第186話 ナユタン商会へ
「さて、アトリにスティア。この姿の私のことは『ヒマワリ』って呼んでほしいんだ」
「わかった! ヒマワリ! えへへ」
「ヒマワリさん、ですか。変わった響きの名前ですね」
「うん。なんたって、ミナトの世界の人だもん」
その昔に付き合っていた幼馴染の声でリアは話す。あまりに気味の悪い状況に目が回りそうな思いだ。
「どう? かわいいでしょ? クラスで……いや学校でも一番の美人さんだったんだ」
「かわいい! クラスってのはよくわかんないけど!」
「はい。その黒髪もとても美しいと思います」
リアはクルっとその場で回ってみせる。確かに鏡に映る向日葵の姿は素敵だ。そして、それをアトリとスティアが褒めてくれるのはすごく嬉しい……が、やっぱり色んな罪悪感が付きまとって何とも言えない気分だった。
「どうかな? この姿で『冒険者ミナト』の側近というか、代理人として振る舞うってのは」
「よろしいのではないでしょうか。アテリアではコヘイ様の代わりにイーティ様が来客対応されることもよくありましたし」
イーティというのはアテリア家の爺さん執事の名だ。リアも一応アーガストでは貴族扱いなので、商人相手に代理人を寄越すのは間違った行為ではないだろう。
それに、こっちにはアーガスト貴族としての身分を示す『印章』がある。
「よし! じゃあ決定だね。こほん。──『決定ね、湊くん』」
最後、リアが日本語を話したせいで、アトリとスティアが頭にハテナを浮かべていた。
つか、真似すな。実際、ドキッとしたけれども。
とにかくアイツが知らないところで身体を勝手に使うのは気が引けるが、他に弾がないのであれば仕方がない。かわいいリアのためだ。今回だけは許してくれ、向日葵……。
「よーし、どんなもんかな?」
手を開いたり閉じたり、変わった身体の感覚を確かめていく。そして、手始めに部屋の中を歩きだすリアだったが、
「ぶへっ」
数歩で盛大にすっころんだ。
「だ、大丈夫!? リ、じゃなくて、えーっとヒマワリ?」
「いだい……」
「どうされたのですか? 何もないところで転ぶなんて……」
「うぅ……身体の感覚がいつもと違くてさぁ」
というのが主な理由。そりゃあリアと向日葵じゃあ体格が違うし、慣れていないとバランスも取りづらい。特に胸部装甲の厚みが全然違うからな。
……つか、でっか。貧弱なリアの身体に慣れていたこともあって、ずっと平凡だと思っていた幼馴染のスタイルが滅茶苦茶よく感じる。
(ミナトは一時の性欲に負けてこれを捨てたんだよね。ほんっと愚かだなあ)
リアは自分の胸にあるものをまさぐりながら、俺を煽ってくる。
(お前人のデリケートなところをよくそこまで容赦なく責められるな! ああ、そうだよ! 俺は愚か者だよ!)
(まあまあ。愚かだったからこそ、私の所に来られたんだから、それは良いことだよ)
(本当にそう思ってんのか!?)
と、怒ったようにリアに対して言葉を荒げてみる。しかし、記憶を共有している時点でリアは俺だ。だからこれは自虐でしかない。そう考えると、怒りなんて湧くはずもなかった。
──ごめんだけど、また身体お願いできる?
ウキウキで向日葵の身体へと変身したくせに、リアは肝心なところで表を俺に押し付けてきた。それは現在進行形で酷い目にあっている母親の姿を見て、果たして冷静な判断が取れるのか、というのが一番の理由だろう。
リアの心配はよくわかる。自分の親が鎖に繋がれている光景を前に冷静でいられる人間なんていない。
しかし、だ。俺は一体どんな感情でこの向日葵ボディを操ればいいのだろうか。
(なに緊張してんのさ。こんなのただ魔力で形変えてるだけじゃん)
(いやそうだけど)
所詮は偽装魔法。魔力を断つと、元のリアの身体に戻ってしまう。そうだ。そうじゃんか。何を緊張しているんだ俺は。これは間違いなく、今まで使ってきたリアの身体だ。
俺は必死に自分に言い聞かせ、勝手が変わってしまったこの身体を前進させる。
(しかし、歩きづらいな。これは……)
向日葵の主張してくるもののせいで足元が見づらい。完全に見えなくなったわけではないが、下を向いた時の結構な割合が自分の身体に占有される違和感。
つまるところ、でっけー。
(女体って大変だなぁ)
(そうだね……あれ?)
(うん?)
なんかこう、致命的なところに気が付いてしまいそうだった。
「そ、それじゃあふたりとも、行ってくるからな」
「ミナトさん、頑張ってね?」
「転ばないようにお気をつけください」
アトリもスティアも心配そうだった。彼女らは俺にとって向日葵がどういう存在だったかを知っている。気を使われてしまったな。
結局、俺たちはひとりで商会へ向かう。よくよく考えたら、エルフであるスティアを連れて行くのはリスクだからだ。彼女には申し訳ないけれど、アトリと一緒に宿で待機してもらう。
ナユタン商会本部は学園の敷地からほど近い、所謂一等地に位置していた。実際にモノを売る店舗も併設されており、周辺は多くの人で賑わっている。
アポなしでこの盛況ぶりに突っ込むのは正直勇気がいるが、俺はリア母の顔を見たい一心で本部の建物まで足を進める。
「ごめんください!」
「はいはい」
今まで色んな都市の商人を訪れたが、ここが一番規模の大きい商人のお店なのかもしれない。事務所には受付嬢がいて、すぐに接客が始まった。
「アポなしの訪問、大変失礼いたします。私はとある高貴なお方の代理でやってきた、えっと……ヒ、ヒマワリと申す者です」
「はい。ヒマワリ様ですね。それでご用件は?」
「えっと商談を。できれば、商会長に直接お会いしたく思います」
「それは……」
受付嬢の表情が固くなる。そりゃあ、はいオッケーですとは言えないでしょうよ。
「ちなみにどちらの貴族家の使いの方でしょうか?」
「貴族家というか、最近アーガスト王家から『紫雷の魔女』の称号を賜ったミナトという冒険者の使いです。ご存じありませんか?」
「えっ」
『紫雷の魔女』という単語を出した途端、彼女の表情は一変した。宮廷料理屋の店長に手紙を預けていたから、それで彼女もこちらを知っているのだろう。
しかし俺にこんな白々しい演技ができるとはな。
「ま、魔女様の使いの方でしたか! お待ちしておりました!」
「はい。それでは会頭様へお繋ぎをお願いできますか? あ、そうだ……その際にこれをお見せください」
ダメ押しと言わんばかりに、分厚い紙切れを取り出し、お姉さんに手渡す。
「こ、これは、ドンエス侯爵の!?」
そう、これこそアイロイ様に書いてもらった紹介状である。封にはドンエス家の印章と同じマークが施されており、見るものが見ればこの書類の重要性がすぐにわかる。
「そうです。紹介状です。是非、商会長様にお渡しください」
「は、はい! しょ、少々お待ちくださーい!」
慌てた様子でお姉さんは事務所の奥へ消えていく。
ドンエス侯爵の威光はこの街でも通用するらしい。いや、むしろこの街だからこそ、か。なんたって、かつて異民族の住まうこの土地を征服したのがアイロイ様なのだから。
「お待たせいたしました! ヒマワリ様! 会頭のギシカフが今すぐお会いしたいとのことです! 奥のお部屋までご案内します!」
しばらくして、お姉さんが朗報を持ち帰ってきた。その名がこの世界で呼ばれる違和感に、今更俺は身体を震わせた。
それにしても、今すぐにか。正直紹介状があっても、数日の待ち時間を覚悟していた。それだけに、そこを何とかしてしまうアイロイ様の威光に驚きを隠せない俺だった。
「どうぞこちらです」
お姉さんに連れられ建物奥の扉の前まで案内される。ここだけ扉からして豪華絢爛で、重要客を招くための場所であることが容易に分かる。
「ギシカフ様、『紫雷の魔女』様の使者の方をお連れいたしました」
「おお! これはこれは!」
「…………ぉ」
扉の向こうで待っていたギシカフという男を見て、俺は驚きの言葉が漏れそうになるのを抑えた。というのも、彼は思わず口が開いてしまいそうになるほど巨大な男だったからだ。
料亭で聞いたところ、会頭の一族はこの地に古くから住まう異民族らしい。その特徴はここ数か月を共にしたピィリーナちゃんと同じく、赤い顔をした巨人である。しかしその中でも、今目の前にいる彼は大きさ当面で抜きんでている。
「っと、失礼した。さあ、使者どの、そちらにお掛けください」
「は、はい」
しかし、意外と言ってはなんだが、このギシカフという男の仕草はどことなく上品である。流石は商人だ。
「ふぅ」
質のいいソファに腰かけ、一度呼吸を整える。商人を相手にするのは正直怖い。彼らの多くは政治家に負けないほど強かだ。飲み込まれないようにしなければ。
「では私も失礼して……」
ギシカフという商人はこちらが座ったのを見届けてから、その巨体をソファの上で畳む。それでもやっぱりでかいな。
「さて、まずはご挨拶を。ご存じでしょうが、私が当商会の会長をしておりますギシカフと申します」
「私は『紫雷の魔女』ミナトの代理としてやってまいりました、ヒマワリと申します」
まあ、そういう設定ということで。
「これはこれはご丁寧に。料亭の女将伝手にお手紙も預かっておりまして、大変恐縮していた次第であります」
「ああ、読んでいただけたのですね」
「ええ。正直、宛名を見て驚愕いたしました。なにせ今、ラピジアは『紫雷の魔女』様のお噂で溢れかえっているようなのでね」
「そ、そうでしたか」
「ええ。私の娘と大して変わらない年齢で高位の魔法を修め、称号を賜るようなお人です。話題にならない方が不思議でしょう」
ギシカフは恥ずかしくなるくらい、こちらを持ち上げてくる。こんな風に「気を遣うべき相手」と認識させた時点で、大層な称号を得た甲斐はあった……と思う。
「それにしても魔女様はドンエス侯爵ともご交友がおありなのですね。封書の印を拝見したときはこれまた驚きましたよ」
「え、ええ。よくしていただいております」
「そして魔女様といえば、息を飲むほどの美貌をお持ちと伝え聞いております。不遜ながら一度拝見してみたいものですな」
「あはは……いずれは」
「しかし代理のあなたも大変に美しい。特にその吸い込まれそうなくらいに黒く輝く髪が──」
しばらく世間話が続く。商人が話好きなのは相手が異民族だろうとそれは変わらないんだな、と思った。
「と、申し訳ない。勝手に話しすぎましたな」
「あ、いえ、別に。ですが、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうしましょう。お互い、時間は貴重ですしね」
少し忙しないかな、と思ったが、ギシカフは催促に嫌な顔ひとつしなかった。
「魔女様のお望みは、女将の手紙やドンエス侯爵の紹介状から、大体理解しております。どうやら我々の連れているエルフにご興味がおありのようですね」
「あっ、はい! そうです!」
流石は話が早い。そして、その答えはいかに。
「そうですね。魔女様がお相手ということで、ぜひお譲りしたいところではありますが、アレは気軽にハイと承諾できる代物ではございません。勿論おわかりいただけますよね?」
「それはもう。……その言い方ですと、交渉の余地自体はある、と捉えてもよいのでしょうか?」
「そうですね。条件次第と言っておきましょう」
ギシカフはニヤリと恐ろしい笑みを浮かべた。そう、これだよ、これ。商人はこの笑顔をしている時が一番こわい。今までどれだけ金を絞られてきたか。
しかし今回に関しては妥協は許されない。どれだけの代償を払ってでも、エルフの身柄を確保せねば。
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