第176話 発熱

 楽しみにしていたデート当時の朝、予期せぬ事態が起きた。


「うぅ……ごめんねぇ……ふたりともぉ……」


 アトリが熱を出したのだ。きっと旅の疲れが出たのだろう。思えば、今まで一度も体調を崩さなかったのが不思議だった。


 しかし、何も今じゃなくていいのにな。アトリもなかなかもっていない。


「仕方ないよ。今日はゆっくり休もうね」

「うん。でもふたりはデート行ってきて?」

「何を言うのさ。アトリがいなきゃ意味ないよ」

「でも、せっかく予約が取れたのに」


 昨日イオウ様が予約をとってくれた店は明日から店主が出張でいなくなるとかで、今日が唯一の営業日となる。運がいいのか悪いのか分らんな……。


「ミナト、いってきて? スティアも楽しみにしてたんだから」

「えっとわたくしは……」


 スティアもアトリがいない状況では心から楽しめないだろう。


「わたしはだいじょうぶ。また次があるから」


 赤い顔でアトリは微笑んだ。その健気さに異様に涙腺を刺激されるリアであった。


「魔女殿、医者を呼んでいるからここは任せてくれ」

「イオウ様、その医者って汚いオッサンじゃないですよね? だったらアトリを任せられないです!」

「い、いや、そう言うと思ってちゃんと女性の医師を用意したぞ……」


 あまりの形相に狼狽えるイオウ様。コイツ本当アトリの事となると失礼だな。


 とにかく、これ以上俺たちが側にいてもアトリには何もしてやれない。治療魔法で病気を治す術をリアは知らないのだ。亜人は病気にかかりづらいからな。


「うーん、いまいち楽しめないかもだけど、行こうか」

「そうですね……」


 結局辛そうなアトリに別れを告げてリア達は街へ出ることになった。それが他でもないアトリの希望だったからだ。ただアーガスト衣装を着ていくのは今後の機会に取っておく。


「でもアレだね。今度アトリと行くときの予行演習と思えば、行く価値はあるかも」

「そうですね。アトリさんの好きそうなものを色々リサーチしましょう」


 次のデートを120パーセント楽しむため、リアたちは街へと繰り出した。……馬車で。貴族となったリアはこれから国内では馬車移動をしないといけないらしい。今はアテリア家から足を借りることが出来るが、これ地味に面倒だな。


 ひとまずリアたちはラピジアで庶民が着るような服を売っている店へ向かった。もちろんお忍びという体でいろいろ面倒な手順を取ったのは言うまでもない。


「いやっしゃい──あ、亜人!?」


 庶民が通う店だからだろうか、店員は不躾な態度をスティアに対して取る。だが、この純人中心の南大陸では普通のことだ。むしろ入れてもらえるだけネイブルなんかよりマシなのかもしれない。


「スティア、どうかな。アテリアの店と比べて」

「そうですね。品揃えは間違いなくこちらの方が良いです」

「でもなんだかやっぱり意匠はちょっとゴテゴテしてるね」

「まあ、王都ですから」


 伝統的なアーガスト衣装まではいかないが、富裕層の多い王都ということもあって庶民向けの服でもそれなりに騒がしいデザインが多い。これはこれでオシャレの形なんだろう。


 リアたちは小一時間服屋を見て回った。ここでは最低限の洗い替えの服を購入するに留まる。正直、ここはリアだけでは楽しめない部類の店だった。やっぱりお洒落さんのアトリがいないとな。


 次にリアたちは生活用品店を訪れた。店構えを見た感じ、ランクは富裕層向けだ。


(あ、綺麗な石鹸。珍しいね)

(おお。そうだな)


 高級店ということもあり、ここには日本の薬局で売っていそうなくらい綺麗な形の石鹸が置いてあった。値段は……当然高い。


(しょうがない。ミナトの為に買ってあげよう)

(マジで? いいのか?)

(いいのいいの。ミナトも城では頑張ってくれたしね)


 だがリアは躊躇なくそれをまとめ買いしてくれた。確かに年金をもらった今財布は温かいのだ。


 しかし石鹸が自分へのご褒美レベルになるとはな。改めて違う世界って感じがする。


「ミナトさんは石鹸が好きなのですか?」

「うんうんそうなの。ミナトも何だかんだ4年は私の中にいるからね。すっかり中身が乙女になっちゃったのかも」


 乙女からほど遠いヤツが気持ち悪いこと言うなよ……。







 いくつかのお店を回っている内に宮廷料理のお店の予約時間が来た。リアたちは少し余裕をもって馬車で向かう。


 正直なところ、お店自体に大した期待はない。それは味というよりもホスピタリティの面で。だってほら、今隣にはスティアがいるから。


 残念ながらラピジアの多くの店で亜人であるスティアへの風当たりは強かった。皆がまるで解き放たれた獅子のごとくスティアを怖がるのだ。


「こんなに美人なのにね? どうしてみんな怖がるんだろう」

「エルフとはそういうものです。仕方ないですよ」

「いやでもアテリア家では芸術品扱いだったじゃん」

「それはわたくしが純人によって育てられたエルフだと皆知っていたからです。魔法の使えないエルフは矢の無い長弓のようなもので、逆に言うと、今こうして魔封じの枷もなく出歩いている状態は傍から見て常に矢を番えながら街を闊歩しているようなものなのです」

「へー」


 そういえば、純人の目にエルフがどう映るかということを深く考えたことがなかった。リアが故郷で受けた仕打ちを思うと、純人はエルフを希少なペットくらいにしか考えていないと思っていた。勿論そう思っている部分はあるだろうが、一番はそこじゃない。


(純人は亜人エルフが怖いんだ)


 魔法位の高い個体が多く、若い肉体が永遠のように続き、病気にも強いときてる。そりゃあ、そんなのが近くにいたら手枷でもつけとかないと安心できない。……というのが弱者の視点だろう。


 勿論手枷をはめられた経験のあるリアからすればたまったもんじゃないが、ある程度気持ちを察することが出来るようになったのはこの子の成長なのだろう。


 とはいえ、例えポーズだとしても、リアはスティアに枷をはめることはしない。予約したお店にも当然スティアをそのままの姿で入れた。


「ひっ! エルフ!?」


 だからこうやって店のお姉さんにビックリされることはわかってはいた。


「エルフはダメなの?」

「あの、その……出来れば枷をつけておいてほしいです」

「どうして? スティアは魔法が使えないんだよ?」

「え? そうなのですか? いや、でも……」


 お姉さんはブツブツとあれこれ考えつつも、最終的にどう対処するか決めあぐねているようだ。見た感じ若いし、それに雰囲気的に新人ぽさがある。


「いやウチのスティアはそんなに怖くないよ。だってほら、こんなに美人さんなんだもん」

「確かに……って、それとこれとは関係ありません! 前に別のお客様がエルフを連れて来たときはもっと厳重に魔封じを施されていましたもん」

「へぇ……えっ?」


 今さらっと凄い情報が聞えてきた。


「待って、この店にエルフが来たの?」

「はい。そうですが」

「く、詳しく教えてっ!」

「え、えっと、半年前くらいですかね。豪商を自称するお客様が予約なしで来られたんです。その際、生成きなり色の髪をした女エルフを連れていました。……いやあ、あの時は大変でしたよ! 来るのは急だし、料理はたくさん残すし、エルフはすっごい睨んでくるし……」


 俺は咄嗟に、彼女の証言をリアの代わりに受け取っていた。リアが突然茫然としてしまったからだ。


 理由はわかっている。生成きなり色の髪をしたエルフ。それだけの不完全な情報だけでリアは察した。


 間違いない。そのエルフこそリアの母、エルメルトンのことだ。


「ミナトさん?」

「あ、いや、なんでも……」


 スティアが心配そうに顔を覗き込んでくる。彼女に今のリアの感動が伝わるだろうか。


 ついに探し求めていた人の情報が尻尾を見せたのだ。リアは今にも泣きだしそうなるが、ぐっとこらえる。


「その客のことってまだ覚えてる?」

「え? ああ、はい。多少は。何度もしつこくエルフを自慢されましたから」

「その話、詳しく聞いてもいいかな?」

「あの、えっと、それよりそのエルフをどうするかオーナーに聞かないと……」

「じゃあ、聞いてきて。ついでに『紫雷の魔女』が来たとも伝えといてね」

「え? ああ、はい……」


 頭にハテナを浮かべたお姉さんはオーナーへ報告に言った。リアのことは知らないみたい。

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