第132話 クソしょうもない過去

 ギルドを去った俺たちは街の中央に近い宿をとり、近くの飲食店へ入った。


 生れて初めての飲食店ということで、アトリが緊張していることは言うまでもない。


「アトリ、街ではご飯を食べるのにお金を払うんだ」

「お金かあ……どれくらい必要なの?」

「そうだなぁ……大体こういうところに値段が書いてある。ここは少し安めかな。基準として覚えておくといいよ」

「うん」


 これまで自給自足の村で生活していた彼女にとって『貨幣』という概念は縁遠いものであった。読めない数字もあったくらいだ。


 しかしこれから街で過ごすなら最低限の学は必要だろう。この機会に教えてやらねば。


「これは5な、後ろの数字と足して、500ガルドだ」

「うんうん。500ガルド。これでお魚が食べられるの?」

「そうだよ。でもこの街は魚の値段が安いから、この値段なんだ。他の街だと1000ガルドはかかるな」

「へぇ……」


 こういう小さな知識や経験を己の中に積み重ねていけば、いつかアトリも街で暮らせるようになるだろう。彼女がそれを望むならの話だが。


 アトリのお勉強タイムを挟んで、俺たちの注文した料理が届く。2人共、この街名物の蒸し魚料理を注文した。


「……うわぁ!」

「おお、美味そうだな」


 深い皿に盛られた綺麗な白身魚、その上に酸味の強い果実がついて、赤いソースがかかった一品だ。


「ミナトさん、食べていいっ?」

「どうぞどうぞ。てか、別に確認取らなくていいから食べな」


 俺がそう言うと、アトリは料理に飛びついた。ここ最近の貧食の反動か、凄い食べっぷりだ。というより、魚が好きなのかな。


 何だか久しぶりにアトリが幸せそうにしている所を見た気がした。








 ビフィキスへ到着した翌日。俺はアトリと宿にて、リアの浮上について相談をする。


「じゃあミナトさんが前に沈んじゃった時は嫌いなものを食べさせられて戻ったんだ」

「そうなんだよ。『嫌い』って感情に運よく引っ掛かって引き上げられたって感じかな」

「へぇ、じゃあリアの『嫌い』なものに向き合えばいいのかな?」

「うーん、まあそれはそうなんだが、リアの『嫌い』がな……」


 リアが嫌いなものといえばやはり「男性」だ。今では会話程度ならこなせるし、いい関係を築くことが出来れば情だって湧く。だが、性欲を向けられるともうダメ。蕁麻疹がでる。それははっきりしているのだが、精神的に幼いアトリにどう説明するべきか悩む。


「えっとな、リアは……その、男が嫌いなんだよ」

「男?」

「ああ。まあ、何というべきか……その、そういうことをしたりとかが無理? 的な?」

「そういうこと……」


 納得するように頷くアトリの頬はどことなく赤らんでいる。前に「若い女が男に裸を見せると赤ちゃんが出来る」なんて中々ぶっ飛んだことを言っていたけれど、この反応的に一応ニュアンスは伝わってるのかね。


「あーえっと、言ってる意味、わかる感じ?」

「う、うん……」


 アトリは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに下唇を噛んだ。


 やはり分かってはいるらしい。まあ、年齢的に知っていないと不自然かもしれない。村の誰かがそれとなく教えたのか。ならば赤ちゃん云々はただの照れ隠しだったということになる。マジでわかんねぇ。


 ……いや待て。ということはギルドでのキユさんとの会話、アトリは意味が分かっていて敢えて純な反応をしたのか。それとなくいやらしい会話を終わらせるために。うわぁ……そう思うと、流されそうになってた俺が本格的に気持ち悪いな。


「じゃあリアは恋愛も嫌い?」

「いや、そうじゃないんだ。なんというか、うーん……まずアイツは俺の影響をかなり受けてる。で、俺は男だから、女の子が好きなわけで、後はわかるよな」

「そ、そういうこと……」


 アトリの表情は更に赤みを増していく。元の肌が白いから余計に目立って、まるで酔っ払いみたいだ。


「あの、やっぱりお姉さんが言ってた『身体を差し出す』って、女の人どうしで、そういうことをするって意味なんだ」

「あ、ああ、そうだよ。でもちゃんと断ったからな」

「でもミナトさん、あの時本当は受けようとしてたんじゃないの?」

「うっ……」


 傍から見て、あの時の俺は余程だらしのない顔をしていたのだろう。これは俺最大の欠点である。


「すまん。ダサい所を見せた。リアの身体を借りておきながらほんっとうに情けない……」

「えっと……元気出して?」


 アトリは優しく肩を撫でてきた。彼女のやさしさが染みる……。だからというわけではないが、俺の口は重荷を放り投げるように軽やかになっていく。


「俺、昔から誘惑に弱くて、ホントダメなヤツなんだ……マジでどうしようもねぇ、死んでも治ってねぇじゃん」

「ど、どうしたの?」

「その、な。俺は昔からそうなんだ。夕食前に冷蔵庫のプリン食べちゃったり、テスト勉強しなきゃいけないのに、漫画読んだり……まあ子供の内は親に怒られるだけで済む話ばかりなんだが、大人になってくると怒られるだけじゃ済まないこともあって。俺さ、一度自分の欲に負けて大好きな人を裏切っちゃんたんだよ」


 それからはアトリの反応も伺わずに、ひとりで勝手に喋っていた。


 あれは俺が高校生の頃の記憶。それは俺が記憶している中で一番最低な記憶であり、一番煽情的な記憶でもあった。


 当時、俺には幼馴染にして恋人という、エロゲライターも真っ青なコテコテ設定を現実にしたような彼女がいた。可愛くて、頭が良くて、そして俺の事が好きな理想の恋人だ。当時の俺たちはお互いに初めてを捧げ合い、夢を語り合い、ずっと一緒だとか甘い言葉をささやき合っていた気がする。


 だが、そんな時間は2年と持たなかった。高2の夏、俺は彼女の姉に誘われた。美人で年上のお姉さん。スタイルが良くて昔から彼女の持つ大人な雰囲気に興味を引かれていた。


 そんな彼女は結構遊んでいるという噂を聞いたこともあった。だからというわけではないが、初め俺は彼女の誘いを突っぱねていたのだ。自分の恋人の方が可愛いし、お淑やかで素敵だと思っていたから。


 だけど俺は結局、その誘惑に負けた。決め手は、恋人より少しだけ胸が大きい事だった。


 アホだった。アホだったけど、少し胸が大きいだけで、どうしてこんなにも蠱惑的で、官能的なんだろうか、と思った。お淑やかさとかそんなのどうでもよくなるほどの毒。今でも思い出すと、すぐに魔力が溜まってしまう。


 そして誘いに乗った俺だったが、あっさりと恋人にはバレた。というか、最初からそのつもりで姉の方がバラしたらしい。つまりは姉の罠だったのだ。


 とにかく、その時点で俺は別れを告げられた。


 悲しかった。そんな権利はないけども。


 エロゲ──恋愛ADVというジャンルにのめり込んだのはその後だった。最初は叔父から名作と言われるタイトルのソフトを借りたことがきっかけだった。


 当時は何でもいいから何かに熱中したくて一晩中そのソフト進めた。そして、泣いた。これでもかというくらい泣いた。シナリオの完成度、キャラ同士の掛け合いの面白さ、CGの美麗さ、そういうところも良かったのだが、俺が一番心にグッときたのは、ヒロインへの主人公のまっすぐな気持ち。そして、その気持ちを最後まで貫く健気さ。それは本編でどんなに辛い展開が待っていようと変わらない。


 その真っすぐさに俺は憧れた。それは、俺がかつて捨ててしまったもののように感じられたからだ。俺は慌てて拾い集めるように、色んなタイトルを漁るようになった。中には酷い主人公もいたけれど、概ねエロゲの主人公は俺の憧れるような人間だった。


 結果、大学生としての生活に慣れる頃には立派なエロゲーマーの出来上がり。


 エロゲに没頭していれば、俺は誰にも裏切られないし裏切ることもない。俺はいつまでもその世界に触れて居たいと思うようになった。


「それで、俺は死んでしまったんだ」


 いつの間にか話は進み、俺は自分の人生を最後まで語っていた。


 エロゲだとか何だとか、まったく違う常識で生きてきたアトリには伝わらないことも多くあっただろう。だが、彼女は全て聞いていてくれた。いや、それどころか、目には涙を浮かべていた。……え、泣くところあったか?


「ど、どうして泣くんだ!?」

「……えっと、あのね、ミナトさんはその恋人さんに謝れないまま死んじゃったんだって思うと、悲しくて……」

「え」


 虚を突かれた俺は何も言葉が出ず、ただアトリを見つめる。


 ……なるほど、そういう考え方をしたことはなかった。そうか、元の世界にいた頃なら、そんな選択肢もあったのか。


 もう傷つけたくないとか言って、俺は結局最後の最後まで逃げ続けていたんだ。本当は殴られてでも、頭を下げるべきだったんだ。


「ねえ、ミナトさん」

「なんだ?」

「わたしはちゃんとリアに謝れるのかな……」


 アトリは俺の過去に自分を重ねたのだろうか。とにかく、彼女はずっとリアのことを考えている。正直、俺はその真っすぐな気持ちに憧れずにはいられなかった。

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