第155話 幸せの定義
「冒険者のあなたに帯同することで、スティアは心身共に疲弊することでしょう。彼女のことを考えるならこそ、決断すべきなのでは?」
エリー様の一言がリアの胸を抉る。正直俺も含めて図星だった。
自分では何もできないただ美しいだけの女性を連れて、果ての見えない旅を続けること。その難しさに、俺たちは揃って頭を悩ませていたところだ。
俺たちがいけると思っていても、当のスティアがつらい思いをしては何のために彼女を連れだすのか、という話になってくる。
「エリー、いい加減にしないか! これ以上騒ぐなら妻と言えどもしばらく謹慎処分に──」
「ならばあなたはスティアの自身の幸せはどうでもいいと申しますか! これは我々だけでなく、他でもないスティアの為に申し上げているのです! あの子の幸せを思うなら、あなたも貴族らしくこの者にスティアの献上を打診してください!」
まるで俺たちが間違いなくスティアを不幸にするような言いぐさ。……しかし、リアは言い返せない。
「……ここにいればスティアが幸せでいられるだなんて、どうしてエリー様に分かるの?」
「もちろん長年の付き合いがあるからです! 彼女もできるならば、この家にずっといたいと思っていますよ!」
エリー様の主張は依然無茶苦茶なものだ。
(いや、違うって……スティアは違うよ……)
(リア、落ち着け!)
しかし、同胞の元で純人に飼われる存在ではなく、ひとりの人間として生きていればいつかスティアも幸せになれるだろうという漠然とした考えを持っていたリアには、この一連のやりとりは少なからず衝撃だった。
もしかして、そういうこともあるのだろうか。リアは彼女に直接聞いたわけではないから、その可能性は充分にあると思ってしまった。スティアが純人の元にいることを望んでいるだなんて。
確かにアテリア家にいれば、多くの亜人奴隷のように暴力を振るわれることはなく、厳しい労働を強いられることもない。今は貧乏でもマジックバッグが戻った今、過去の栄華が息を吹き返す可能性は大きい。エリー様の言う通り、これから綺麗な服を沢山着ることができるだろう。ならば、本当にスティアはここにいた方が幸せなのか?
わなわなと震え、何も反論できないでいるリアにエリー様はそれまでの狂気じみた勢いを抑え込んで言った。
「いっそのことスティアに選ばせるということにしましょう。私……いえ、アテリア家かミナトさん。どちらに所有されるかを」
リアとエリー様の口論はコヘイ様により無理やり解散となった。
「ミナト嬢には重ねて謝罪申し上げる。妻が失礼な事をした」
これで何度目だろうか。今目の前ではコヘイ様が深々と白髪頭を下げている。
「すみません……あの人はどうしてあそこまでスティアに拘るのですか?」
「ああ、それはだな……なんと言えばいいか。つまり、エリーにとってスティアこそがアテリアだから、だろうか」
「はい?」
コヘイ様は滅茶苦茶な事を真面目な顔で言う。意味が分からないリアの反応を差し置いて彼は言葉を続ける。
「スティアは先々代のアテリア家当主が縁のあった貴族家から譲り受けた子エルフだったらしい。私は婿養子なので当時の詳しい状況は知らないが、スティアはアテリア家の発展と共に成長し、今のような美しさを保っているようだ」
「せ、先々代って……」
結構歳を食っている今代の2世代前というと、どれほど昔の事なんだろう。スティアって実は結構おばあちゃん?
「そんなスティアを見ながらエリーは育ったんだ。そして、アテリア領の発展もそう。丁度最盛期を迎えていたアテリアと飼っているだけでステータスとなるエルフ、彼女の中でふたつの要素が交じり合い、エリーにとってスティアの存在こそがアテリアの発展であり、逆もまた然りである。スティアをアスオウジンへ売った時、エリーは今まで見た事がないほど荒れたよ。それまでどれだけアテリア領にとって悪い報せが届いても冷静を保っていた彼女がだ」
「そんなことが……」
「今思えば、スティアを売った事がエリーを狂わせた最後の切っ掛けだったのかもしれない。それからも彼女はスティアを売った事実を認めようとしなかった。あれは一旦アスオウジンに様子を見せに預けただけだと、周りには喧伝していたようだな」
ああ、それで街ではまだアテリア家にエルフがいることになっていたのか。
「まあ、そんな事情はあるが、君はアレの提案したことに耳を貸す必要はないよ」
「どうも……」
そう言われても、リアにはもうどうすればいいか分からなかった。
スティアにとって最善の選択はどれだ。過去そうだったように貴族家という大きくて頑丈な籠の中で穏やかに過ごすのがいいのか、それともリアたちと一緒にひとりの人間として自分の生き方を見つけるのがいいのか。
リアにとってスティアは、同胞とはいえ家族でもなんでもない他人だ。一緒にいれば必ず幸せになれるというわけにはいかない。どういう形であろうと、幸福になるためにはお互いに大きな努力が必要になってくる。果たしてスティアはそれを望むだろうか。
アテリア家に彼女がいた時間の長さを思うと、下手に頑張らない方がスティアの為になるのではないか?
……わからない。
とにかくリアにとって、一番優先すべきはスティアの幸せ。そう考えると、エリー様の言う「スティアに選ばせる」という提案はごく自然のものに思えた。
「明日にはスティア用のベッドを運ばせて、彼女もそっちへ移そう」
「お手間をおかけします」
「いいのだ。とにかく、今日はもう遅い。そろそろ部屋に戻ったらいかがか?」
今の所、具体的にいつどこでスティアがその選択をするかどうかまで話は動いていない。この隙に一度、スティアとは話してみる必要がありそうだ。
(でもスティアが自分の意見を言うかな……)
リアは自信なさげだ。昼間にはうまくやっていけると思ったんだけどな。
複雑な心境を抱えてリアは宛てがわれた部屋へ戻る。ベッドではアトリが可愛い寝息を立てて眠っていた。
「アトリは幸せそうでいいなあ! もうっ!」
「わひゃ……んみゅ……らにぃ?」
アトリの発展途上っぱいを触りまくる。
(こら、やめたれ。折角眠ってたのに)
(いやちょっと幸せを分けてもらおうと思って)
(幸せって……)
確かに手のひらには幸せな感触が……ってアホか俺は。俺たちの「幸せ」ってどんだけカンタンなんだよ。こんなものはおそらく「幸せ」とは言わない。
「にゅう……」
胸を触られて一度は目を覚ましたアトリだったが、追撃が止むと再び眠りに入った。
(そういえば、アトリは今、幸せなんだろうか)
(なに、突然。今は幸せそうに眠ってるけど?)
(いやそれは俺たちの主観じゃん。もしかして心の奥底では、ピロー村にいた頃の方が幸せだったなーって思ってるかもしれない。そういうのって本人じゃないと……いや、本人すらわからないものだから)
(それは……そうかも)
俺だって生前「今が幸せ!」だなんて感じた経験はあまりない。思い返してみるとあの頃は幸せだったと感じる事はあっても。
(ミナト、幸せってなんだろうね)
(うーむ……)
刹那的快楽とはまた違う、「幸せ」という概念。こうして哲学してみると、まるでさっぱり本質がわからなかった。
そう、俺たちだってわからないのだ。それをスティアに聞いたって絶対に答えは出ないだろう。
どっちを選べばより幸せになれるか。
俺たちはおそらくスティアへとんでもない難問を突き付けることになるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます