第135話 Another View 「裏切者の末路」
『最低。湊
『未来……』
『もういい。これからは家でも話しかけないでね』
私が
だってさ、あれから仲直りも出来ないままお別れになると思わないじゃん。
「っしょ」
古い木造住宅の我が家。角度の急な階段を上って2階にあがり、埃ひとつない廊下を進んだ奥が湊兄の部屋だ。その年季の入った扉を開け放つ。
「くしゅっ!」
開けた途端、侵入者である私を拒むように埃が舞う。
あーやっぱり来たか。ここだけ全然掃除してないもんなぁ。
にしても、荷物が多い……。
つい3か月ほど前に湊兄の東京の下宿先から大量の荷物がここへ運び込まれた。適当に段ボールに詰め込まれ、天井まで積みこまれたそれらは、実はほとんどが何でもない荷物だったりする。だが、元の持ち主がもう帰らぬ人となっている以上、それらは『遺物』となり、処分の是非を私たち家族に問うてくるのだ。そして、それを率先して決めたがる人はうちの家にはいない。
残して置けるものなら残しておくべき。でもそうでないものは……。そう思った私はパパや叔父さんに話をつけ、仕分け係に名乗りをあげたのだ。このままだとここは一生荷物と埃で溢れかえる部屋になりそうだから。
「やるぞ! ……んしょ」
まず、部屋の先にあった比較的背の低い段ボールタワーの上ひとつを担ぎ、床へと下した。さあ、中身を調べてやろうじゃない。ガムテープを剥がして箱を開ける──
「ひゃっ!」
パタン。そっ閉じ。
箱の一番上で、肌色面積の大きい書物がババーンと存在感を十分にアピールしていた。
いや待て待て。私はもう19だ。何を恥ずかしがっているのよ。こんなのただの絵じゃん。
私知ってる。これは同人誌というものだ。高校の時、クラスの子が描いていた。でも……
「これはいらない」
私は迷うことなくその同人誌をいらないものボックスへ入れた。
でも、これ古紙回収してくれるのかな。ご近所の笑いものにならないかなあ。心配ながらも、仕分けを進める。
「一般誌の漫画は売れるでしょ? こっちのエロ本は最悪畑で燃やす。それと、これは……」
カラフルな箱が並ぶ。外面にはどれも可愛い女の子の絵が描かれている。これはいわゆる美少女ゲームってやつだ。パパが好きなんだよね。それでママと揉めたのを何回も見ている。
これも捨てるべきだろうか? それとも売れる? 故人の持ちものということもあってこれは曰く付き商品となるわけだが、湊兄も大事なゲームが無残に捨てられてしまうより再び誰かの手に渡るほうが嬉しいだろう。うん、売ろう。
しかし、本数が多いな……。
どうやら湊兄はある時期から美少女ゲームにハマっていたようで、段ボール数箱がゲームで埋まっていた。ひとつひとつの定価は高いらしいので、湊兄は相当な金額をつぎ込んでいたようだ。
「恋愛シミュレーションねぇ……」
箱を眺めながら思う。私の記憶が正しければ、湊兄がまだ高校生だった頃はこういったものには興味すらなかったはずだ。それどころかアニメや漫画すらほどほどしか嗜まない、爽やかスポーツ少年だった気がする。まあエッチなのは変わらないけど。
というかあんなに可愛い彼女がいた過去があって、どうして二次元で恋愛をシミュレートする必要があるんだ。
だけれど、湊兄は東京へ行ってからというもの、女性の影のない大学生活を送っていたらしい。それはゲームで培ったテクニックが上手くいかなかったのか、はたまたシミュレートした結果を現実に反映する気がないのか、それとも……。
「後悔していたのかな……」
多分。あの人の変りようを考えると。
「何を?」
「何をってそりゃあ、ひま姉と別れたことに決まってるじゃん──え?」
あれ? 私誰としゃべってるんだ? 独り言を言ったつもりが、何故かラリーが成立し、私はハッとして後ろを振り向いた。
「えっ……ひま姉!? ど、どうしてここに?」
「どうしてって……まあ、そうね、流石にそろそろ会わないとって思ったの。お葬式も結局行かなかったし、おばさんとはすごく顔が合わせづらかったんだけど、驚くくらいいつも通りだったわ」
「えっと、叔母さんは今……」
「会ってきたからわかってるわ」
湊兄が亡くなって一番ショックを受けたのは妹分の私でも、今目の前にいる元恋人でもなく、彼の母だ。つまるところ私の叔母さん。
叔母さんは今、何とか沈み込んだ悲しみから抜け出そうと気丈にいつも通りの自分を演じている。おかげで家の中はハウスクリーニングでも頼んだかのように綺麗だ。私たちとしてはそれが心配で仕方ないのだけれど。
「というか、久しぶりだね。ひま姉……」
「そうだね。アイツと別れて以来?」
「うん。なんか気まずくて。従兄の事だから」
湊兄の元恋人の
「ほぉ……」
「なによ」
久々に間近でひま姉のことを視界に収めたわけだが、昔に比べて見た目の印象は随分変わっていた。
「えっと、その……痩せた?」
「別に」
否定されてしまったが、改めて思った。こんなに線の細い人だっただろうか。昔はもっと健康的でハツラツなお姉さんという印象だった。ただ線の細さというのは、変わった印象の一端に過ぎない。もっと大きな部分はやはりその雰囲気というか、人柄というか……。
『向日葵』という名前の通り、ギラギラの太陽の下で笑顔を咲かせるような人だったひま姉。しかし、今の彼女は視界の最奥に見える連邦を飾りつける冠雪のごとく何者にも踏み荒らすことの出来ない神秘さを纏っている気さえする。小さい頃はひま姉ひま姉と親し気にくっついていた私でも、今の彼女と対話するのには多少の緊張を強いられてしまうくらいだ。
ひま姉をこんなにしたのは……ってもうやめよう。
「ところで未来ちゃん、仕分けは進んでるの?」
「えっ、ああ、うん。この通り──あっ! いやちょっと待って!」
私は慌ててゲームの箱を自分の身体の影に隠す。
まずい。湊兄も死して秘蔵のコレクションを元恋人に晒されるなんてことを望んではいないだろう。
「ふーん。アイツ、こんなのやってたんだ」
「ああ……」
でも、私の小さな身体で隠せるほど湊兄の揃えたお宝は少なくない。それが敗因だった。ひま姉は横から手を伸ばし、コレクションのひとつに手を伸ばす。
「これ、エッチなやつでしょ? 本当アイツ、最後まで変わらなかったのね」
「いや、それは!」
私はどうしてか、その言葉に強い不快感を覚えてしまった。
確かに湊兄はエッチで浮気者で最低な男だ。だけど、そんな自分を恥じたからこそ、そういうものに逃げたとも言える。つまり、湊兄は変わらなかったわけじゃない。いや、むしろ痛々しく変わってしまったのだ。だから、それは違うと、言わなければいけなかった。
「それは?」
「えっと、なんというか、エロゲーはじ、人生? らしいよ?」
「はぁ?」
いや、何を言ってるんだ私は。別に私はエロゲーという存在を庇いたいわけではないのに。
「だ、だからそのゲームは凄くいい作品なの。笑いも感動もあって、ただエッチなだけのゲームとは違うんだから」
「え、なに? 未来ちゃんもこういうのやるの?」
「やらないけど、パパが好きで……」
「ふーん」
「ほんとだよ! 湊兄はただエッチだからって理由でこれをやってたわけじゃないの!」
そうだよね!? 湊兄!? 天国で同意しておいてください!
ひま姉は会話が途切れたタイミングで帰っていってしまった。彼女は終始湊兄には関心の無い素振りをしていた。
なら何で突然来たんだ、とは思わない。おそらく彼女なりにケジメをつけるため、湊兄の遺骨に手を合わせに来たんだろうと思う。それはどんな形であろうと湊兄がまだ家にいる今でないと。
だから多分、もうこれで彼女がうちの敷居を跨ぐことは無い。そう思うと、胸がキュッと苦しくなった。
でもケジメは大切だ。過去から自分を解き放つために。ならば、いつまでも
「はぁ……」
一旦、私にできる作業が終わった。感情的なところもあって、想像以上に疲れたな……。少し、表に出るか。
「叔母さん。ちょっとコンビニ行ってくるね」
「あらそう? 車には気を付けるのよ。信号待ちでも気を抜かないで、スマホばかりに集中しないように」
「はぁい」
すっかり言葉数が多くなってしまった我が家の出掛けの挨拶。最寄りのコンビニへ行くだけだというのに、まるで旅に出るかのようだ。
ちなみに我が家は中途半端な田舎にあるので、コンビニへ行くのには20分ほどの散歩コースを歩く。その間ずっと車に集中しながらというのも難しく、やはり頭は自然と思考を巡らせてしまう。そのトピックはやっぱり湊兄についてだった。
湊兄。彼がひま姉にしたことは確かに最低なことだった。ひま姉が愛想を尽かすのも当然だし、人が変わるほどの反省も必要なことだと思う。でも、それに対して私が放った言葉は正しかったのだろうか。
『最低。湊兄がそんな人だと思わなかった』『もういい。これからは家でも話しかけないでね』
後悔していること。それは私が湊兄を追い詰めたこと。家族なのに、突き放すだけで彼の罪に寄り添ってやれなかったこと。こんな悲しい結果を、裏切者の末路にしてしまったこと。
「湊兄……」
こんなことになるなら、もっと湊兄と話すべきだった。彼の尻を引っ叩いて、ひま姉に彼の頬をぶたせる。そういうケジメの付け方をさせることもできた。
「うぅ……」
でも、もう遅いんだなって思うと、堤を切ったように感情が溢れてきた。
「うっ……うっ……ふぅ、ふぅ」
私は細かい呼吸を繰り返し、無理やりに涙を抑える。もうすぐコンビニや本屋のある通りに差し掛かるからだ。そこは少ないけれど人通りもある。泣いてる女がいたら間違いなく目立つだろう。
「ふぅ……よし」
なんとか感情の波は引いていった。まだ目は赤いかもしれないけれど。早く買い物を済ませてしまおう。
「あ」
目的のコンビニでミルクティーを買って家路につく私だったが、同じ通りにある本屋の前でふと足を止める。ここ最近、ずっと湊兄のことを考えていたからだろうか、彼に馴染みのあるこの本屋の外観がやけに目についたのだ。
そう、湊兄がまだやらかす前の事、この本屋さんに彼がよく出没していたのを覚えている。
ここは今どき珍しい店舗で、売り場の5分の1程度がちょっとアレな書物を扱うエリアになっていた。小中学校の頃、男子たちが恥ずかしそうにコソコソと刺激的な表紙を眺めに来ていたものだ。そして、その丸まった背中たちを軽蔑した目で見る女子たちという構図も。
ああ、懐かしいなあ。そんな感情に押されて、私は用もないのに本屋へ立ち寄る。
湊兄は男子たちの中でも特に熱心にここの本をチェックしていた気がする。それこそシュリンクの隙間から中を覗き込もうとするくらい。
「うっわ、懐かしいなぁ……ほら、こうやると中身が見られるんだよ」
ああ、そうそう。今ああやって藤色の髪をした女の子がやってるみたいに。って、女の子? 何あの髪色は? 外国人? いや、それにしては日本語が達者だし。なんだかツッコミどころの多い子だ。そして、なによりも気になること……それは彼女の動作にもの凄く既視感があること。
「湊兄?」
目の前の知らない女の子へ発した言葉はほとんど無意識だった。だってそう見えたんだから。
「へ?」
女の子が振り返る。彼女は見た事のない夕焼け色の瞳をしていた。
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