第147話 エルフ

「ねーお父さん。この里以外にもエルフっているの?」


 それはエルフの里へ偵察にやって来た数人の純人たちの様子を隠れ見たときに、リアがふと抱いた疑問だった。


「そりゃあいるさ。だって僕も他所の里から来たんだもん」


 リアの父、メトルトンは得意げに答える。その様子は今リアが思い返すと、なんだか子供が胸を張っているようで笑えた。


「そうなの? 他所の里ってどこ?」

「いや詳しい場所はよく分かってないんだよね。昔はこことは別の遠い森に住んでいたんだけど、ある日いきなり親から出てけって言われたんだ。それで流れ着くようにこっちの里に来たんだよ」

「どうして出て行けって言われたの? お父さん、なにしたのさ!」

「なにもしてないよ! ……いや、なにもしてなかったのが悪かったのかなぁ。なんかね、儀式とか言ってさ、里の中で一番皆の役に立っていない人を別の里へ行かせる風習があるんだ。勿論ここにもあるよ」

「えっ……」


 リアはその事実に凍り付いた。


 その当時のリアの魔法位は≪黒≫。皆の為に狩りをしようにも木の実を集めようにも、魔法が使えない為、周りより成果をあげられないでいた。


 役に立たない者を追い出す。そんな風習が今、自分がいるこの里にもある。そうなれば、その役目は間違いなく自分に回ってくるものだと悟った。


「そんなに怯える事もないよ。純人エナルプの声が聞こえたら逃げればいいんだし」

「大事な娘を外へ出さない選択肢は!?」

「まあ、大人の話になってからの話だから」


 怯える娘の姿を見ながら、父親は笑った。ここは「お前を追い出すワケないだろ」と安心させてやるのが親というものでしょ、とリアは後から記憶を振り返って語る。


 リアの低い魔法位は幼い頃から改善する様子を見せない。そもそも、魔法位が伸びるのは身体が成長仕切るまでの数年が限界だと言われている。この時12歳のリアにはまるでその実感もなく、そもそも≪黒≫から上がった所で、というあまりに悲しい未来に希望が持てなかった。


 いくら大人になってからだといっても、そんな雑魚エルフが突然外に放り出されて生きていけるはずがない。


「お母さん! お父さんが──」

「なあに、どうしたの?」


 父親が自分を心配してくれない腹いせに、リアは母、エルメルトンの懐に飛び込み、そのまま泣きついた。


「うぅ……」

「よしよし……大丈夫。メトがリアを追い出そうとしても、わたしが守るからね」

「ちょいちょい! まるで僕がそう言ったみたいな言い方やめて! 違うんだよ! そういう風習があるって話をしただけなんだ! ねぇ、信じてよ! エル!」

「嘘。だって否定しなかったもん」


 リアは完全に拗ねていた。父親からいらない子のように扱われたと感じたからだ。


「大丈夫。リアがひとりで出て行くくらいなら、私もついて行くわ」

「うん、ありがとう。お姉ちゃんすき」

「ユノ、キミまで……だから違うんだって。僕はリアを脅そうと思ったんじゃなくて、ただ伝えたかったの!」

「伝えたかった? 何を?」


 味方のいなくなったメトは釈明するように、愛しい妻と子供たちへ告げる。


「僕も里を追い出された時は本当に辛かった。両親を恨んだこともあったさ。でも、今では追い出されて良かったとすら思ってる。それは、エルと出会えて、こんな短い期間にふたりも可愛い子供たちができたからだよ」


 メトは妻と娘たちを力強く抱きしめる。


「葉っぱの表裏みたいに全部は繋がってるんだよ。辛いことも楽しい事も。だから、もしいつかキミたちがここを出る日が来たとしても、不安になる必要はない。絶対に幸せになれるから」


 それは普段リアが滅多に見ることない父の顔であった。


 見えない未来に関しては、それを聞いても気楽には考えられない。


 だけど、ふとリアは思った。


 ──出来ればお姉ちゃんみたいに優しい人に出会えたらなぁ……。


 だ、なんて。


 そして、14歳になったリアは本当に里を出る羽目になった。思っていた形とはまるで違う、酷い別れだったけれど。


 家族と自由を奪われ、心に大きな傷を負わされた。だけど、新しい出会いもたくさんあった。


 里を出て、自分は幸せになれたのだろうか。その疑問はもう少し後の自分に判断してもらおう。


 後に過去を振り返って、リアはそんなことを思った。







「スティア、これから私たちは色々な場所を旅しながら、最終的にネイブルって国へ行くつもり。多分、あなたはそこで暮らすことになると思うから」

「承知いたしました」


 どこだろうと関係ありませんわ、と言いたげにスティアは即答する。


 初めてリアは自分と血の繋がらないエルフに会ったわけだが、彼女は強敵だった。


 こういっては何だが、スティアという女性は不自然なほどに素直だ。それはまるで自分で物事を判断する意思が無いようにみえる。だからこそ、リアは最終的に彼女が暮らすことになるルーナさんの村の情報を伝えなかった。おそらく伝えたところで意味がないと思ったからだ。そういう意味では、リアがエルフである事すら明かす必要がなかった。少し軽率だったな。


 そういえば、そのルーナさんが作った村でも彼女のような話はあった。例えばラプニツくん。誰かに支配されることに慣れすぎて、いざ自分にかかる圧力がなくなった時、自分がどこにへばり付いていいか分からなくなる。


 誰かに隷属するということは、自分の生殺与奪を全てその誰かに預けるという事だ。死ぬことも、そして俺たちが当たり前にしている『生きる』という行為でさえ誰かに舵を取られる必要がある。


 そんな自由意志をもぎ取られた人間が「さあ、今から君は自由だ」と言われたところで、果たして逞しく野山を駆け巡るだろうか。飼い猫は野生では生きていけない。そう、野良猫の方が幾分かはマシなのだ。生にしがみつこうとする意志は持っているのだから。


 自分の無さがアイデンティティというか、何も無いがあるというか。服を着せる前のトルソーのように、とにかくスティアというエルフは空っぽだった。


「これは……難しそうだ」


 側に椅子があるにも拘わらず、先程からずっと直立したまま動かないスティアを見てリアは呟いた。


「スティア、足が疲れたらそこらの椅子に座るんだよ」

「ご命令とあらば」

「いや、命令じゃなくてね」

「申し訳ありません。ご主人さまの意図を汲み取りかねます。愚かなスティアをお許しください」


 スティアの話す言葉には、彼女を教育した人間の意図がありありと読み取れる。アテリア家のペットとして、支配欲やら何やらを満たすよう最大限のアピールをするようにとのことだろう。


 ルーナさんの村にあった更生施設がしているように、ここは根気よく彼女と向き合っていくしかない。


「あのさ、いつも足が疲れた時はどうしてたの?」

「どうといわれましても……今までは足が疲れることはありませんでしたから」

「それはどういうこと?」

「その、わたくしはずっと椅子に座っていましたので」

「んん?」


 どんな状況だ、とリアは頭を抱える。


「じゃあアテリア家では何をして過ごしていたの? 事務作業でもしてたの?」

「何を、という問いには答えかねます。しいて申し上げるなら、そこに『いた』ということになります」

「え? どゆこと?」


 さっきからリアの頭にはハテナが浮かび続けている。なかなか会話にならんな、これは。


「どういうと言われましても。奥さまと旦那さま、それに坊ちゃまの目に映り、優美な気分になっていただく。それがエルフでしょう?」

「え……」


 その供述で一気にスティアを取り巻いていた世界が見えた気がする。


 アテリア家において、恐らく彼女は高級インテリアとかそういう扱いだったのだろう。それは予め聞いていたエルフの扱いと合致した。


 とはいえ、こうやって目の前の同胞がそんな常識に捉われているとなると、なかなかショックが大きい。


「アトリ、ごめん。しばらくは協力してくれる?」

「スティアのことね。もちろんだよ」

「ありがと。アトリ大好き……むちゅー」

「ちょ、ちょっとースティアもいるのにー」


 スティアとの会話に疲れたリアはアトリウムの補給に走る。


 突然イチャつきだしたふたりをジッと見つめるスティアの姿がチラリと目に入ったが、リアは「どうせ何も言ってこないだろう」と一切気にすることはなかった。


 憚らず言ってしまうと、リアはスティアの事が苦手のようだ。本人がそう言ったのを聞いたわけでも、思念が飛んで来たわけでもないが、なんとなくわかる。その原因は彼女があまりに不自由を受け入れすぎているという事に尽きる。


 どことなくリアのイラつきが伝わってくるのだ。自分はあんなに必死こいて奴隷だった状態から抜け出したのに、どうしてこのエルフは今の状況に何の不満を感じていないんだろうか、とそんな所か。


(はぁ……どうしようかな)

(そうだなぁ。とりあえず、ルーナさんのところに連れて行かなきゃだよな。でも、いつになるやら……)

(ホント。これからまた、東方面へ移動の日が続くのに)


 アトリとは違って、亜人をひとり連れ歩いて家族を探す旅を続けることが、いかに大変かということは容易に想像できる。


 そう考えると、一度ネイブルに帰るのもアリかな。いや、折角ここまで来たんだから……。


 色々な事情が不思議なくらい噛み合わない。勿論スティアが悪いわけではないけれど、彼女の存在が特大の不安要素となってしまった。


 何にしても、しばらくはこの街を動けない。この間にスティアの事を少しでも知って、彼女ももう少し人間らしく生きていけるようになって欲しいな。

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