第187話 つらい光景

「条件……ですか」


 高価な商品であるエルフを買う条件。例えばまず、法外な値段というのが一番に思いつく。


 ルーナさん曰く、エルフ1人につける値段は最低1億ガルド。しかし、アテリアでスティアについていた値段はその50倍だった。そもそもエルフ奴隷の絶対数が少なくなっている今の現状では、値段の予測などできないというのが実情だろう。


 相手は新進気鋭の商会を束ねるやり手。まともに金額でやりとりをしようとすれば、一気に借金まで抱えることになりそうだ。


 しかし、こっちには武器がある。現実いくら金を積もうが、市場に出る数が限られるもの。『魔女』という伝説のみが残したあの幻のアイテムがある。商人ならば、どう扱っても莫大な利益を生むものだ。


 だがここは一旦落ち着け。あれは取引するだけでもリスクとなりうる代物。確実に母と引き換えられるように、先に話を詰めていかなくてはならない。


「その条件の話をする前に、一度実物を拝見させていただけませんか?」


 だから俺はこう切り出す。実際にその目でエルフを確かめなければ。


「なるほど、確かにそれがいいですね。こちらは条件次第でエルフをお譲りするつもりがありますが、今のままでは少々話が性急すぎます。それに一応、私の方にも懸念事項がありましてな」

「懸念事項?」

「実際にお見せしながら説明いたします」


 なんだろう。上手く説明出来ないけれど、少し嫌な予感がした。


「ささ、案内いたします」


 思い立ったが吉日ということで、ギシカフは控えていた異民族系の大男を伴って、部屋を出る。それに連れられて、俺は建物の最奥に位置する場所へと向かった。


「ここは?」


 そこには、厳重に閉じられた一室が存在した。


「この扉の向こうには地下室へ続く階段がございます。こちらでは珍しい動物や魔獣などを一時的に置いているのですが……」

「まさかエルフをそんな場所に!?」

「これは仕方のない処置なのですよ。申し訳ないですがこれが懸念のひとつです。これからこの下で目にする光景に対して、決して私どもへ怒りを向けないでいただきたい」

「はぁ?」

「約束出来ないのであれば、取引は遠慮させていただきますよ」

「うっ!」


 しまった。自分では冷静さを保てないからとリアから操縦権を渡されたのに、俺が熱くなってしまった。しかし、記憶を共有する俺にとっても、リアの家族がそんな魔獣と同じような扱いを受けて、正常でいることは難しいことだった。しかし、今は何とか抑えなければ。


「や、約束します」

「では、行きましょう──おい、お前はそちらのお嬢さまをお守りするのだ」

「はっ」


 大男が横に来る。俺たちにボディガードはまったく必要ないけれど、ここは我慢しよう。


 ギシカフが扉の施錠を外すと、そこには先の話の通り、確かに地下へと続く階段があった。警備の男、ギシカフ、俺の順で下っていく。


 地下室はこの辺りでは珍しく光魔法の込められた魔道具が惜しげもなく設置されており、地下にしては明るい空間が広がっていた。これなら、ここに閉じ込められたとしても、そこまで陰鬱とした気分にはならないだろう。


 しかし、ある一角が物々しい鉄格子によって区切られており、この空間の異様な雰囲気を演出している。


「こちらです」


 ギシカフはその鉄格子の前までやってきた。


「おっと、今は大人しくしてくれているか……」


 鉄格子の中にいるものの姿は大男が邪魔で見えない。しかし、部屋に入った時点での呼吸はずっと聞こえていた。


 そして大男が僅かに身体を逸らすと、その全貌が露わとなった。


「ヒマワリ様、貴族の育てたエルフを所有するそちらとしては少し衝撃的な光景かもしれませんが、どうか落ち着いてご覧ください。これが我々の保有するエルフであります。名を『エルメルトン』──ああ! 近づいてはいけません! 危険です!」

「ぐっ!」


 気が付けば一歩踏み出していた。一瞬、リアに身体を持っていかれたのかもしれない。だから俺は必死で操縦権を保持し続ける。


(リア、落ち着け! 大丈夫だから!)

(うぅ……)


 もしリアに僅かな理性すら残っていなければ、この身体は代役であることを忘れて、その名前を呼びながら今そこにいる『母』へと飛び込んでいただろう。


(ミナト……おかあさんが……おかあさんが……)


 目の前で明るいベージュの長い髪が呼吸に合わせて微かに揺れている。


 どう見ても20代くらいにしか見えない容姿の女エルフが力無くこちらを見ている。しかし、実の娘であるリアに気づく様子はない。


(ああ。間違いない。この人はお前の母ちゃんだ。ちゃんと生きてるぞ!)


 リアの母──エルメルトンの心臓の音はしっかりと聞こえている。


(ああ……)

(リアお前、一度奥に引っ込んどけ。これ以上黙って見てるだけっていうのは、お前の精神に良くないと思う)


 だからといって、今すぐリアに操縦権を返して、彼女が実力行使に出てしまうようなことがあれば、これからの旅が一気にハードモードと化すだろう。


(でも、ミナト……)

(大丈夫だから。絶対に上手くやって見せるから。ここは俺を信じてくれ)

(うん……お願い。おかあさんを助けて……)


 弱々しく悲痛な願いを残した後、リアからの反応は薄れていく。それに対応するように、身体が自然とエルメルトンの方へ向かおうとする感覚も収まっていった。やはり、リアの気持ちが身体に影響を与えていたんだ。


 さて。俺は今一度、エルメルトンの姿を眼下に収める。


 彼女は高そうな椅子に座らされ、その上、身体を鎖と接続された革ベルトで厳重に固定されている。ただそれに対して、彼女の表情はそんな処置が全く必要なさそうなほど穏やかだ。いや、穏やかを通り越して、あまり生気を感じないほど。


「あの、ずいぶん元気が無いように見えますが……」

「ええ。先ほどまで暴れていましたから、疲れているのでしょう」

「はい? 暴れて?」


 その時だった。虚ろにも思えたエルメルトンの目が突然めいっぱいに開かれる。


「ぐうぅぅぅ! うううぅぅ!!!」


 声にならない声と鉄の擦れる音が、地下室中に響き渡る。


 猿轡をしているせいでエルメルトンが何を叫んでいるのかはわからない。ただ彼女は鎖が千切れてしまうのではないかと思うほど激しく、椅子ごと拘束されている身体を揺らしていた。


「ちょっと、大丈夫なんですか!?」

「刺激してしまったようですね。突然大勢でやって来たものですから」

「刺激!?」

「おい、アレを」

「はっ」


 俺の問いかけには答えず、ギシカフは大男より手渡された容器から出した謎の液体を布巾に染み込ませ、そのままエルメルトンの顔へ押し付ける。


「んんっ! んんっ! んんっー!」

「ちょっ! 何してんですか!?」


 先ほどの液体を吸わせているのか、エルメルトンは苦しそうだった。そして数秒後、ストンと落ちるように彼女は意識を失ってしまう。


「なな、なんなんですか!? 今のは!」

「ヒマワリ様、落ち付いてください。ただ眠らせただけですから。あれはその為の薬剤です」

「いや、薬剤って……」

「大した害はありません。ただ、無理やり眠らせるほど強力な効果があるので、いざというときにしか使いません。今回はそのタイミングでした。まさか、こんな短いスパンでまた暴れだすとは……」

「こんな短いって……」

「ええ。時折あんなふうに暴れだします。これが先ほど私が言った『懸念事項』です」


 懸念。地下室に押し込められている状況に、厳重な拘束。その意味に、はたと気が付いてしまう。檻に入れられた猛獣。それは今の彼女そのものであった。


「これは……」


 エルメルトンの今の状況に、俺は思わず言葉を失ってしまった。そして、リアを裏に引っ込めて本当によかったと思った。あんな光景をあの子がその目で見てしまったら、この屋敷は火の海と化す。


「…………すぅ」


 エルメルトンは先ほどの錯乱が嘘みたいに穏やかに眠っている。


 俺の知る彼女はこんな風に、いつものほほんとした優しい母だった。少なくともリアの記憶を探っても、あんな暴れ狂う姿はどこにもない。


「彼女を私どもに売った商人が言うには、これは『天然もの』の亜人によくあることなんだそうです。当然、捕獲される前までは彼女ら自身の生活があったわけですから。ですが、捕らえてもう数年経つのに、未だ調教仕切れない亜人というのは……」


 ギシカフは苦々しい表情を見せる。


「つい先日までは非常に調子がよく、ラピジアまで連れていくことができたほどです。しかし、ここにきてまた暴れることが増えましてな。最近は連れ出すこともままなりません。そろそろ手放したいと思っていた頃ですよ」


 エルメルトンに何があったのかはわからない。だが、これはチャンスだと思った。


「こんなエルフですが、それでもあなたは彼女を求めると言うのですか? 一度魔女様にその目で彼女を見ていただいてもいいでしょう。とにかく、一度よく考慮して──」


 言葉を並び立てるギシカフの表情には、諦めの気持ちが見える。これを見せて、それでも買いたいと思う人間などいるはずがない、と。


「それには及びません! 買います! 今すぐに!」


 しかし当然、気持ちは真逆だ。今のエルメルトンを見せられて、むしろ「早く解放してあげたい」としか思わない。


「本当ですか? 魔女様に相談されずともよろしいのでしょうか」

「ええ。この件は一任されているので、私が決めますよ」

「……言っておきますが、あまり簡単に考えないでくださいよ? 我々も彼女には何人もの従業員を傷つけられているのです」

「大丈夫です。こっちには魔法がありますから」


 早く首を縦に振ってくれ。そんな気持ちでギシカフとの交渉を続ける。


(どうすっかな……)


 流石にもうアレを出してもいいよな、と思い始めてきた。手放したいとか言っていたくせに、ギシカフがなんだか異様なほどエルフの売却を渋るからだ。


 もう、いいか。エルフを買えるほどの現金はないし、どのみち、アレを交渉材料にせざるを得ないよな。

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