第161話 Another View 「変わってしまったあの人」
「湊兄?」
「へ?」
「あ、えっと……」
私がつい声をかけてしまったのは、知り合いでも何でもない少女。薄紫の髪に夕焼け色の瞳という日本の鄙びた書店にまったく似つかわしくない容姿を持った彼女は突然のナンパに驚いたのか、あんぐり口を開けながら私の顔をじっと見ていた。
いや何してんのよ私は……。
「ごめんなさ──」
「未来!? どうして俺のことがわかった!?」
私の言葉に被せるように少女は言葉を荒げる。
わっ、日本語うまっ! じゃなくて! ええっ?
「あの、どうして私の名前を知っているのかな?」
「はあ? 何を言ってんだ? 未来の方から声をかけてきたんだろ? なんでかは知らんが、俺が『湊』だってのに気付いて」
うん? ヤバい。私、今目の間にいる人物の話が1ミリも理解できない。今ちゃんと日本語だったよね?
「あーマイネームイズミライ」
「今さっきまで日本語で喋ってたじゃん! おいおい大丈夫か?」
「いや、だって、そんなのありえないし……」
言語中枢……というよりも頭そのものがおかしくなってしまったらしい。こんなに可愛い女の子が湊兄みたいな喋り方で、私の事を「未来」と呼ぶ。幻覚にしても白昼夢にしても、今の自分の状態は危機的と言ってもいいだろう。
ダメだ。帰って一旦横になろう。私は店の外へ向けて歩き出す。
「ちょちょっ! 待て待て! どこへ行くんだ!?」
「え、なにー! 腕重い! なんで!?」
「それは俺が掴んでるからだよ! お前なんで逃げるんだ!」
「やーっ! 怖いぃぃ! 幽霊にからまれてるー!」
「誰が幽霊だっ! 落ち着けっ!」
錯乱した私は自然と今の怪奇現象に幽霊という結論を出した。いや、これは結論なのかな? なんでもいいから早く悪い夢は醒めてー!
必死に念じるが、今私が意識を保っているこの瞬間は疑いようもなく現実である。
「外でやりな!」
それを裏付けるように、本屋のおばさんは店の中で騒ぐ女子2人を店の外へと追い出した。
「未来のせいで怒られちゃったじゃん」
「いや湊兄のせいでしょ……あっ」
まただ。また私はこの少女を湊兄だと誤認してしまう。いくら言葉遣いや息遣いが似ているからって、全くの別人でそれも既にこの世にいない人と勘違いしてしまうなんて。
「いや、合ってるよ。未来。俺、湊だから」
「そんなのおかしいでしょ……だって、あなた女の子じゃん。それに湊兄は3か月も前に……」
「ああ。でも、実際にここにいる。死んだけど、今は他人の身体を借りているんだ」
「他人の、って。なにそれ、めっちゃ悪霊じゃん」
「…………かもな。はは」
湊兄を自称する少女は小さく笑った。その可憐な笑顔に溶かされていくように、私の恐怖や不安感は小さくなっていった。
「とりあえず、どっか店入んないか?」
湊兄みたいな口調のくせにやたらと可愛い表情で少女は言った。
なんだかよくわからないけれど、もう少しだけ付き合ってあげる。今日だけはもっと湊兄のことを考えていたいから。
「はぐっ! ううぅぅ……しょっぱ! うまっ!」
湊兄を名乗った少女は目に涙を浮かべながら、セットで550円のハンバーガーに噛り付く。
今まで食べる機会がなかったのだという。最初はどこのお金持ちの子だ、と思っていたのだが、話を聞いてみると食生活の違いとかそういう次元ではなかった。
なんでも、彼女は世界一有名なこのハンバーガーチェーン店が存在しない
ああ、そういうの流行ってるよねー、って感じ。
「つまり、湊兄は自分が死んだと思っていたら、その身体の持ち主、えっと、ヴィアーリアちゃんだっけ? その子に乗り移ってたんだね?」
「ああ、そうだ。──あっ、『私の事はリアでいい』って、この身体の持ち主が言ってるぞ」
「えっ、そうなの? じゃあ、リアちゃんで」
乗り移った女の子の自我は今も湊兄と共にあるらしい。そしてこの身体の中で常にコミュニケーションをとっているのだという。
「ちなみに私もリアちゃんとお話ししたりできる?」
「ああ勿論だ。交代しようか?」
「うん。お願い」
さあ、元の人格はどんな感じなのか。
リアちゃんのポテトを摘まむ手が不意に止まる。
「あれ? もしかしてもう代わってる?」
「うん。代わってるよー。初めましてミライちゃん」
「わっ、凄い!」
今まで記憶の中にある湊兄そっくりの話し方をしていたのに、突然別人のように変化した。世界云々の話は別として、これで他人に湊兄が乗り移っているというオカルティック話に僅かながら信ぴょう性が出てきた。
「にしても、これしょっぱいねー。私もミナトの記憶があるから食べたことあるって言ってもいいんだけど、こうやって実際に食べるのは初めて」
「えっ、ああそうなの……。へぇ、記憶があるんだ」
「うん。だからあなたのこともミナトが知ってることは全部知ってるよ」
「そ、そうなんだ。例えば?」
知ってることってなんだろう。少し私は怖くなる。私たちの直近の思い出といえば、私が湊兄に酷い言葉を言ったことだ。
「そうだねぇ。折角ならお互いしか知らない事がいいかな。そう、あれはミライちゃんが小学校5年生の時の夏休み……」
「えっ……?」
そんな前のことを言われても、私の方が覚えていないんだけど? それこそ、強烈に記憶に残るような出来事でないと。
「一緒に見た心霊番組の内容を思い出して、ひとりで眠れなくなっちゃったミライちゃんがミナトの布団に潜り込んできて、それで朝起きたらおね──」
「わーっ! わーっ! だめだめ! なんでそんなこと知ってるのぉ!?」
それは彼女の言う通り、私と湊兄しか知らない出来事だった。盛大にやらかした私を湊兄は助けてくれた。自分が漏らしたんだって。当時彼は中学生で、オネショをしただなんて家族にすら知られたくないような年齢だ。運悪くその日はひま姉が早くから迎えにきていて……。それでも彼が私の名前を出さないでいてくれたことを今でも覚えている。
「だからミナトの記憶は全部知ってるんだって。これでわかってくれた?」
「う、うん……」
間違いない。今目の前にいる人物は間違いなく湊兄だ。
疑念はひっくり返って、別の確信に変わっていた。それを自覚した瞬間、今まで上手く器に収まっていた感情が突然あふれ出す。
「そっか、本当に、本当に湊兄なんだ……」
「そうだよ! あ、私じゃだめだよね、今代わるから」
姿形は変わってしまったけれど、確かにそこにいる。話ができる。
私はこの状況に感謝の気持ちを覚えた。たとえこれが居眠り中の夢だったとしても、私は私の気持ちを湊兄へ伝えることができる。私は私の後悔を少しでも晴らすことができる。
「あのね、湊兄、私、ずっと謝りたくて……」
「えっ、ああ、なんだ? てか泣いてんのか?」
「湊兄が浮気した時のこと」
「うっ」
少し彼は狼狽える素振りを見せる。そりゃあそうだよね。自分が一番後悔してることを人から言われちゃ。
でも、私は彼を責めたいわけじゃない。
「あの時私、湊兄に酷いことを言った。本当にごめんなさい」
「酷いこと?」
ピンときていなかった。
「えっと、だから、『最低』とか『もう話しかけないで』とか言っちゃったこと」
「……ああっ! あれか!」
湊兄はようやく思い出して手を叩く。そう……彼にとっては気にもしていないことだったのね。
「すまん。あの時は色々とな? それどころじゃなかったというか……」
「うん、わかってる。私がずっと気にしてるだけだから」
「そもそもそんなこと、別に気にしなくてもいいんだぞ? だって、誰から見ても悪いのはやらかした俺なんだから」
「それでも私は湊兄には優しくしたかったの!」
伝えられた。もう無理だと思っていた後悔を晴らすことができた。
「そっか。ありがとな。未来は優しいな。流石、自慢の妹だよ」
湊兄。姿は変わってしまっても、その優しい笑みは変わっていない。ずっと私の大好きな──
「妹じゃなくて、いとこね」
「未来、それ昔からよく言うよなぁ。いとこも妹も似たようなもんだろ?」
「……ばか」
湊兄は相変わらず違いの分からない人だ。
「湊兄のエッチなゲーム、妹ものばっかだったじゃん。だから妹だけはイヤなの」
「はぁぁぁっっ!? なんで知ってんのぉ!?」
鈍感でバカでエッチで……優しい湊兄。また会えて本当によかった。
こんなに優しい夢を見させてくれたリアちゃんに感謝だなぁ……。
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