第180話 Another View 「風呂場」

「ふいー」


 もやもやと湯気が暗い空へと上がっていく。湊兄は湯に浸かりながら、仰向けになってそれを眺めていた。


「ちょっと、おじさんみたいな声出さないでよ」

「なにを言うか。こちとら身体は可愛い女の子なんだぜ? そんな声出るかよ」

「中身はガサツな男でしょ。かわいい女の子はそんな脚を開いたり、品のない恰好でお湯に入らないんだから」

「いいじゃんか。周りには俺たち以外誰もいないんだ。『俺』の思い出に浸るくらい許してくれ」


 そう言われると弱い。そう、湊兄は昔から風呂に入る時はいつもおじさんみたいにくつろいでいたっけ。


「しかし、久しぶりだな。ここ」

「まあね。流石にお互い大きくなってたし……」


 ここは温泉。その中でも「家族湯」と呼ばれる形態のお風呂屋さんだ。一般家庭のそれよりもずっと広々とした露天風呂付の一室を時間で貸切ることができる。


 風呂に入りたいといった湊兄に対して、どうしてここを選んだのかというと、彼の七面倒くさい状況が原因だった。


『いやいや、俺が女風呂はまずいだろ』


 適当な銭湯に彼を放り込もうとしたところ、彼は思いもしない反発を見せた。いや確かに湊兄が女湯に入るのはおかしいけれど、リアちゃんが男湯に入る方がもっとおかしい。だから貸切風呂はその折衷案だ。


 そして、どうして私が湊兄と一緒に入っているかというと……なんでだろう、自分でもよくわからない。なんとなく彼をひとりにさせたくないって思ってしまったのかな。


 しかしこうやって裸で湊兄の精神を持つ人間の隣にいると思うと、なんだかドキドキしてくる。その彼は気にもしていないようだけど。


「そ、そういえば、『魔力』ってどんなことができるの?」

「ん? ああ、そうだな。魔力を使う──『魔法』って言った方がいいかな。俺はそんなに詳しいわけじゃないが、大抵のことはなんでもできるらしいぞ」

「へぇ、なんでも……」

「ちなみに今もいくつかの魔法を使ってるんだ」

「えっ、そうなの?」


 驚いた。だって、今こうして傍で見ている限り、なにかこう特別なことをしているようには見えないからだ。


 目を見開いてリアちゃんの身体を見つめていると、彼はその魔法のひとつを解いてみせると言ってきた。


「え?」


 その一瞬の内に、明らかに今までのリアちゃんは違うものへと変貌を遂げる。いや、別に化け物に変身したってわけじゃない。ただ、私たちとは明らかに違う尖った耳が露わになったのだ。


「こ、これ……もしかして『エルフ』ってやつ?」

「おっ、知ってんだ」

「だって漫画とかによく出てくるもん。でも、本物?」

「ああそうだよ。触ってみるか? ──リアはいいってよ。優しく頼むぜ」


 そう言ってこっちに耳を向ける。私はその白くて長い耳へ恐る恐る手を伸ばす。


「お、おお……」


 なんだろう。自分の耳よりも広く軟骨が広がっている。ただ、所憚らずに言ってしまえば……感触も何もかもが普通だ。でも普通だからこそ、本物だとわかる。


「ちょっ、くすぐったい」

「あ、ごめん。でも触っても、よくわからなくて」

「何が」

「耳が長いね、で私の考えが終わっちゃって。……エルフってなんなんだろう」


 エルフって私たち日本人とは違うのかな。そりゃあ目や髪の色は全然違うけど、身体の構造とかは見ている限り変わらない。漫画だとどうなんだっけ?


「ぷっ」


 考える私を見て、湊兄は噴き出した。


「なあに?」

「いや、別に──そうだな。エルフもエナプルもそんなに変わらないよ」

「エナルプって?」

「なんでもない」


 湊兄はひとりで納得して、会話を終えてしまった。


「それよりも魔法って、この耳を隠すだけなの?」

「いやいや、何でもできるって言っただろ? 例えばこういうことも出来るぞ」

「うわわ……えっええーっ!?」


 突然、湯舟のお湯が渦を作り始めた。こんな機能は風呂の設備にない。


「こういうことも!」


 湊兄の合図で湯舟からお湯の玉が浮き上がり、それは姿を変えて動物のような形を作っていく。まるで宇宙空間だ。いや、宇宙船内の動画でもこんな凄いものは見たことない!


「すごいすごい! 魔法って本当に魔法みたいなんだね!」

「未来……意味わからん事言ってるぞ」

「とにかく凄いって言ってるの!」


 感動していると、お湯で出来た犬っぽい何かがこっちにお辞儀をした。これ、湊兄が操作してるんだよね? なにさ、洒落たことするじゃない。


 とにかく、目の前にはまるでアニメのような光景が広がっている。これは夢じゃないの、って何度か頬を抓ってみたけれど、毎度脳はちゃんと痛みを感じてくれた。


 そっか、あるんだ……魔法。私の心はもう、その不思議現象に夢中となった。


「これってさぁ、その異世界の人なら誰でもできるの?」

「いや素質があって、そんでもってしっかり練習しないと無理かな。でもなんで?」

「だって、素敵だから。それで私もやってみたいって思ったの。魔法がこの世の中にあるんだなんて本当に感動したから。実は昔からファンタジーに憧れが……え?」


 あれ? 私、何言ってんだろう。思っていることがスラスラ頭から口を通して外に出ている。心なしか頭も少しふわふわしていた。


「っと……すまん」


 湊兄が苦い顔をすると、途端に浮いていたお湯が浴槽に落ちていく。そしてその後、何故か湊兄の長い耳がまた短くなってしまった。それからしばらくして、私の頭のふわふわも消えていった。


「えっと、今のは?」

「──あのね、ミライちゃん。簡単に説明すると、この耳を隠す魔法を切ったせいで、魔力の回復量が消費量を上回っちゃったみたい」


 突然、話し方が変わった。もしかして、リアちゃんに代わったのかな。


「それで余剰になった魔力があなたの中に入って悪さをしたようだね。何か気持ちと言動に違和感はなかった?」

「あった……えっと、なにかこう思ったことを口に出しちゃうというか……」

「やっぱり。それ、私たちの世界では『精神支配魔法』って言う魔法の効果なんだ。自分の魔力を相手の中に満たすことで精神を麻痺させるところがこの魔法のスタートなんだけど、まさか余剰魔力だけで発動しちゃうとは……」


 ええと……つまりさっきの私は魔法にかけられていたと? 精神支配なんてそら恐ろしいことを言われて少しドキリとしてしまった。


「ミライちゃんからはまったく魔力を感じない。きっとミナトの世界の人間は皆そうなんだろうね。魔力に対して全くと言っていいほど抵抗力がない。だからこんな簡単に麻痺しちゃうんだ」


 ひとりで納得するようにリアちゃんはうんうんと頷いていた。なんだか研究者みたいだ。


「抵抗力があると、さっきみたいなことにはならないの?」

「簡単にはならないね。でも魔力には個人差があって、無理やり沢山の魔力を他人に送り込むと、さっきのミライちゃんみたいなことになるの」

「そ、そうなんだ」

「で、それを繰り返すと、『入ってくる魔力に負けないぞー』って身体の防衛本能が働くのか、抵抗力が底上げされるらしいんだ。偶然だけど、私の友達がそうだった。毎日のように魔力を流し込んでたら、ある日突然魔力が成長しててね」


 饒舌だ。リアちゃんは魔法博士ってやつなのかな。分かりやすく話をしてくれているのは分かるけれど、私には半分くらいしか理解できない。


 つまり、私は──


「さっきみたいなことを繰り返せば、私も魔法が使えるようになるってこと?」


 そんなことを尋ねていた。私は魔法に憑りつかれてしまったみたいだ。


「それはわかんない。でも精神支配が効いたってことは、身体に対して魔力が同じ効果を発揮するんだ。可能性はあるよ」


 だからリアちゃんのその言葉に内心、「やった」と思ってしまった。

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