第133話 わたしにできること

「うふふ、ミナトさん。あ~ん」

「あ~ん」


 アトリの差し出したフォークに齧り付く。その瞬間、口内に香ばしさが広がった。ひと噛みしてみるとザクッとした噛み応えの後に、バターに似た旨味がジワジワ舌へと溶けていく。


 うん、美味いな。美味いかもしれない。いや、美味いだろ。


「んえっ!」

「ああっ、吐いちゃった! 勿体ない!」


 美味いはずなのに、えづきを抑えきれなかった。


「もっかいチャレンジしてみる?」

「もうゆるして」


 そっとアトリから距離を取った。


「えーじゃあこれどうするの?」

「アトリが食べてくれよ」

「んーまあいいけど、目的を忘れないでね」

「すまん……」


 吐き出したものを片付けながら、俺はリアへ語りかける。


(これ魔獣化していた殺人バチの幼虫なんだって。味自体は結構美味かったよな。まあ、吐いたけど)


 返事はない。


 俺たちはどうにかリアを連れないかと思って、彼女の好きな虫料理を試してみたけれど、やはりこれではダメだった。


「ミナトさん、これ美味しいよ!」


 アトリは揚げたハチの子をフォークに突きさし、コンキリエを食う感覚で口に放り込んでいた。


(リア、早く戻ってこいよ。じゃないと、お前の好きな昆虫、もう一生食わないぞ)


 届かないんだろうな、と思いつつも俺は語りかけた。


 その後もリア浮上の為、俺達は色んな事を試す。


 魔法の開発を試してみたり、散歩をしてみたり、風呂に入ってみたり。しかし、リアは帰ってこなかった。


 恐らくだが、浮上には強い感情を呼び起こす必要があるのではないかと思う。「嫌い」とか「好き」とか、そういう心が動くものだ。


 まあ手っ取り早いのはリアの嫌いな男とそういう行為をする事だと思う。でもそれは俺もイヤだ。そんな事をするくらいなら、ふたり纏めて消えてしまいたくなるほど。


 だったら、プラスの感情をとことん刺激してやろうと、俺はリアの好きそうなことを次々に試していった。


 結果は出なかった。そして、思い当たる最後の「好き」は。


「……風俗に行ってみるか」


 いや、俺が行きたいんじゃないぞ。リアが好きだからってだけだ。


「ふうぞく?」


 当たり前だが、飲食店すら知らなかったアトリに風俗店の知識はない。


「アトリ、風俗……娼館というのは、お金を払って女の子とイヤらしい行為をする店の事だ」

「そ、そう……リアもやっぱりそういうのが好きなんだ」


 顔を真っ赤にしながらアトリは呟いた。


 すまん、リア。うっかりヤツの性癖をバラしてしまった。でも必要な検証の為だからいいよな?


「じゃあ、悪いけどこの宿で待っていてくれるか? サクッと行って来るから」


 部屋のドアノブに手を掛けた。しかし、袖を掴まれる感覚に俺は動きを止める。


「ま、待って! ミナトさん……」

「ど、どうした?」

「あの、それさ、わたしじゃあダメなのかな」

「えっ!?」


 意味が分からなくて俺はアトリの顔をジッと見た。


「いや、あの……お店でお金を払って女の人とイヤらしいことするんだよね? それってわたしじゃ務まらないかなって」

「待てアトリ、お前は何を言ってるんだ」

「だからっ! わたしとイヤらしいことするのはダメ? って聞いてるの!」

「いやいやいや!」


 え、アトリとエッチなことするの?


 思ってもみない展開に脳の処理が追い付かない。


「わたしはそういう経験がないから、わからないことも多いけど、少なくともぜんぜん知らない人とするよりいいと思うの。そういうのって気持ちだと思うし」

「で、でも!」

「それとも、やっぱりわたしだと可愛くないから無理なのかな……」

「いやいや! アトリは凄く可愛いよ! 実は良い所の子だって聞いて納得したくらいだ……だけど!」

「ミナトさんの言いたいことはわかるよ。でもね、わたし、もう子供じゃないよ?」


 少し上目遣いで俺を見るアトリは今までで一番大人びて見えた。


 声だろうか、それとも仕草? そういうひとつひとつに妖艶さを感じるというか。子供みたいだと思っていた胸もよく見れば年相応にふくらんでいるし、細いにもかかわらずむっちりとした太腿は吸い寄せられそうになるほどに魅力的に見える。それに気が付いた瞬間、俺はアトリをまともな目で見られなくなってしまった。


 ところ憚らずに言ってしまうと、俺はこの時初めてアトリに対して欲情を覚えたのだ。


 今までの俺はアトリに欲情することはなかった。それは彼女がものを知らない子供のように見えていたからであるし、小汚かった頃を知っているからでもある。そして、一番はリアに釘を刺されていたからだ。


 でも、今リアはいない。


 いや待て落ち着け。また流さそうになってるじゃん。過去に俺はそれで大切なものを失ってしまったではないか。


「アトリ、俺の過去を話しただろ? ダメなんだって。そんな風に誘惑されたら俺、抑えられないから」

「抑えなきゃいけないの? ミナトさんが恋人を裏切ったことを今でも後悔してるのは分かるよ。でも今わたしとシても、誰かを裏切ることにはならないと思うんだ」

「そ、それはそうだが……」


 確かに、今俺が失うものはもうない。恋人も、自分の命さえも失くしてこの世界に来たのだ。そして、大切な相棒の声すら届かなくなってしまった今、一体何を裏切るというのだ。


「ミナトさんお願い……わたしもまたリアに会いたい。リアが戻ってこられるように、出来る事をしたいのっ!」


 袖を掴んでいたアトリの腕はいつの間にか、抱え込むようにこちらを腕をホールドしていた。


「お願い……わたしをひとりにしないで」


 いや、そのセリフは卑怯だろ……。最早彼女の願いを無碍にするのは不可能だった。


「わ、わかった。だから、一旦落ち着いてくれ」

「うん。ありがとう!」

「とりあえず、準備をしようか……」


 身体を重ねるには準備がいる。身体的にも、心の準備的な意味でも。


 まず俺はお湯玉で自分とアトリの身を清めた。その最中、アトリは羞恥心の為か、顔を真っ赤にしながら何も言葉を発しなかった。


 恥ずかしいならしなくてもいいのにと思わなくないけれど、彼女なりに決心して誘ってきたことを考えると無粋なことは言えなかった。


 そして、俺たちはベッドに座った状態で向き合う。


「ミ、ミナトさん。さっきも言ったけど、わたしこういうことあんまり知らなくて……」

「あ、ああ……わかってる。全部俺に任せて肩の力抜いてろ」


 ガチガチに強張ったアトリの肩をほぐすように摩る。段々と震えが小さくなっていくのを待って、俺は口を開いた。


「アトリ、まずキスをするから目を閉じてくれ」

「キ、キス! わ、わかった……」


 俺の指示に従い、アトリは目を閉じる瞼にギュッと力を入れる。


 ああ、また力入っちゃったな。


「腰、触るから」

「は、はひっ」


 アトリの腰に手を当て、包み込むようにその身体を抱く。キスをするというに、落ち着きなく何度も下唇を甘噛みする姿が可愛らしいと思った。


(リア、アトリがここまでしてくれているんだ。早く戻ってこいよ)


 聞こえていないだろうけど、一言リアに語り掛ける。


(────い)


 初々しいアトリを見ていると、何だかこっちも照れくさくなってきた。でも今更やめられない。ムズムズする気持ちを抑えて、俺は顔を目の前にいるアトリへ更に近づけていく。


 そして唇と唇が触れた、その瞬間──

 

「寝取られよくなあぁぁぁぁぁぁぁいっっっ!!」


 俺は叫んだ。


 気がおかしくなった……わけではなく、それは沈んだはずだった相棒の魂の叫びだった。

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