第165話 スティアの気持ち
結局この日もギルドへの挨拶は出来ないまま、夜を迎える。
「アトリ、スティア、ごめんね。遅くなっちゃった──あれ?」
部屋に戻ったリアは待ちぼうけを食らっていたであろうふたりへ声をかける。が、返事がなかった。不思議に思って部屋の奥へ進んでみると、そこには──
「えっ……!」
ベッドの上に座って見つめ合うふたりの姿が……! アトリはスティアの肩に手を置いて、ふたりの顔が今にもくっついてしまいそう。何だこの視力の上がる光景は!
「ちょちょちょーっ! 何してんのふたりとも!?」
だが、それに割って入る邪魔者がいた。まあ、リアのことなんだけどさ。
「あ、リア。おかえりー」
「おかえりー、じゃないよ! なんでふたりともこんなことになってるの!?」
「こんなことにって?」
「今にもチューしそうじゃん! なんでっ!?」
驚くほど取り乱すリアの姿。裏から見ていて必死すぎてキモイな。
「そりゃあチューしようとしてたからね」
「なんでっ!? なんでなんでなんでなんでぇ!」
「ええっ……! ちょっ、リア、泣かないでよ……」
リアはアトリの胸に顔をグリグリと擦り付けながら涙をながしていた。紛う方なきガチ泣きだ。
相変わらずリアがバチクソ独占欲丸出しなのは脇に除けておいて、アトリがスティアとキスしようとしていたという事実は確かに気になる。いや、それがよくないというわけではなく。
「アトリぃ……なんで私をのけ者にするのぉ……」
「リア……それだよ」
「え」
アトリの言葉にやっとこさグリグリをやめたリアの視界には、少しだけムッとした表情のアトリがいた。
「わたしたちさ、日課とか言ってここ最近ずっとスティアをのけ者にしてたでしょ?」
「え、いやそんなつもりは……」
「スティア、ずっと気にしてたみたいだよ?」
アトリの視線が隣で小さくなっていた金色頭へと向く。
「スティア……そうなの?」
コクン。スティアは小さく頷く。
「ご、ごめん……スティア。でも私、そんなつもりはなくて……だって、これってそんな気軽にするもんじゃないし」
「リア、そういうのってスティアにはまだわからないと思うの」
すかさずアトリから助言が入る。
「相談されるまで気が付かなかったわたしも悪いけれどね」
「いやアトリは悪くないよ……スティアにはちゃんと説明するね」
リアはまっすぐスティアへと向き直る。
今までなんとなくぼやかしていたことを伝えるのだ。
「えっと、あのね、スティア。こう口と口を合わせるキスっていうのは、大好きな人同士ですることなんだよ」
「大好きな人同士……リアさんとアトリさんはそうですよね。では、やはりわたくしは違うと」
「えっ……いや、まあそうだけど、違うの」
「どっちなの……」
アトリに突っ込まれるリア。情けないけれど正直これは仕方ないと思う。
スティアはリアにとって80歳くらいのチョー年上女性であるが、感情への理解という面ではリアよりもかなり劣っている。そんな彼女にキスだの好き合っているだのとか話すのは、なんだか幼子にテレビで流れたお色気シーンを説明するみたいで気恥ずかしい。さらに言えば、今の登場人物全員女ってのが説明を難しくしている気がする。
「私はスティアのことが好きだよ? でもそれはアトリへの『好き』とはちょっと違うの。なんというかこう……スティアは守ってあげたい感じの『好き』だけど、アトリはめちゃくちゃにしたい感じの『好き』っていうかね。うん」
「え、リアってばわたしのことそんな風に思ってたの……?」
「あー! 離れていかないでアトリ! そうじゃなくて、私はスティアのことを考えてってことなの! だってそうでしょ!? スティアはアトリと違って私を愛してるってわけじゃないし! それならキスなんてしないほうが──」
そこまで言って、続きの言葉はリアの口から出てこなかった。
「むぅ……」
「ひっ」
なぜなら、アトリが今まで見たことないくらい怒っているのが、その表情から分かったから。
「ねぇ、リア」
「な、なに?」
「どうしてスティアの気持ちをリアが勝手に決めるの?」
「え?」
「え、じゃないよ。どうしてリアはスティアがリアのことを大好きじゃないって決めつけてるの?」
「そ、そんなの、だってまだ出会ったばっかりだし……」
スティアの場合、アトリと違ってふたりの関係に深い絆があるわけではない。それは新しい一歩を踏み出したスティアとこれからゆっくり育んでいけばいい。そう俺も思っていたのだが、当のスティアはもうそんな段階にないようで、潤んだ瞳でこちらを見ていた。
「リアさん。わたくしは確かにものを知りません。それは知識に留まらず自分の気持ちでさえも」
「う、うん」
「しかし、考えることはあるのです。人が他人へ向ける熱を帯びた視線のことを。アテリア家でもそれは感じていましたから」
ああ、そうか。愛だの恋だのってずっとアテリア家にいたスティアには知る由もない事だと思っていたが、あそこには少なくとも2組はカップルがいる。スティアが彼らを見て一体何を感じとったのか。
「『好き』『愛してる』そういった言葉に込められた気持ちは、おそらく単純なものじゃないはずです。『ありがとう』とか『頼りになる』とか『綺麗』、『甘えたい』とか……あと『唇を合わせてみたい』とか、いろんな思いで出来たものだと思います」
「それはそうだよ。言葉なんて本質じゃない、ただのツールだもん」
「そうですね。だからわたくしはひとつひとつ考えました。今の自分の気持ちを。そして、それをアトリさんに相談をしたのです」
それを聞いてふとアトリを見ると、彼女はむふんと効果音が聞えてきそうなドヤ顔だった。可愛いな。
「ふたりでいっぱい話をしたんだよねー」
「そうだったんだ……」
「はい。慣れない環境にいることの不安や連れ出してくれた貴女さまへの感謝。おふたりが毎夜唇を合わるのをひとり見る時の、胸に湯気が溜まるような嫌な感触の正体」
それを聞いてリアの心臓は高鳴りをはじめる。
「アトリさんと話をして、ひとつの答えが見つかりました。おそらく、わたくしは好きなんだと思います。リアさん──」
「スティア……」
「そしてアトリさんのことが」
…………。
「え、アトリも?」
一瞬の沈黙のあと、リアは間抜けな顔で言った。
「なによー! わたしのことも好きでいいでしょ!?」
「えーっと、いいんだけど……って、もしかして、ふたりがキスしようとしてたのって」
「うん。わたしたち、両想いだからね! そりゃあキスするよ」
……いや、どうだろう。両想いか。俺から見てふたりの間に百合的恋愛感情があるとは思えない。リアとアトリがどうかと聞かれるとそれもまた複雑なんだけど。
(なんか、アトリってすごいね……)
(まあ、この子もスティアに劣らず世間知らずだからなぁ……)
そしてその世間知らずに色々と教え込んでしまったのは他でもない俺たちなのだ。ここでアトリの言うことを否定してしまうことは少々バツが悪かった。
「まあ、両想いなのはわかったよ。それで、スティアもアトリとキスするの?」
「もちろんです」
「えっと別に怒ってるわけじゃないんだけどさ、その、後悔しない?」
「どういう意味ですか?」
本当にわからないみたいで、スティアは首を傾げる。
「あのね、初チューは1回だけなの。その1回をスティアは今使ってもいいのかな? これからもしかしたら、私たちよりももっと好きな人ができるかもしれないよ? その、ムカつくけど、男の人とかさ」
「…………そう、ですね」
結局リアが引っかかっているのはそこだった。確かにスティアはリアとアトリを好いてくれているのかもしれない。けれど、それは今この状況が生み出した一時の感情に過ぎない。アテリア家から連れ出してくれたという恩義が姿を変えて、恋愛感情のように見えているとか……まあ、そんな感じ。
人生には後悔が付き物で、時にそれは人を成長へ導くけど、ないに越したものではないと思うから。
「確かに、アトリさんへの口づけは早計に失するところがあったかもしれません」
「ほらやっぱりね」
「だから、一番はリアさんと口づけをしたいと思います」
「はえ?」
リアが呆気にとられる間隙を突いて、スティアはリアのすぐ目の前までやってくる。
「リアさん、好きです。わたくしを連れ出してくれてありがとうございます」
「え──むぅ……」
驚くくらいスムーズに始まった接吻は、スティアから漂う花の香りを感じている内に終わった。
真っ赤な顔になったスティアはそのままアトリの前へ。
「アトリさん、優しいあなたが好きです」
「うん。わたしも綺麗なスティアがすき」
今度はアトリと軽い口づけを交わす。
(どうしてこうなった……)
決してスティアを不幸にしない、というエリー様との約束を守るため、リアはスティアに対してかなり慎重に関係を進めようと思っていた。だが、とんでもないスピードでリアたち3人の関係性はピンク色に変わってしまった。
またエリー様と会うようなことがあったら、彼女に対してなんて言い訳をしようか。リアの頭にそんな考えがよぎる。
(…………ま、いっか。スティアも幸せそうだし)
が、目の前にいる真っ赤な顔をしたスティアを見て、もはやすべてを受け入れようと思った。
決して面倒くさくなったとか、彼女の色香に惑わされたとかそんなはずではない……と思う。
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