第143話 湖畔にいたアイツ

「その亜人というのは」

「エルフですね」

「はぁ……やっぱりそうですか────はっ?」


 思ってもみない答えに、リアは思わず自分の耳を疑った。


「今エルフって言った?」

「はい。うちにいるのはエルフだけです。お力になれないようで、本当に申し訳な──」

「買う! エルフ! 買います買わせてください!」


 リアは飛びつくように購入を告げた。


 まだ両親かどうかの確認も済んでいないが、迷うことはない。


「ちょっと、ちょっと! お待ちください!」

「なに? まさか、売ってくれないの!?」

「いえ、そうではなく……少し訳アリの商品となっておりますので、その辺りの説明をさせていただきたく思いまして」

「じゃあ早くッ!」

「はひっ!」


 いつの間にかリアの丁寧な言葉遣いは剥げていた。


(リア、落ち着け! 気が逸るのは分かるが……)

(う、うん……そうだね。ついテンションが上がっちゃって)


 ようやく同胞に出会えるという高揚感に、抑えが効かなくなったようだ。


 しかし、人によってはコイツの夕焼け色の瞳を恐ろしく感じるらしい。円滑な交渉のためにも抑えたほうがいい。


「とりあえず、奥で話をしましょう」

「ごめんなさい。お願いします……」


 一旦気分をリセットして、その説明とやらに臨もう。


 リアは商会建物の奥の部屋へ通される。応接室だというその空間は、外の古ぼけた外観に比べると、手入れが行き届いた綺麗な場所だった。


「お座りください」

「どうも」

「あ、お茶をお持ちします」


 向かいに座るこのおじさんが商会長なんだろうけど、お茶など、準備の全てをこの人自身が行っていた。なんだか素朴な人物だ。


 やはり街のイメージと同じく、あまり儲かっていないのだろうか。


「それでそのエルフなのですが……」


 一度出されたお茶に口をつけ、ようやく話が始まった。


「先に言っておきます。そのエルフにはいくつか問題がありまして、まずその値段です」

「はぁ、値段。安いとは思っていませんけど、一体……」

「ええ、当商会では一応、アーガスト貨で50億ガルドという値段設定にしております」

「ご、50億!?」


 あまりに法外な値段にまた驚いてしまう。


 エルフの値段は1億ガルド程度だとルーナさんが言っていた。勿論それは過去の記録から導き出した推測に過ぎない数字だったが、まさか50倍も差が出るとは。


 これはあれだな。買わせる気がないと見た。


「……事情を聞いても?」

「いえ、その、これはとあるお方の名誉に関わる話なので、この値段で購入された場合のみお話します」

「はあ?」


 名誉に関わる? もうまったく意味が分からない。


「値下げはできませんか? 50億というのは流石に……」

「申し訳ありません。この値段でしか売ることが出来ません」

「そうですか……」


 一応聞いてみたが、壁はこれ以上動かないようだ。仕方ない。


 今俺たちが持つ現金は色んな国の硬貨を合わせても、ざっと500万ガルド程度。貨幣価値の増減分を考えても1億にすら届かないだろう。だからまあ、最初からエルフを持ち金で買うのは無理な話だった。


 つまりここは黄昏剛鉄こうこんごうてつの出番だ。まず市場に出回らないという話だし、サッカーボール大くらいで50億ガルド程度にはなるのではないだろうか。


「あの、50億を現金で出すのは難しいのですが、確実にそれだけの価値になるモノがあります。一度見ていただけないでしょうか」

「えっと50億相当のモノとなると想像がつきませんが、一度拝見しても?」

「はい。ではこちらに……」


 リアは広い空間を探しあてると、次にマジックバッグの口に手を突っ込む。あのやたらに重い金属をそのまま持ち歩くことは出来ないので、もうマジックバッグの存在がバレるのはどうしようもない。まあ相手は気弱っぽいし、こっちは翠級冒険者だ。いざという時は力で脅せばなんとかなるさ。


「なっ、マジックバッグ……? って、ええええええっ!? そ、それはっ!?」


 俺たちの相棒マジックバッグちゃんを見て、予想通り驚くアスオウジン氏。だがその驚きは予想外の方向へ着地した。


「どうしてあなたがそれをお持ちなのですか!?」

「え、どうしてって、それはわたしが実力のある翠級冒険者だからで……」


 実力があるしマジックバッグくらい持ってるよそりゃ。そういうスタンスで誤魔化そうとしていたリアだったが、アスオウジン氏はさらに突っかかってきた。


「それをどこで手に入れたんですか!?」

「あの、それ、言う必要あります?」

「できれば……いや、言ってくださらないと、エルフは売れません」

「はっ!?」


 先程まで気弱に見えていたアスオウジン氏はどこへ。一体どうしてこんなに必死なんだろう……。訳の分からない状況が続く。


 だがエルフを売らないと言われてしまえば、答えない選択肢はなかった。


(ミナト、どうしよう! どう誤魔化す!?)

(いや待て! このオッサン、さっきマジックバッグを見て驚いたあと、もう一度凝視してさらに驚いてたぞ。もしかしたらマジックバッグに何かあるんじゃないのか?)

(うーん……ということは、下手に入手元を誤魔化すと荒れそうだね……)


 まさかな……。このマジックバッグを手に入れた日の事を思い出して、俺の中では嫌な予感が膨らんでいた。


 そう、2年……いや、もう3年以上は過去の話にななるのか。俺たちがソフマ山脈を闊歩していた頃、とある湖畔の小屋でこの袋を手に入れた。そこに住む男を殺害して……。


 俺たちはあの時の記憶を思い返すことはあまりなかった。なぜなら、あれは俺が俺として初めて人を殺した記憶であり、できれば蓋をしておきたいと思っていたからだ。しかし、今思い返すと、記憶の節々にあるではないか。あの小屋の物品に所々あった、『アーガスト』を表す文字が……。物的証拠を見る限り、あの男はアーガスト王国の軍人だった。


「こ、これは私がソフマ山脈をひとりで越えようとしていた時に、襲われた盗賊から拾得したものです」

「はぁ? ソフマ山脈をひとりで? ……いや、まあ、それは今いいでしょう。それより、盗賊ですか……」


 とにかく、ボロを出さないように、かつウソをつかないように答える必要がある。ただひとつ、あの男を盗賊とした事実はそれに反するが……。


 でもあんな山奥に住む元軍人の男が普通なはずない。だってアーガストの軍人だぜ? おそらく内乱関係で逃げおおせたヤツだろう。そんな人間に襲われたので返り討ちにした。この理屈は充分通るはず。いや、通るよな?


「ちなみにその盗賊はどんな男でしたか?」

「えっと熊みたいに身体が大きくて、魔法位は≪金≫でした」

「は……いや、まさか……そんなことが……」


 アスオウジン氏はわなわなと震え出した。え、そこまでの事なのか?


「その盗賊はどうなったのですか?」

「えっと襲ってきたので勿論始末しましたけど」

「ああ、なんてことだ……」


 今度は頭を抱えだす。ええ、怖い怖い!


「ごめんなさい。私、わからないので教えて欲しいです。その盗賊は何なんですか?」

「……いいですか? あなたが始末したという盗賊、その名をズレアと言います」

「はぁ、ズレア」

「知らないのですか!? ズレアというのは、20年前この国に戦乱をもたらした王国騎士団のなんですよ!?」

「え、長? 長というと?」

「一番悪いヤツに決まってるでしょうが!」

「ひっ!」


 めちゃくちゃ大きい声で怒鳴られた。それほどズレアという男を始末したことはセンセーショナルな話だった。


 この数か月でこの国の有様を見て、騎士団がもたらした災厄の大きさは痛いほどわかる。そして、その元凶たる男は今も逃亡中。それを始末したとなれば……。


「私、もしかしてお手柄?」

「今更気が付きましたか。勲章ものですよ……」

「なるほど……で、結局エルフは売ってくれるんですか?」

「もちろん売ります! 売りますけども……こちらの要求も呑んでいただきたい」

「え、要求?」


 お手柄なはずなのに、要求とは。


「まず、ズレアを討ったということを国へ報告します」

「うっ……やっぱりそうなりますか」

「当たり前です!」


 まあ、それは致し方ない事だ。悪い事をしたわけではないので、褒美が貰えても損するなんてことはない……はず。


「そして、もうひとつ」

「まだあるの?」

「これだけは、是非とも。ええとですね……言いづらいのですが、どうかそのマジックバッグを返却してください。それはズレアが国から奪い取ったものなのですから」

「はぁ!?」


 リアは思わず≪黄昏≫の瞳に力を込めて、アスオウジン氏を睨む。


 俺も彼女と同じ気持ちだった。それほどありえないことを言われたのだ。


 だってそうだろう? ウチのマジックバッグちゃんを連れて行くだなんてよぉ!

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