第160話 旅路
「わたくしはご主人さま──ミナトさまと一緒に行きたいです」
スティアは結局、リアと旅することを選んだ。
リアはスティアがどっちを選ぼうと彼女に対して同じ気持ちを抱くように自分に言い聞かせてきた。しかし改めて選ばれると、そんなの無理に決まっているとわかった。
「うん。いこっか」
ヤバい。嬉しい。頬の筋肉がピクピク動くのを止められない。今、リアの状態を言葉に表すとそんな感じ。
最初はスティアを苦手に思っていたリアもとっくに彼女のことが好きになっていたのだ。もちろん恋愛的な意味ではない。綺麗な顔も服のセンスがいいところも、感情がない振りしてちゃんと人間らしく悩むところも気に入った。
でも、だからこそ、彼女が本当に幸せになれるならと、スティアに選択を迫った。
そして今につながる。リアはこれからスティアと一緒に旅できることが嬉しくて仕方ない。
しかし──
「待ちなさい……」
このまま簡単に丸く収まるはずないよなぁ。
「エリー、やめなさい」
「納得いきません! どうして長年あなたを飼っていたアテリア家ではなく、ぽっと出のその娘を選ぶのですか! 説明なさい!」
「やめろ! 決まったことに文句をつけるなんてみっともない!」
波乱を察知してコヘイ様がすぐさまエリー様を抑えようとするが、エリー様は声を荒げて抵抗した。
正直これは覚悟していたことだった。前にスティアを侍らせていた時は、スティアが自分に靡くことを確信しているような雰囲気だったからだ。
「スティア、こっちへ」
スティアが自分で考えて自分を選んだ以上、リアにとって彼女はもう守るべき対象だ。
リアは慌てることなく彼女を自分の背に隠そうとする……が、スティアは頭を横に振って、それを拒む。
「え、どうして?」
「ご主人さま。どうかわたくしの口からエリー様へ説明をさせてください」
「できるの?」
「できます……いえ、しなくてはならないのです」
そう言った表情からは覚悟が滲み出ていた。
本当はああなってしまったエリー様の前にみすみすスティアを行かせることはしたくない。でも、そのスティア本人が話すと言うんだからリアはそれを黙って見届けるしかなかった。
「エリーさま」
「スティア! 先ほどの言葉は間違いですよね? 私よりも長くこのアテリアで生きるあなたがこの街を去るだなんて……」
「いえ、エリーさま。間違いなどではありません。わたくしはわたくしの意思でミナトさまを選びました」
「なっ、なぜですか……」
「それは、わたくしも変わりたいと思ったからです」
エリー様はハッキリとしたスティアの主張を聞いて、今までの噴火のような激情から一転して弱々しくなる。
「変わりたい? どうして? いつまでも変わらないのがあなたたちエルフでしょう? そこがあなたの尊さだというのに……」
「変わらない……そう、わたくしも今まで自分をそういう存在だと疑っていませんでした。昔、あなたから言われた言葉がそう思わせていたのです」
「言葉?」
「『あなたのその美しい髪は、まさにアテリアの原風景。風に波打つ黄金の小麦畑のように輝いているわ』──忘れもしない、あなたからいただいた言葉。わたくしは嬉しかったのです。わたくしのような空っぽの存在でもあなたの癒しになれるなんて、と。そして、いつまでもこの家で栄光を彩る華になろうと」
「ならどうして……」
「でもこの家は、アテリアは変わってしまいました。当然、わたくしのような亜人にも領内の状況は伝わっていました。盗賊によって美しい麦畑は踏み荒らされ、わたくし自身が手放されるということも」
「し、しかし、マジックバッグは戻ってきました! 盗賊も減少傾向ですし、これからまたっ!」
エリー様は縋りつくようにスティアの腕をつかむ。が、スティアは優しくそれを引き剝がす。
「いえ、それではダメなのです。変わってしまったアテリアが元に戻るわけではないから。アテリアは今いる人間や、イオウさまたち新しい世代によって、常に別のアテリアへと生まれ変わり続けています。そこにわたくしのような停滞の象徴はいらないのです」
「そ、そんなこと……!」
「でも、わたくしだっていらない存在で居続けたくはない。まだ自分がどう変わりたいかボヤけていますが、ミナトさまのおそばでそれをハッキリさせたいのです。亜人の身分でそんなことを思う不遜をお許しください」
スティアは深々と頭を下げる。彼女の行為を邪魔する者はいなかった。
「エリー、もういいだろう」
「あなた……」
コヘイ様は声もなくただ涙を流していたエリー様の肩を抱く。
「確かにスティアの言う通り、良くも悪くもアテリアは変わり続けている。主たる我々も変わるべきなんだろう」
その言葉に対する返事はなかった。でもエリー様の中で何かが変わった気がする。涙を流しながらも、彼女の表情から絶望が伝わってこないからだろうか。
エリー様にとってスティアは過去のアテリアの栄光そのものであり、それが心の支えであると同時に呪いでもあった。それが取り除かれた今、彼女はどうなっていくのだろうか。そしてアテリアはどう変わっていくのだろうか。
残念ながら旅立つリアたちはそれを見届けることはできない。でも、またエリー様も笑える日が来るといいな。
その後、イオウ様が時間を知らせに来た。式典の開始時間が押しているようだ。
リアたちは慌てて会場の大広間へ向かった。そこには今までこの屋敷で見たことのないほど多数の人が揃っていた。彼らが情報屋だろうか。
会場に到着して、さっそく式典が始まる。貴族であるコヘイ様が壇上に立ち、それを拝むようにリアが片膝をつく姿勢となった。先日確認した段取りであるが、こう多くの人に見られると緊張する。
「翠級冒険者ミナト。マジックバッグ奪還および当家への返還、まことに大儀であった」
「は、はい」
いつもより威厳マシマシのコヘイ様。これが貴族か、と思わず圧倒される。
「その働きに報いたいのだが、そなたは何を望むか」
「は、はい! 恐縮ながら、私はエルフを所望します!」
「ほう、ならば当家のエルフをそなたへ
「ははーっ、ありがたき幸せー」
打合せ通り大仰な所作で頭を下げる。それからコヘイ様は老執事のイーティさんから一枚の紙を受け取り、さらにそれをリアへと手渡した。
リハーサルでなかったこれは……。
「それは当家のエルフ、スティアの権利書である。受け取られよ」
「か、感謝いたします!」
これを受け取ったことで初めてスティアはリアの亜人だということらしい。
まあ、そのあたりが
とにかく、これでようやくスティアは俺たちと一緒に旅ができる。彼女の望み通り、彼女がどう生きるかを見つけられるといい。
式典はその後も続いた。コヘイ様が今後のアテリア家の動きについて情報屋たちへ説明する、いわゆる記者会見。それが一番の目的だからだ。
踊る会議がごとく長く続く時間、リアは何とか眠ることなくそれを乗り切る。
そしてクタクタの状態で部屋へと戻った。
「リアおかえりー!」
「アトリただいま。ようやく終わったよ。明日、王都へ向けて出発するから」
「うん! わかった! 楽しみだね」
「アトリはもう……」
王都では国のお偉いさんとやり取りがあるかもしれない。だからリアは少し気が滅入っているのに、アトリはすごく呑気で思わずこっちの気も抜けた。
「ああ、そうだ。スティアは正式に私たちと一緒に旅をすることになったから」
「そうなんだ! 嬉しいね!」
「じゃあ、改めて挨拶しよっか」
そう言って、リアの後ろに控えていたスティアをアトリの前に立たせる。
「あ、改めまして、スティアと申します。アトリさま」
「違うってスティア。『アトリ』でしょ?」
「え、でも……」
「変わりたいんでしょ? 小さいことからどんどん挑戦していかなきゃ」
「そ、そうですね……うぅ……アトリ……さ……ん」
「おしい! でも、今はそれでいっか。ねぇ、アトリさん」
「うむ、そうですねぇ。リアさん」
ふたりが乗っかると、それを聞いていたスティアの口からクスリと小さな笑い声が漏れた。
「あっ、見て見て! スティアも笑ってるよー!」
「ア、アトリ!? その言い方はなんか胸が痛くなるからやめてっ!」
「えー?」
なんかリアが勝手にダメージ受けていたが、スティアとも上手くやっていけるような予感がする一幕であった。
そして翌朝。リアたちは王都ラピジアへ向かう馬車へと乗り込む。同行するのはイオウ様とその護衛の兵士たちのみ。
「ミナト嬢。また負担を掛ける。本当に申し訳ない」
「ああ、いえ、これが本業なんで」
もちろんリアも護衛に協力することとなった。こっちとしても他の冒険者に頼るより、自分で動いた方が確実だと痛いほどわかっている。
リアたちの見送りにはアテリア家の人間やその従業員たちが勢ぞろいしていた。たったひとりを除いて……。
「エリー様、やっぱり挨拶には来てくれないかな」
「仕方ありませんよ。選ばなかったわたくしなど、顔も見たくないでしょう」
「そんなことないと思うけどね」
どうなんだろう。俺はエリー様をそこまでいい人だと思っていないから、スティアが言ったようなことを思っている。だが、リアはどこかエリー様に対してリスペクトがあるというか。
「ミナト嬢、それでは出立するぞ!」
「あっ、はい。お願いします」
イオウ様が合図を出すと、嘶きを伴って馬車は動き出す。
「スティアー! さよーならー!」
「げんきでー!」
スティアへの激励が聞える。それは昔スティアと面識のあったおばさんメイドたちのものであった。しかし、それに対して大声を返すなんてことをスティアはしない。ただいつも通りに深く頭を下げる。
ガタガタと揺れながら馬車はゆっくりとアテリア家の邸宅から遠ざかっていく。スティアはずっとその方向を見つめていた。
十数年ブランクがあるとはいえ、スティアは物心つく前からずっとあの邸宅で過ごしてきたんだ。例え美術品のような扱いだったとしても思い出はある。
「申し訳ございません」
ずっとスティアを見ていたのを気付かれてしまった。
「別にいいのに」
「いえ、いつまでも後ろばかり見ていてはいけませんわ」
そう言って、スティアは馬車が進む方向へ体を向き直す。
その時だった。
「スティア! スティア!!」
しゃがれた声が聞えた。弱々しくもしっかりと響く声。
「あっ! 母上!? 足が悪いのにあんなに走って! ──すまん! ちょっと止めてくれ!」
イオウ様もその声に気が付き、大慌てで馬車を止めさせる。
リアとスティアはイオウ様と共に、車から降りてエリー様の元へ駆け寄る。
「はぁ……はぁ……スティア……」
「エリーさま!」
「ごめんなさい。あなたが行ってしまうというのに……私としたら本当に……」
「いえ、こうやってお姿を拝見出来てよかったです」
「ええ、私もそうね……あなたの顔を最後に見たかった」
最後に。そう言ったエリー様の表情はいつも彼女が醸し出していた忌々しさを一切感じさせない。
「そして、伝えたいことがあるのです」
「はい。聞かせてください」
エリー様はそのシワクチャな手で、包み込むようにスティアの手の平をとった。
「私の人生はずっとあなたと共にありました。嬉しいことがあった日も、つらいことがあった日も、あなたの顔を見れば不思議と安らかな気持ちになる。……昨日そんな気持ちをふと思い出したのです。そして、ようやく気が付きました。私はアテリアの象徴としてではなく、あなた自身を愛していたのだと」
それは噓偽りのない言葉だとこの場にいる誰もが感じ取れただろう。
「だから、私はあなたの旅路を応援します。今までありがとう。どうか元気で」
「エリー様、私こそ……」
その後にスティアが放った言葉は、彼女の涙に紛れてうまく聞こえなかった。でもきっとお互いに伝えたい言葉を伝えられたのだろうと思った。だって彼女らの顔は涙を纏ってもなお、揃って晴れやかだったから。
ふたりは涙が止まるまで、ずっと手を握り合っていた。まるで古い親友と再会した日のように。
そして、それも終わりの時が来る。
「邪魔をしましたね」
「あ、いえ、そんな」
リアは突然エリー様に視線を向けられる。
「冒険者ミナト。今回の件、私もあなたに感謝をしています」
「はい」
「ですが」
「え」
突然厳しくなった視線に、リアは少しギョッとした。
「スティアを不幸にしたら、絶対に許しませんからね!」
「は、はいっ!」
ビシッと背筋が伸びる。
「それでは。イオウ、私は戻ります」
「あ、はい……ふたりとも、馬車へ」
エリー様はゆっくりと邸宅へ向けて歩いていく。そのあまりに小さな背中を見て思う。
(スティアを泣かせたりしたら、エリー様に怒られちゃうね)
(ああ)
スティア。新しく仲間になった女性。
彼女がこれからリアにとってどんな存在に変わるのか、それはまだわからない。でも、大切にしなきゃ。そう心に誓うリアであった。
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