルトンを交換してあげるって言ってんの」
「…………それ、本気で言ってます?」
徐に息を吐いてから、俺は言った。
はっきり言って、ムカッと来た。丁寧な口調を崩さなかった自分を褒めてやりたいほどであった。
スティアを寄越せと? 勿論母の身柄を確保は最優先だが、だからと言ってリアの大切な人である彼女を差し出せるはずがない。というか、今更ながらエルフをただのペットとしか思っていないこのガキの思考が許せない。
「なに怖い顔してんのよ、当たり前でしょ? だってアンタ、ご主人様の意向か何か知らないけど、やけにエルメルトンにご執心じゃない。だったら、貴族家で育てられたっていうエルフをあたしに───」
リアにこの場を任されていながら、あわや爆発! というところだった。しかしそれは不発のまま終わる。
「というのは娘の冗談ですー! いやぁ、我が子ながら下らないことばっかり言って本当にねぇ!」
柄に似合わずオチャラケた様子で、ギシカフが割り込んできたのだ。端からは俺がよほど腹に据えかねているように見えたのだろう。彼の額には粒状の汗が浮かんでいる。
「パパ! あたし冗談なんか!」
「もう黙っていろ! お前は今、誰を相手にしているのかわかっているのか!?」
「ひっ」
ここで初めてギシカフは鋭い眼光で娘の顔を睨む。
こっわ。まるで海外マフィアのような威圧感があって、さしもの我儘娘も狼狽えていた。
でもそうだ。言ってやれ。こっちは貴族やぞ!
「ここはパパに任せなさい。出来るだけお前の願い通りになるよう交渉するから」
「パパ……」
でもやっぱり娘には甘いようで、こっそりとイタゥリムに耳打ちでそんなことを言っていた。
「あのぉ、ヒマワリ様。契約書を作った後で申し訳ないのですが、追加修正をお願いしたく」
「は? 追加修正?」
「え、ええ。基本的にはこの契約書の内容に異議はないのですが、イタゥリムの言った通りそちらのエルフをですね……」
「言っておきますが、絶対にエルフ同士の取り替えはしませんよ。こちらが出すのはマジックバッグです。十分……いや、むしろこっちとしては損ですらある取引だと思いますけど」
「ああ、それはもちろん」
ペコペコと何度もデカい背を畳むギシカフに先ほどの威圧感はなかった。
「えっとですね、そちらのエルフを交換ではなく、期間限定での貸し出しをお願いしたいのです。具体的には娘の学園で、『交流会』が行われる5日間」
「5日? そんなに?」
「貸し出し、だけです。勿論傷つけるようなことはしませんし、大した仕事もさせません。従順なエルフが側にいることが控えていることが重要なのですから」
「それを信用しろと?」
「勿論、契約書にその事項を追加します」
なるほど、それが契約書の追加修正なのか。
正直、スティアが嫌な思いをしないのであれば、アリな提案ではないだろうか。だって、気持ちのいい取引となることに越したことはないのだから。しかし、スティアを他人に任せることへの不安もある。それに、やっぱりスティア本人の了承が絶対だ。
「一度、持ち帰って検討いたします」
「ええ、魔女様にもよろしくお伝えください」
俺は一旦宿に戻って作戦を練ることにした。
(もーっ! 馬鹿じゃないの! 余計な手間かけてさ! 貴族の権力でゴリ押せばよかったじゃん!)
(いや、そうは言うが、実際にかーちゃんの身柄を握ってるのは向こうなんだぜ? ここは丁寧に行こうや)
(むぅ……)
奥に引っ込んでいたリアは、また余計な遠回りが差し込まれたことに苛立っている。しかしこういう時こそ、慌ててはいけないと俺は思うのだ。
俺たちの旅はエルメルトンを保護して終わるものではない。その次は父か姉か。どちらにしても、情報の連鎖を続けなければ。その為にはナユタン商会とは友好的関係を保っていた方がいい。
リアよ、もう少しの間堪えてくれ。
「で、どうかな、スティア。嫌だったらまあ、何とかして別の方法を探すが」
「ミナトさん。嫌だなんてことはありません。喜んでその話を受けさせていただきますわ」
スティアへ、イタゥリムへの貸し出し──いや、『出向』の話をした。すると彼女は笑顔でそれを受け入れる。
「って、こんな状況で断れるはずないわな……すまん」
リアの母親の身柄が掛かっているのだ。こんなのほとんど強制に等しい。
「よいのです。わたくし、あなたのお役に立てるのなら嬉しいです」
「うっうう……スティアぁ!」
っと、突然操縦権が書き換わった。リアは感極まってスティアへ抱き着く。今は向日葵の身体に変化した関係で、スティアと目線が合うことが凄く新鮮だ。
「でも心配だなあ。純人って、亜人には何してもいいって思ってるからね。それにいくら契約書で守られているとはいえ、学園で不測の事態が起こらないとも限らないし」
「そうだよねぇ。スティアは美人だし、学園の男の子たちから言い寄られたりするかも」
「……っ!? それはダメだよ!」
アトリの軽い一言が、うっかりリアの嫉妬心を刺激してしまう。いや、そんなこと言ってる場合か。
(どうしようミナト! もしスティアが寝取られちゃったら!)
(ねーよ!)
心配なのはわかるが、そこは気にする必要ないと思う。
(まあでも、確かにスティアを俺たちの目の届かないところに行かせるのは怖いな。純人の社会じゃあ、亜人奴隷って資産なわけだし、巧妙な人攫いが出ないとも限らない)
(くぅぅ……そうだよねぇ)
(いっそ近くで見守っていられたら安心なんだ……が? あれ?)
そこまで考えてふと気が付いた。どうしてスティアを
イタゥリムはエルフをお供のひとりとして学園に連れていくつもりらしい。彼女は平民のクラスであるが、お金持ちの生徒が従者を連れまわすことは稀にあるのだという。
(いっそアトリも連れて、3人で学園に行ってみるか?)
(え……マジ?)
(イタゥリムの従者としてさ。向こうとしてもそこまで無茶な話じゃないだろ?)
(いやでもそんなエロゲみたいな展開)
ああ、よくある女装して学園に忍び込むやつな。結構無茶な話だと思っていたが、確かに今と似ている展開だった。でも現状、都合がいいのは間違ってはいない。
もし駄目だとしても、今度こそリアの貴族パワーかアイロイ様とのお友達パワーも使えるだろう。提案してみるのもアリだと、俺は思った。
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