第159話 スティアの答え

 選ぶ、ということ。それは数ある選択肢の中から最適なものを抽出すること。


 なら選べないというのは、どれが最適な選択肢か判断がつかない、または思考を停止してしまっている状態にあるとリアは考える。


「ここに残るか、それとも私について行くか。それぞれ利点欠点を考えてみよう」

「欠点だなんて、そんな恐れ多い事を……」

「いいの。私にだけ言ってくれたらいいから」

「いや、しかし……」


 新旧ご主人さまに対してそんな不義理なことは許されません。奴隷的思考が芯まで染みこんだスティアはそう思っている。


「まずここに残る利点ね」

「ご、ご主人さまぁ……」


 これでは埒が明かないとリアは強引に話を進めた。


「まずここは貴族家だから、まあ滅多なことがない限り食べるのに困ることはないよね?」

「それは……どうでしょうか」


 スティアは何か言いたげな顔をみせる。あ、そういえばこの人、経費削減の一環でお抱えの商人に売られたんだった。


「ま、まあ、マジックバッグが戻ったからこれからは財政的にも安定するでしょ!」

「はぁ」

「とにかく、この家ならスティアは生きるのに困ることはないよね。綺麗な服だって沢山着られるし」

「それはそうですね……ありがたいです」


 と、言う割にスティアの表情は相変わらず暗い。本当にありがたいと思っているのか?


 とにかくリアはスティアがここにいる利点を多々挙げていった。そのほとんどが安定だとか絢爛な生活だとかに関わることだ。そう考えるとリアにだってやろうと思えばスティアに与えてあげられるものが多かった。


「最後にひとつ。これは同時に欠点でもあるんだけどさ」

「は、はい」

「アテリアにいれば、スティアはなーんにも考えないで過ごせるよね」

「何も考えずに……? そもそもわたくしたちエルフは余計なことを考えるべきではないと思いますが」

「うん。そこだよ。スティアの考えとかそういうものをここは求めていないの。なーんにも考えないで過ごせるのはラク。それって楽しいのかなって私は思っちゃうけどね」


 その環境で何十年も生きてきたスティアがどう思うかはわからない。そこが今のリアには重要で、彼女が苦にならないのであればその選択もアリなのではないかと思うのだ。


「次に私。私と一緒に来るなら、前も言ったけど、スティアには旅を通して色んな刺激をあげられるよ。初めて食べるものに、行ったことのない街、目新しい服で溢れる服屋だったりね」

「それは、その、すごく魅力的だと思いますが……」

「でも、その刺激っていうのは、もちろん良いことばっかりじゃない。旅は過酷で、もしかしたら身体がついていかないかもしれないし、毎日考えることがたくさんでパンクしちゃうかもしれない。そこをよく考えほしい」

「はい……」


 リアがクギを刺すとスティアはまた肩を落としてしまった。


 やはり自分が選ぶ側になるということに気持ちが追い付いていないようだ。


「スティアは一昨日、自分で着る服を選んでいたでしょ?」

「は、はい」

「それってどういう基準で選んでいたの?」

「ええっと、合わせる色の組み合わせだったり、全体のシルエットを俯瞰してみたりですわ」

「そっか。スティアなりに論理的に考えるんだね」

「当然ですわ。似合わない服を着たくありませんから」

「じゃあさ、それと同じにしてみればいいよ。私も、エリー様も、服を選ぶみたいに評価しちゃうの。『私に似合わない方はいらない』って感じで」

「えっ!?」


 スティアは困惑を超えた域に到達しそうに見えた。


「何というか、そうして欲しい。どっちを選んでも、選んだ方に『尽くす』とかじゃなくて、『利用してやる』って考えるの。その方が気持ちが楽だよ」


 リアはスティアへ小さく笑いかけた。


 依然スティアは答えが出ないようで、難しい顔をしている。


「じゃ、私はそろそろ寝ようかな……ふわぁぁ」


 もうスティアへ言うべき言葉もなくなり、思わず欠伸が出た。


 申し訳ないけれど、スティアにはたくさん悩んでもらう。彼女にとって大事なことだし、そうやって難しい顔をする彼女はいつもの人形みたいな顔よりずっと魅力的だったから。






「ミナトさま、お綺麗ですよっ!」

「あ、はい。どもです」


 式典当日の昼前。リアはいつもの一張羅に合わせて、アテリア家のメイドさんから化粧を施された。


 今までの自然な美少女ぶりから一転、妖艶な雰囲気を纏う大人っぽいリアが鏡の向こうにいた。まあ、それはいいんだけど……。


(うぅ……肌が窒息しそうだよー)

(いや、それな。早く顔を洗いたいぜ)


 俺はもちろんのこと、リアも化粧をするのは初めてだった。


 この国のコスメの質が悪いのか、はたまたエルフの肌に合わないのか、なんだか肌がビリビリする感じ。あんまり体にも良くなさそうだ。


「リ──じゃなくて、ミナト! すっごく綺麗! すてき!」

「アトリ、ありがとう。本当は私じゃなくてアトリを着飾りたいよぉ」

「んもう。そんなこと言わないの。せっかくの晴れの舞台なんだから」


 もうママじゃん。アトリも外の世界でいろんな刺激に触れ、いつの間にか落ち着いた側面が育ちつつある。


「ラピジアに行ったら絶対アトリの服も用意するからね」

「ほんとう? ありがとー」


 まあ、可愛いさは相変わらずだけどな。


 さてリア自身の準備が終わり、いよいよ式典の時間が近づいてきた。だがリアにとって本番とも言えるイベントは今から始まる。


 着飾ったままリアは夫人の控室へ向かった。


「来ましたか」

「どうもミナトです。お邪魔しますよ」


 おばちゃんメイドを通して、中にいるエリー様と対面する。そばにはコヘイ様とイオウ様、そして知らない鳶色の髪の女性がいた。


 そして、もちろん主役であるスティアもいる。が、その顔は見たことないくらい憔悴しきっているように見える。


「スティア、大丈夫?」

「問題ありませんわ。ご主人さま」

「……大丈夫そうには見えないけどね。眠れなかったのかな」


 その言葉には無言を貫くスティアだった。横にいるエリー様が理由だろうか。


「あのっ! わたくしはイオウの妻で、ロシィと申しますっ!」

「えっ」


 突然の名乗り。それはこの部屋で唯一リアの知らない人だった。


「あっ、ごめんなさい。先に挨拶するべきでした」

「いえ! とんでもありません!」


 お互いに頭を下げあう。あまりにスティアが酷い顔をしていたからそっちに引っ張られてしまった。


 ロシィという女性はその自己紹介通り、イオウ様の配偶者であり次期アテリア子爵夫人という立ち位置だと、情報だけは得ていた。むしろ準備の時間でこちらから挨拶に行くべきような人だ。しかし、相手の腰はかなり低い。


「ミナト様はあの堅牢ガディンを魔法であっという間に仕留めたと聞いています! そんな素晴らしい魔法士の方にお会いできたこと、大変嬉しく思います!」

「あ、ども……」


 貴族令息の夫人からそんな褒められ方をするとは思わなかった。


「失礼。妻はアリアの魔法学園出身でな。あなたのように優れた魔法使いを前にして舞い上がっているようだ」

「はぁ……」


 魔法に明るい人ということか。でもそれって魔法士嫌いのエリー様とは相性が悪そうだけど。


「ロシィさん、もうよろしいですか? あなたの為に作った時間ではなくてよ?」

「あ、はい。申し訳ございません。お義母さま」


 ほらやっぱりな。エリー様はギロリとロシィ様を睨んだ。こんな怖い姑がいて、ロシィ様も苦労してそうだな。


「さ、それでは早速……」


 エリー様がそう言うと、皆の視線が一斉にスティアへと集まる。するとスティアは怯えるように肩を小さくした。


「スティア、あなたの答えを聞かせてちょうだい」

「答え……わたくしの。えっと、その……」


 やっぱり元気がない。これで本当に言えるのかな。リアは心配になって、スティアのそばへ近寄る。


「スティア、あのね」

「ちょっと! 今、彼女が言おうとしているのにそういうことをするのは不公平でなくて?」

「エリー様、それを言うならこうやってアテリア家の人ばかりでスティアを囲んでいる状況も十分不公平だよ」

「なっ!」


 不敬なのは承知でリアは強く彼女へ言い放った。


 確かにこれでは、リアを選びにくい雰囲気だろう。


「すまない。確かにその通りだ。我々は一旦退出しようか」

「そうですね」


 そう言って、イオウ様夫妻はそそくさと部屋を出ていく。


「まったく姑息ですわね」


 毒づくエリー様を無視してリアはスティアの顔を覗き込む。リアより頭ひとつ分背の高いスティアはお互い絵に描いたような美人だということもあり、はたから見ればリアの姉のようにも見えるかもしれない。しかしその迷える姿は、母がいなければどこへも行けない少女のようであった。


 そんなスティアへ、リアが語る言葉は。


「スティア。そんなに怯えなくても大丈夫だよ」

「ご主人さま……」

「前も言ったけどさ、私はスティアが決めたことならどんなことでも応援するから。もしスティアがここで暮らすことを選んだとしても、私はスティアの幸せをずっと願ってるから」


 彼女の手を取り、まっすぐ瞳へ訴える。


「エリー様もそうですよね?」

「あ、当り前ですわ!」


 同調するエリー様だったが、彼女の本心は正直怪しい。まあそれはどうでもよかった。


「ご主人さま。ありがとうございます」


 今、目の前には覚悟を決めたと言わんばかりに顔を上げたスティアがいる。


「その、実は……答えはずっと前から決まっていたのです。でも頭の中がぐちゃぐちゃで、それを告げる勇気もなくて」

「そっか。うん、大丈夫だよ。ゆっくりでいいから、言って?」

「はい」


 リアか、エリー様か。スティアは重大な選択を迫られていた。しかし、心の奥底で彼女の答えはハッキリとしていたのだ。その証拠に今、迷いを振り払ったスティアの視線はある一点に注がれている。


 そして、その視線の先にいる者へ対して、まるで求婚に応える乙女のように。


「わたくしはご主人さま──ミナトさまと一緒に行きたいです」


 彼女は彼女の答えを口にした。

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