第179話 Another View 「帰ってきた理由」
「あなたが湊兄なのはわかった。それで、これからどうするの?」
「どうする、ね。うーむ」
私が尋ねると、湊兄は手に付いた塩を軽く舐めとり、何やら考えるしぐさを見せた。
「どうしよう?」
「いや、『どうしよう』って……そもそも湊兄は何しにここまで来たのさ」
「それは……だな、実はこれといった目的があったわけじゃなくて、色々あって『帰れるじゃん』ってなったから帰ってきただけなんだよ」
「ええ?」
異世界からやって来たという湊兄。でも、その目的は、まさかの思いつき?
「ただ、日本に来られたのはいいものの、元の世界に戻れないんだよなぁ」
「なんで? どういうこと?」
「えっと……分かるように説明するのが難しいんだが、俺たちは日本に来るのに『魔力』っていう、こう……なんか不思議なパワーをいっぱい使ったんだ」
「不思議なパワー……」
なにそのぶん投げワードは。何も分からない。しかし、彼が説明に窮しているのは十分に伝わってくる。
「そのパワーは放っておけば自然に回復するもんなんだが、世界を越えるような現象を起こすには回復分だけじゃ足りないってわけ。充填する方法はあるにはあるけど……ちょっと状況的に難しくて──って、聞いてるのか?」
「あー、うん、聞いてるよー」
理解しているとは言っていないけどね。異世界とか魔力だとかいう突飛なワードが出てきたことは、正直目の前の女性が湊兄だっていう驚きに比べたら大した事はない。つまり湊兄の事と同じで「感じろ」ってことなんだろう。
「じゃあ湊兄はそれが何とかなるまではここにいるってことなんだね」
「まあ、そうだな。すぐにはどうしようもないし」
「そっか。じゃあウチにこない?」
「ウチか……うん、そうだよな……他に行く当てなんてないし」
肯定しつつもなんだかモジモジと煮え切らない態度だった。
「どうしたの? 嫌なの?」
「嫌じゃないさ。ただ、死んだ人間が今更現れて皆から変に思われないかな? そもそも信じてもらえるか?」
「今更!? じゃあどうして私に話しかけてきたの?」
「それはお前の方からだったろ? 逆にずっと気になってたんだが、どうしてお前は俺が俺だってわかったんだ?」
そりゃあもうあんな必死にエロ本を覗こうとするのは湊兄くらいなものだよ。
「なんとなくかな。まあ、雰囲気というか?」
でも優しい私はあえて言葉を濁してやった。
「今の湊兄は湊兄じゃないけど、仕草とか話し方とかが全く一緒だから皆すぐにわかると思うよ。それに、私にしたみたいに、私たちしか知らない思い出を話せば信じてもらえるはず。受け入れられるかどうかは……正直わからないけれど」
「そうか……うん、まあ、折角ここまで来たんだから、会ってみようかな」
湊兄が亡くなったあの日から、我が間地家は少しずつだけど徐々に落ち着きを取り戻しつつあるといってもいい。そんな折にわざわざこんな波紋を生むようなことをしていいのか、と躊躇う気持ちもある。でも、折角また会えたんだから、悔いは残らないようにしないと。それが湊兄を亡くして得られた、たったひとつの教訓だった。
私は湊兄の手を引いて、我が家まで向かう。
久しぶりに触れた彼の手は、白くか細く、少し力を入れただけで折れてしまいそうなくらい華奢だった。
湊兄は懐かしそうに周りの風景を見ている。彼が進学で東京に行ってから2年くらいかな。それからリアちゃんの身体に入って、かなりの期間が経っているそうだ。私たちの感覚からすれば、湊兄が死んでたった3か月だから、ちょっとだけ時間の流れが違っている。
「本当、田舎だよな」
懐かしの我が家に段々と近づいてきたところで、湊兄は呟いた。
「まあ東京に比べたらね。これでも結構、湊兄が出て行ってから色んな所が変わってるんだよ? たとえば、お向かいの山田さん家は農家を廃業して、田んぼだった跡地には大型スーパーが──」
「おぉ、マジじゃん……昔よくあぜ道とか探検したのになぁ」
「そだね。私と湊兄と……あとひま姉と」
その名を出した途端、リアちゃんの綺麗な顔が凍り付いた。
「えっと、向日葵はどうしてる? 大学に行ってるんだよな?」
「うん。市内の。家から通ってるから、今でも会おうと思えば会えるよ」
「そ、そうか……」
会って、とは言わない。それは彼と彼女の問題だから。私は私の思いを晴らせただけで十分なのだ。謝るにしても、仲直りするにしても、湊兄のしたいようにすべき。ただ、家族は違う。いなくなってしまった家族が、実は別人になってこの世界にいる。この事実を独り占めしたまま、私は日常を送れる気がしない。だから私は皆に彼女を、湊兄を紹介したいと思う。
そして、いよいよ私たちは慣れ親しんだ我が家へと帰ってきた。湊兄は何も言わずとも慣れた手つきで靴を脱ぎ、そのまま昔自分が使っていた靴箱の場所へとそれをしまった。
「あら、おかえりなさい。未来ちゃん今帰ったの?」
「ただいま、叔母さん。えっと、この人は……」
「あらあら外国の子かしら。大学のお友達?」
これ息子さんです、なんて私の口から伝えるものではないので、視線を湊兄の方へ向ける。
小さく頷いた後、彼は叔母さんへと向き直った。
「た、ただいまー。帰って来たよ……か、かーちゃん」
「…………はぁ?」
「お、俺だよ。湊だよ」
その湊兄の言葉に返事はなく、叔母さんの歪んだ顔がこちらへと向けられる。
「これは……どういうことかしら」
あ、ああ……。叔母さん、ニコニコしてはいるけれど、目は笑っていないよ。
「あ、いや、えっと、この人は湊兄で……」
「かーちゃん! 俺だよ! 本当に湊なんだ! 俺は事故で死んだけど、こうやって女の子の中で生きてる。信じられないと思うけど、嘘じゃ──」
ここは冷静に叔母さんがリアちゃんを湊兄だと信じられるようなエピソードを語らせたりすべきだった。しかし私たちは鬼の形相と化した叔母さんを前に、ただ情に訴えるだけのアピールを繰り返していた。
「──いい加減にしてっ!!!」
とまあ、そんなんだから怒鳴られてしまうのも当然なわけで。
結局、私たちは憤慨した叔母さんに家を追い出されてしまったのであった。
仕方がないので、私たちはあてもなく街中を歩く。
「かーちゃん、めちゃくちゃ怒ってたなぁ……」
「うぅ……どうしよう」
先ほどの失態で説得のハードルをかなり上げてしまった。どうする? 次は会ってくれもしないだろう。再チャレンジすら難しくなった。
「とにかく、日を改めた方がいいかなぁ」
「だな。俺も今日は疲れた。休みたいぜ」
わざとらしく間の抜けた顔をする湊兄。もちろんそうさせてあげたいところだが……。
「ねぇ湊兄、今晩はどこに泊まるの?」
「そうだなぁ……俺たち、戸籍もないから、ネカフェすら泊まれないだろ? そもそも日本円持ってねぇし。だから、まあ……野宿かなぁ」
「野宿って!」
発想がワイルド過ぎるでしょ!
「そんなの危険だよ! 湊兄はともかく、リアちゃんは若い女の子なんだから……」
「でも俺たち、東京からここまでくるのに2日ほど野宿だったぜ?」
「え、湊兄、東京からここまで来たの!?」
「うん。出発点が東京の下宿先だったからな。まあこっそり電車とか乗ったし、わりと楽な移動だったよ」
無賃乗車に野宿って、この可愛い顔してなかなかとんでもないことやらかしてるなぁ……。
そういうのも、さっき言っていた「魔力」とかいう不思議パワーでやっているのだろうか。
「な、なんにしても野宿はだめだよ! なんとかして私が泊れる場所を探すから、そっちの方向でお願い!」
「わかったよ。俺も別にしたくて野宿していたわけじゃないからな。未来が宿を用意してくれるなら甘えさせてもらうよ」
一人暮らしの友達を当たってみようか。隣町まで行かなきゃいけないけど……。眠らせてもらえるだけでもいいからって頼めばいけるかな?
「あ、そうだ……なあ未来。ちょっとワガママ言っていい?」
「えっ、何?」
「風呂に入りたい」
必死にメッセージアプリと向き合っていた私に、彼は無邪気な笑顔を向けて言った。
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