第144話 マジックバッグ

『あなたはそれを手放す覚悟もしないといけないわよ』


 ルーナさんは過去、マジックバッグを指してそう言った。


 マジックバッグとは気まぐれな魔女が気まぐれに作った魔道具だ。何の意図があるのかは知らないが、魔女はこれまでいくつものマジックバッグを生み出しては人の手に渡してきた。だが、未だにそれは稀少であり、もしそれが市場に流出した場合、その値段は小国の国家予算と同等とも言われているそうだ。


 そう。本来これは個人が所有してはいけないもの。国が管理し、その発展に役立てるべきものだ。


 でも、リア俺たちは……。


「これは……うう……渡したくないいぃぃ!」

「申し訳ありませんが、これはお願いというよりも命令に近いです。私がするんじゃありませんよ? 国が命令するんです。翠級冒険者とはいえ、あなたでもきっと断れはしないでしょう」

「でも、冒険者ギルドの掟では、盗賊の拾得物は倒した冒険者のモノだって……」

「それはそうですが、元々が国や領主のモノとなると、話は変わってきます。冒険者ギルド的にはいいとしても、国はあなたを許しません」

「うう……そんな……」


 それはまるで家族と別れるような心境だった。だってこのマジックバッグはいつも俺たちを助けてくれた。


 重い金属も、膨大な食料も、汚い魔物の素材だってなんでも受け入れてくれた愛しい道具。


 実際、パレタナの『狂乱』ではこのマジックバッグがなければ、溢れそうな魔物の死骸をどうにもできず、ともすれば足場の悪さに俺たちは死んでいたかもしれない。


「お願いしますよ。その代わり、エルフと交換という形に致しますから」

「…………わかった」


 だが、やはり同胞の身柄には代えられなかった。今が覚悟の時なのか……。


 リアは泣きたい気持ちを抑えて頷く。


(悲しいけど、コイツともお別れか)

(仕方ない。ルーナさんにも言われていたしね。新しいのをしかないよ)


 そうだ。まだ俺たちにはアレを自分の手で作るという道がある。魔道具製作はルーナさんの村で体験したきりだが、あの袋の便利さを覚えてしまったらもうやるしかない。


(よしっ! 宿に帰ったら早速作ろう! マジックバッグを!)


 今までそんな余裕が無くて試していなかったけど、ようやくルーナさんから出されていた「マジックバッグを作る」という課題に取り掛かる時がきたのだ。


「ありがとうございます! まさかこんな日が来るとは……! では早速マジックバッグを」

「あの中身を……」

「ああ、整理する必要はありますか」


 よく考えてみると、マジックバッグに入っている物の整理って、これまでしたことがなかったな。


 一体これにはどれだけの物が入っているんだろうか。記憶としてはあるんだけど、数が多すぎて目録化できていない。


 そういえば、魔物の死体とか大量に入ってんだよな……。あんなの、別のマジックバッグへ移さなきゃとんでもない事になるぞ。


「あーえっと、一度宿に持ち帰って、整理してからまた持ってきます」

「……あの、逃げませんよね?」

「逃げません! でも1週間はください。整理にそれくらいはかかります」

「はあ1週間ですか……まあ、わかりましたよ」


 渋々だったが、話はついた。


 その代わり、エルフとの顔合わせは当日に持ち越しとなる。リアとしてはもどかしいけど仕方がない。今後の旅の為にもマジックバッグは絶対に必要だからだ。


 リアはアスオウジン氏へ滞在する宿を伝えると、すぐにそこへ戻った。


(待っててね!)


 全ては、もしかしたら家族かもしれない同胞と会うためだ。


「リア、お帰り!」

「アトリ、ただいま。今から長時間作業するから、また退屈させるかも」

「そうなんだ。でも必要な事なんだよね?」

「うん。家族の為にね」

「なら頑張って。わたし、ご飯とか用意するね!」

「ありがとう。アトリすき……」


 アトリの協力も約束して、リアはすぐさま魔道具開発へ移るのであった。







 魔道具作りの工程は、塗料や糸を使ってモノに魔法術式を刻み込む『印字』と、発動体として目覚めさせる『定着』の2つ。


 この2つの内、『印字』に関してはお手本のマジックバッグが手元にあるので、これをそっくりそのまま真似ればいい。


 問題は『定着』の方で、マジックバッグのクソ複雑な魔法術式に沿って、イチから魔法を再現するのはかなり集中力と精密性が問われる作業だ。


 でもリアなら出来ると、まずは『印字』に挑戦してみる。と、そこで思いもよらない問題が発生した。


(糸に塗料。ルーナさんからもらった物はどれも、見本と違うんだよねぇ)


 魔法術式を刻む方法は描く、または縫うの2つがある。マジックバッグの場合、縫う方法で作られているのだが、この糸の感じが見本と異なっていた。


 どう異なっているのかというと、魔力の流れ方。本当に感覚的な事で、敏感なリアにしかわかない事かもしれない。


(魔力の流れ方って?)

(うん。なんて言うんだろう。糸に含まれてる魔石成分って、流れる魔力の波長を初期化してるわけじゃん?)

(ああ、そんなこと言ってたな)


 魔力は誰かの心から生まれる。生まれたそれは、生まれながらにその人の波長に汚染されており、他人は自分の波長に合わないそれを扱うことは出来ない。そして、魔石はそれを一旦綺麗にしているのだと、里で教わった。


(その初期化の流れが違うんだよ。なんというか、ルーナさんから貰った糸の方は魔石成分が初期化を行っている感じ。で、マジックバッグの方の糸は魔力が自ら魔石成分の形に合わせて初期化されてるって感じ)

(すまん。全く意味が分からん)

(……まあ、細かいところを省いて大事なとこだけ言うと、ルーナさんから貰った糸は使用回数に制限があるの。魔力を初期化する度に、内部の微小な構成物がドンドン使われていってるイメージね)

(えっ、じゃあ、いつか壊れちゃうのか?)

(そうだよ。魔石だって何度も魔力を込めたり使ったりしてると壊れるはず。それが魔物の寿命だし)

(はーなるほど)

(で、このマジックバッグに使われている糸は、その微小な構成物がそもそも存在しないの。まるで魔力の方が勝手に初期化されていく感じ。だから使用回数はおそらく無限)

(ほー)


 つまり、ルーナさんのくれた糸でマジックバッグを作っても、使用回数に制限がありますよ、ということ。


 なるほど。わかるように説明してくれているけど、細かい事はやっぱり難しいな。


(俺にはこの世界が未だによく分からん。魔力と魔法と魔石にあと、階位鉄か? 地球とはやっぱり存在する物質とかが違うんだなー)


 リアにとって何の役にも立たないボヤキ。


(あ……階位鉄。そっか)


 だが、意図せずリアに閃きを与えた。


 リアはマジックバッグから黄昏剛鉄こうこんごうてつの一部を取り出し、魔力を流してみる。


(あ、これ、マジックバッグの糸と同じだ……)

(うっそ、マジ?)


 どうやら、マジックバッグの糸には階位鉄が使われいるようだ。


(しかも、魔力の質を考えると、黄昏剛鉄こうこんごうてつを使わないと魔法が使えないよ)


 魔力の質。それは魔力の粘度みたいなもの。その粘度でないと発動しない魔法というのがある。だからどんな魔力でも、それに合った粘度に変換する必要があるのだ。


 ちなみに、リアがマジックバッグを参考にして作った、空間拡張と時間遅延の魔法。これらは≪黄昏≫以上の魔力の質でないと発動できないようだ。


 ということは、この黄昏剛鉄がなければ、使用回数のある不完全なマジックバッグしか作る事ができなかったわけだ。しかも使う魔石によってはそもそも魔法が発動しない。そう考えると、過去のリアは最高にいい仕事をした。


(とりあえずこの黄昏剛鉄を糸にして『印字』に使ってみよう)

(おう……って、金属なんかを糸にできるのか?)


 金属の糸といえば、ピアノ線とかギターの弦とか? 確か糸状とはいえ、実際に糸として使えるとは思えない。


 よしんば階位鉄製の金属糸を作ったとして、果たしてそれを縫い付けたカバンは使い物になるのだろうか。


(そこはデザインと加工次第でしょ。そもそも、見本の方はちゃんと使えてるんだから)

(まあ、そうか)


 階位鉄は魔力が一方向に流れるように特別な加工をしなければ、魔力によって自由に形を成型できる。髪の毛よりもずっと細い糸状に成形するのも何とかなった。そして糸の形にした後は、魔力によって形が崩れないようにまた加工する。これはアトリの爺さんに教わった技術だった。


 今思うと、魔道具の作り方や階位鉄の入手からその加工まで、色んな人から手伝って貰ったり、教わったり。まるで今までの旅を総決算したような作業だ。


(よし、できたっ)


 黄昏剛鉄の糸が完成する。恐ろしいほど細かい作業に、流石のリアも堪えている。


 さて、後はこれを新しい袋に縫い付けて、『印字』の完成だ。


(……で、これをどう縫い付けるの?)

(そりゃあ勿論、魔法ですよミナトくん)

(うん。だと思った)


 見本と寸分違わない魔法術式を再現しようと思えば、まさか人力でなんてやってられない。あまりに精密すぎるからだ。ルーナさんの所の工場でもおそらく魔法を使って『印字』していたのだろう。


 リアは即席で複写の魔法を作り上げる。すると、見本の魔法術式の模様を、新しい袋にインクで書き写した。


 この上から黄昏剛鉄の糸を縫い付ける。見本を見ると、糸はミシンを使ったみたいに、細かに丁寧に縫い込まれていた。勿論これも魔法でなんとかする。なんとかするけど、これまた凄い作業だった。何せ、マジックバッグの魔法術式はあまりに複雑な模様だったからだ。一体何本線があるんだろうと作業しながら気が遠くなるほどだった。


 結局、『印字』の作業が完了したのは、次の日の朝だった。


「おわ……つ……てい……ちゃくに……」

「はっ! リア! よかった! やっとリアが顔をあげてくれた!」


 まず初めにアトリの声が聞こえる。そして、それを追いかけるように様々な感覚がリアの身体を襲った。


 空腹、身体の硬直、目の渇き……エトセトラ。それらを忘れるほど、ひたすら集中していたのだ。


「……ァ……リ」


 声出てませんよ。


 集中しすぎるとこうなってしまうのか。


「大丈夫? かなり疲れてるみたいだけど……」

「う、うん。でも、まだ終わってないから」

「まだ続けるの!? ダメだよ! 一度休まなきゃ!」

「時間が……」

「ダメ!」


 次の作業の邪魔をするように、アトリはリアの身体を抱き締める。


「あ、ちょっと……」

「ダメ。こっちくるの」


 そして無理やり身体をベッドまで運ばれる。


「とにかく今は寝て? 起きたら一緒にご飯を食べようね」

「う、うん」

「あ、そうだ!」


 何を思いついたのか、アトリはリアの頭の上で何やらゴソゴソと音を立てている。


 すると、不意に頭が持ちあげられ、柔らかな感触が後頭部に当たる。


「これって膝枕……」

「『男の夢』なんでしょ? リアは女の子なのに絶対好きだって、ミナトさん言ってたよ」

「ああそうだった……馬鹿ミナトめ、余計なこと言うなし」


 すまんて。でも図星だろ? めちゃくちゃ顔がニヤけてるぞ。


 リアはそのままアトリの膝の上でひと眠りした後、彼女と一緒にご飯を食べた。すると、立て続けに尿意やら何やらの欲求に襲われる。これ、放っておくとヤバかったのかもしれない。アトリのおかげで、リアはなんとか人としての体裁を保てた。


 どうしてリアがこれだけの集中力を保つことができたのかというと、それは偏に早くエルフと対面したいという気持ちからだ。


(マジックバッグと引き換えにエルフを受け取るって話だから、別に向こうは逃げたりしないぞ)

(うん。そうだね。ちょっと焦ってたよ)


 アトリに心配をかけたのは反省点だった。


 一度頭を冷やしてから、またリアは作業台としていたデスクへと向かう。


 次の作業は『定着』。


 『印字』で刻んだ魔法術式に従って魔法を発現させ、モノを魔法の発動体として起動させる工程だ。


 マジックバッグの魔法術式の中に込められた100近い魔法機能。それらのひとつも零すことなく自分の魔力の中でビルドする。これまた集中力を試される作業だ。


「がんばってー!」


 アトリも応援してくれている。彼女が心配しない程度に頑張ろう。


 ジッとデスクに向き直る。それからスイッチが入るように、リアの頭には魔法術式以外の情報が入らなくなった。

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