第128話 再出発

「…………あの、もうはなして」


 腕の中のアトリは鬱陶しそうにしていた。


 火葬を始めてからというもの、俺はアトリの身体を抱き留めて離さない。これは別に親愛の証とかそういう綺麗なものではない。


「いや、離すのは無理だ。またヤケを起こされたら困るからな」

「もう火消えちゃったもん」


 そうは言うけど、人間死のうと思えばいつどんな時でも死ねる。こうやって身体を抑えている今でも、舌を噛み切れば彼女の自害は止められない。まあ、難易度は高いけれど……。


「頼むからもう死のうとするのはやめてくれ」

「もうしないよ……」

「そうしてくれ。もしお前に何かあったら、リアがまた浮上してきた時、俺はアイツになんて言えばいいんだ」

「リア……いつ戻ってくるの?」

「いや、わからん。何かきっかけを与えてやらないといけなんだが、何をどうすればいいのかまだわかってないんだ」


 俺が沈んだ時は、嫌いな昆虫料理が浮上のトリガーになったようだが、リアの場合はどうなるんだろう。リアの嫌いな物といえば、例えば、男性とか? ……いや、それは俺も嫌だ。


 まあ、それは後々研究するとして。


「リアの浮上も大事だが、今は次のことを相談したい」

「……これからどうするのって、ことだよね? そんなこと言われてもわたしにはわかんないよ……ミナトさん、わたし、これからどうしたらいいんだろう……」

「うん、それなんだが……とりあえずさ、一緒に街へ行かないか?」

「街?」

「ああ、いつまでもこの村にはいられないだろ。もう俺とアトリしかいないんだから」


 俺がそう言うと、アトリはまた複雑な表情を見せる。こちらが言っていい事ではないことなど承知している。


 それでも俺はリアがまた浮上してくるまで、必ずこの子を生かしておかなければならない。だから俺はアトリを傷つけてでも、前を向かせないと。


「街に行って、リアの浮上をあれこれ試して、ふたりで再出発するんだ」

「再出発、か。リアはわたしを許してくれるのかな?」

「だから何度も言っただろ? リアはアトリを悪いだなんて思っていないから、あの時殺さなかったんだ」

「そうかな……リアはわたしのせいで村があんな事になっちゃったっていうのを、直接見せたかったのかもしれないよ?」

「リアはそんな性悪じゃねぇよ。疑うなら直接本人と話せ。謝るにしても怒るにしても、アトリが死んだらもう話せないだろ」

「……わかった。街に行く」


 アトリの罪の意識を利用するのはいけないと分かってはいても、今は彼女が生きる気力を付けられるように利用するものは何でも利用するのだ。







 ひと眠りしてから、俺は街へ行くための準備を始めた。


 具体的には食事だ。『王の樹海』を越えるのに、飯の用意なしでは自殺するようなものだろう。森では敵が多くて食事を用意している暇がないのは勿論なのだが、生態系が狂っているせいで食える生物がほぼ存在しないのだ。


 材料はマジックバッグに蓄えがあるので、作ってから行こう。というわけで、意気揚々と炊事場に立ったはいいものの。


「……俺、料理できないじゃん」


 肉焼いて香辛料ぶっかけるだけならともかく、森を移動しながら食べられる料理のレシピなんて俺には思いつかない。それに炊事場の勝手も分からないし……。


「あの……」


 色々出した食材とにらめっこしていると、アトリがこちらをこっそり覗いていた。


「料理、わたしならできるけど」

「え、本当か? この食材で、何か食べやすい料理とか作れる?」

「うん。収穫の忙しい時期によく作ってた料理があるの」

「マジ? すまんがアトリ、それ作ってくれない? 俺も手伝うから」

「わかった」


 炊事場をアトリに明け渡す。彼女は普段から料理を手伝っているので、軽食くらいお手の物だった。


 そして、なぜだろう。少しアトリの表情は明るい。何か作業をしている間は、気持ちが楽になったりするのだろうか。


「おおっ、美味そうだな」

「そうでしょ?」


 今回森で食べる用にアトリが用意したのは、低級な穀物を薄く延ばして焼いた生地に肉やら野菜やらを包んだタコスのような食べ物だった。


 少し作りすぎというくらい用意してマジックバッグに入れておく。


 その前に、幾つか拝借してアトリと一緒に腹ごしらえとする。


「これヤバい美味い。止まらん」


 食べれば食べるほど、お腹が空いていく。ツリロで買った香辛料が効いてるのもあるが、ここ数日ほとんど何も口にしていなかったのが理由だろう。俺もアトリも今まで精神的に何か食べられる状況ではなかったが、一度美味いものを口にするとそれが呼び水となって突然腹の虫が大騒ぎし始めた。


「これ美味いな! アト……リ?」

「……ひっ……おいじい……」


 アトリはまた涙を流しながら包みに齧りついていた。


「ごめん。俺、何かしちゃった?」

「何も。おいしいから涙が出るだけ。大丈夫だから」

「そ、そうか……」


 泣きながらも、包みを咀嚼する口の動きは止まらない。


 こんな状況では精神の不安定さはどうしようもない。俺は包みを食べながら、しばらく彼女を見守っていた。


 さて、食事の準備が出来たら後はもう出発に備えて休むだけ……と言いたいところだが、森に入ればしばらくは風呂に入れない。なので今のうちに、身綺麗にしておきたい。


「アトリ、お湯出すからこっちこい」

「あ、あの、わたしもお湯を作れるようになったから……」

「ああ、そうらしいな。でもそれは街について、リアの前で披露しようぜ」

「あ、うん……」


 村長によってネタバレを食らったが、やっぱり魔法の師匠として、リアは直接その成果を見たいだろう。ここは街についてからのお楽しみということで。


「じゃあ脱いで。石鹸出すから」

「いや、えっと、ミナトさんって男の人なんだよね?」

「そうだけど?」

「いやあの……そう思うと、ちょっと裸を見られたくないというか……」

「…………なるほど」


 そうか、アトリも歳頃の女の子だったか。


 アトリに対して発情をするな、というリアの勧告もあり、あまりに彼女に対して意識が無さ過ぎた。ずっと抱き留めていたのも良くなかったのかもしれない。


「わかった。見ないようにするから」

「うん……ごめんなさい」

「いいよ。でも、正直意外だった。村には若い男っていなかったし。アトリにはそういう羞恥心とか無いと思ってた」

「あー、えっと……そう、おじいちゃんが言ってたの。『若い女が男に裸を見せると赤ちゃんが出来る』って。たまに冒険者が来ることもあるから、いつも気を付けてたんだ」

「えぇ……」


 貞操観念の教育方法がなんか雑だな。というか、今の俺の状態は『男』扱いでいいのか。


 今更ながら、俺とリアが別人だという認識を持った相手とここまで長く話したのは初めてだ。ううん……どういうスタンスで相手と接するのか、自分の在り方に悩まされる。


「後ろ向いてるから、お湯が必要になったら言ってくれ」

「うん。ありがとう」


 とりあえず、相手は女の子だ。紳士的にいこう。

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