第178話 旅をする意味

 ご飯の後は王都にある史跡観光でも、と思っていたリアたちだったが、結局アトリが心配だったのですぐ帰ることに決めた。


 馬車を走らせ、アテリア家の屋敷についてみると、敷地内はどこか騒がしい空気に満ちていた。


「あっ!」


 なにかあったのか、とすぐ傍にいたおばちゃんメイドへ尋ねようとしたところ、ちょうどイオウ様が玄関のあたりにいるのが見えた。彼はどことなく慌てている様子で、俺は妙に嫌な予感を覚えた。


「おお! 魔女殿! ちょうどよかった! 大変なのだ!」

「何があったんですか!?」


 異様な慌てようにリアも不安を隠せない。


「それがだな、アトリ嬢が……」

「アトリがっ!?」


 嫌な予感は的中してしまう。リアは全身から汗が噴き出しそうになった。


 そんな……朝のアトリは確かに熱で辛そうにしていたものの重体にも見えなかった。それが半日も経たず……?


「アトリは大丈夫なんですか!?」

「いや、その……説明が凄く難しい状況でな。実際に彼女の顔を見てみるといい」

「っ!」


 リアは慌てて朝アトリが眠っていた部屋まで向かう。部屋の前ではアトリの為に呼び寄せたという女性の医者が頭を抱えていた。


「あのっ! アトリは!」

「ああっ、魔女さまですか!」

「アトリは無事なんですよね!?」

「えっとですね、無事ではあるんですが、私共には手の尽くしようもない状況になったというか……」

「どういうことですか!?」


 要領を得ない言い方だった。もうこれは直接見た方がいいな。そう思って、リアは急いでアトリがいる部屋のドアを開け放ち、ベッドの上にいるアトリへと視線を向ける。


「あ、リ……じゃなくてミナト?」

「アトリ! よかったぁ! 無事そう……んんっ!?」


 アトリはベッドの上でリンゴらしき果物を手にしていた。顔色も良く、声も普段と変わらない。無事といえば無事なのか? 少なくとも重篤には見えなかった。では何故イオウ様や医者があそこまで深刻そうにしていたかというと、アトリのその見た目の変化だった。


「アトリ、どうしたの?」

「え? どうしたって、果物を食べてたんだけど? あれ? ダメだった?」


 アトリはいつも通り、ピンク色のふわふわした髪を揺らす可憐な容姿だった。しかしひとつ違和感を挙げるなら、彼女がリアへ向ける視線の元だ。


「アトリ、その目はどうしたの?」


 アトリの瞳は輝きを放っていた。


「ああ……その、よくわかんないの。お医者さんにも見てもらったんだけどね」

「どういうこと? 体調は?」

「熱も引いたしもう平気だよ。むしろ昨日より調子がいいかも」


 熱を出して赤みがかった顔色はいつも通りに戻っている。変わったのは目の色だけだった。


「どういうことだろう……」


 訳が分からない様子のリア。しかし、この世界で瞳の色といえば、アレしかない。


(これさ、魔法位が上がったってことだよな?)

(え、魔法位が!? いやいや、そんな……数時間で≪褐≫から≪青≫に? そんなのありえる?)


 幼いうちは魔法位が成長することも稀にあるようだが、≪褐≫から≪青≫という数段飛ばしの大成長が起こるなんてリアの常識にはない。そして、イオウ様やお医者さんが頭を抱えていたことから純人社会でもそれは同じだろう。


 発熱に魔法位の成長。一体アトリの身に何が起きているんだ。


「ねえ、ミナト、それより宮廷料理はどうだった?」

「え?」

「だからご飯だよー! わたしも体調が良くなって、おなかが空いちゃってね。今からミナトたちと合流したいなって思ったくらい。まあ、お医者さんに止められちゃったけど」

「ああそうなんだ。ご飯は、えっと……」


 呑気なアトリに調子を狂わされる。俺も含めて、一体何が問題だったのか一瞬でわからなくなった。


「はぁ……アトリはもう……」

「え、なになに」


 目が青くなった? 魔力が上がった? でも本人は平気そうだし……まあ、深刻になる必要はないのかな。


「色々あってご飯はあんまり食べられなかったんだ。だから屋敷で用意してもらおうかな」

「そうなんだ」

「食べられそうならアトリも一緒に食べる?」

「うん!」


 そのアトリの可愛い笑顔は、母への確実な手掛かりに加えて、大切な人の身に起きた異変で摩耗したリアの心を麻痺させるようにジンワリと浸透していく。


 まあ、まだ慣れていないから見た目に若干の違和感もあるけれど、青眼もアトリになかなか似合うと思う。結局そんな結論に落ち着いた。


 もうあれこれ考えるのをやめて、次に目を向けよう。


「アトリ、もう本当に何ともないの? ご飯は結構食べてたみたいだけど」

「うん。全然大丈夫だよ。むしろ元気いっぱい!」

「ふふ、そっか。じゃあ明日、デートする?」

「うん! 今日、どこか面白いお店見つけた?」

「そうだねぇ……スティアはどこか気になるところはあった?」

「えっと、中央区のはずれにあった織物屋が──」


 リアたちはひとつ区切りの前にかしましく盛り上がった。


 これからまた移動に日々が続く。少し全員で息抜きをする時間をとってもいいのではないだろうか。


 翌日、リア達は朝からアーガスト衣装を着込んだ。


「ねぇねぇ、リア。わたしの選んだ衣装どうかな?」

「やっば……綺麗……めっちゃ似合ってる! 絵柄は鳥……かな?」

「うん! かわいいでしょ」


 仕立て屋で散々悩んでいたアトリだったが、結局鉛色が基調の下地に明るい象牙色の絵柄をチョイスしたようだ。ちなみに絵柄自体はデザインに馴染む象形チックな鳥なのであんまり可愛くはない。しかし全体を俯瞰して見てみると、なんだかハツラツとした印象のアトリとは対照的に、大人な雰囲気が出ていてグッド。アーガスト衣装としては若干地味目な配色ではあるが、誰から見てもこれは綺麗な全体像だ。


「わ、わたくしはどうですか!」

「おお……スティアは逆に可愛い感じだね。その下地の色使いが金髪に映えるというか……」

「ほっ……」


 スティアは安堵のため息を吐いた。リアがスティアにダメ出しするはずないだろうに。というか、そもそも彼女に関しては全く心配していなかった。


 紅赤を基調とした下地に黄色の月を浮かべた彼女の衣装は、可愛げがありつつもどこか蠱惑的な魅力を醸し出している。普段の落ち着いたスティアに比べて、これは新鮮な顔だ。


「やばいね。こんな素敵なふたりと街へ繰り出したら、きっと皆に見られちゃうよ」

「それを言うならリアだって、凄く可愛いから目立つんじゃない?」

「私は威圧振りまくから大丈夫」

「それは違う意味で目立ちませんか?」


 とにかく、今度こそ念願だった3人デートだ。また昨日同様にアテリア家の馬車を借りて、ラピジアの街へ繰り出す。今だけは使命を忘れて、リアはデートを楽しみ尽くすのであった。


 残念ながら今日は宮廷料理のお店には行けなかったけれど、首都の様々なお店や観光名所を巡ることができて、アトリもスティアも楽しそうだ。


(よかった。2人とも笑顔だ)

(ああ。ラピジアに来た時はひたすら胃が痛かったけど、最後にこれを見れてよかったな)


 俺も城で神経をすり減らした甲斐があるというもの。








「───というわけで、明日ラピジアを発つ予定です」

「なるほど……では、件の商会へ紹介状を用意しましょう」

「急で申し訳ないですが、よろしくお願いします」


 アトリが熱を出した3日後、アイロイ様へ別れの挨拶するためドンエス侯爵家の屋敷を訪れていた。


 流石に国軍で一番偉いだけあって彼は忙しい。面会のタイミングを計り続けて、出発の前日にようやくそれが叶ったのだ。まったく、出発の日が伸びるかと思ったぞ。


「本当は私がシェパッドまでお送りしたいところですが……」

「いえそんなお手数を」

「実は孫のリューロイに供をさせようと準備をさせていたのですが、あやつ情けないことに体調が悪いと言って寝込みはじめましてな」

「いやいや! こちらは別に大丈夫なので!」


 マジかリューロイ君……。そこまでリアのことが怖いとは。これも魔法への感度の高さ故にリアの実力を誰よりも見抜いたからなんだろう。


「ご自愛ください、とお伝えください」

「ありがとうございます。孫も喜びます」


 いや喜ぶかなぁ? 彼には関わらないことが最大の配慮な気がするが。


 まあ、それはともかくリアがラピジアを出発するということで、アイロイ様とも再び別れる事になる。別に俺たちはこの純人の爺さんに対して全幅の信頼を置いているわけではないが、この国でもっとも世話になった人物であることは確かだ。


「アイロイ様、本当にお世話になりました。この御恩は忘れません」


 だから別れ際には少しだけ人より深く頭を下げる。


「何をおっしゃいますか」


 そう言って、アイロイ様は爽やかにほほ笑んだ。


「実は昨日陛下にお願いして、王家所有のマジックバッグを拝見させていただいたのですよ」

「え?」

「まあ仕込まれた魔法術式はまったく理解できないものでしたがね」

「はぁ」


 別れの挨拶をしたというのに、彼は取り留めのない話を始める。だがその表情が本当に穏やかで、リアは困惑しつつも黙ってそれを聞き続ける。


「でも、だからこそ挑みたいと思いました。あなたのように伝説の魔女の領域へ少しでも近づきたい。もう老い先短い身でありますが、そんな風に思えるようになったのはあなたとの出会いのおかげです。こちらこそ、あなたに感謝します」


 アイロイ様はリアに負けないくらい深く頭を下げた。


 純人の男だというのに、リアが目の前の人物に送る視線にはきっと尊敬の色が滲み出ていただろう。彼の魔法に対するストイックさ、変人といっても過言でない探求心を、リアは認めざるを得なかった。


「それでは、さようなら。またラピジアに戻った時には魔法の話をしましょう」

「ぜひとも!」


 固い握手を交わす。それからリアは用意してもらった紹介状を大事そうに懐にしまい、アイロイ様の元を去った。


(やっぱりさ、誰かと出会うことで人は進歩するんだよね)

(なんだ急に)

(いやさ、前にフォニも言ってたけど、誰にでも停滞ってあるでしょ? 行き詰って淀んで。でも、それって唐突な出会いとかそういうもので思ったよりも簡単に解決しちゃうんだなって)

(まあ、そうだな。世界にはいろんな考えの人がいるから。人間、繋がってなんぼだよな)


 それは勿論危なくもある。ピロー村の人たちみたいに突然牙をむいてくるかもしれないから。だが、形が揃えばそれはハッキリと自分にとってプラスの相手となるだろう。まあ当たり前のことを言っているけれど。


 つまるところ、リアはこう言いたいのだと思う。「旅に出てよかった」と。


 家族を見つけるためという、語るも涙の悲しいバックがあったとしても。


 それは目の前に母の手掛かりがぶら下がった状況だからこそ感じた思いなのかもしれない。

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