第120話 別れる前にできること

「今日も飛竜、現れなかったね」


 リアは今にも眠りに落ちそうなアトリへ語りかける。


 飛竜が1週間続けて現れていない。このままの状態が続けば、リアの旅立ちの目途が立ちそうだ。それは村にとっても、リアにとっても良い事だと思う。


「…………」

「アトリ?」

「なんでもない」


 暗闇の中、スンスン鼻を鳴らす音だけが響いていた。


「リア?」


 リアは隣に横たわるアトリの身体に腕を回した。


「アトリ、ごめんね。そろそろ私はここを出る。どうしてもやらなくちゃいけないことがあるから」

「わかってるもん。だからわたし、何も言わなかったのに」

「ごめん……でも、アトリ、凄く悲しい顔をしていたから」

「見えないでしょ? こんなに暗いのに」

「見えるもん。私、凄い魔法使いだから」

「……ズルいよ。わたしもリアの顔が見たい」


 見ない代わりにアトリはリアの顔をぺたぺたと触ってきた。


 こうやって誰かに触れられることも、リアが里を出てからはなかなか無いことだった。普段は触られないようにと、自動防衛の魔法まで使っていたのだから。


 だが、その魔法も最近は使っていない。アトリとはしばらく一緒に寝ているし、ここの村人が変なことをするとも思えない。こんなに安心できる空間は獣人の隠れ里以来だった。


「わたしも魔法が使えたらいいのにな……」


 ぼそりとアトリが呟く。


「魔法なんてやろうと思ったら誰でも使えるよ」

「そうなの? 泥色のわたしでも?」

「会ったばかりの頃にも言ったけど、私も昔は魔法位が凄く低かった。アトリの≪褐≫よりも低い≪黒≫だったんだよ。その時でも何とか魔法は使えたんだから」

「そうだったんだ。なら、わたしにも魔法が使えるのかな?」

「使えるよ。よし、じゃあ明日から私がアトリに魔法を教えるね」

「え、うん……」


 その生返事には、まさか自分が魔法なんて使えるはずない、というアトリの心が透けている気がした。


「自信が無いの?」

「うん。だって、魔法なんて使ってるの、たまに来る冒険者の人くらいだし」

「ああそっか。そもそもアトリは魔法と関わる事自体があんまりなかったんだね」

「そうなの。おじいちゃんが昔騎士をやってて、力持ちになる魔法が使えるらしいんだけど、わたしはよくわかんなくて」

「ああ、それで……」


 あの村長はかなりの高齢に見えた。にもかかわらずアトリの身体を持ち上げたり、そもそも村長としての仕事を続けられるのは身体強化の魔法が使えたからということもあるのか。


 ただアトリの言う通り、身近な魔法が身体強化魔法だけだと、魔法が縁遠いものに感じるのも無理はない。


 魔法は見て学べという習得方法が一般的だ。であれば、身体強化以外に魔法の存在しないこの村でアトリが使える魔法などあるはずがなかった。


「昔はね、この村にも魔法を使える人がいたんだって。でも、皆あの森の向こうに消えちゃったの」

「え、どういうこと……?」

「えっとね、森を越えようとして死んじゃった人もいるし、街までたどり着いてそのまま村を見捨てちゃった人もいるってこと。わたしが大きくなるずっと前の話だけどね」

「そう、なんだ……」


 魔法使いが居ないのもそうだが、この村が極端に高齢化しているのも、そんな過去があったからなのかもしれない。まあ、確かにこんな隔離された村じゃ未来がないと思うのも無理はない。


「それでね、わたしのお母さんとお父さんも魔法が使えたらしいんだ。で、小さかったわたしを連れて冒険者の人と一緒に街へ行こうとしたんだけど、ふたり共死んじゃったんだって」

「え? じゃあアトリは?」

「わたしだけは何とかその冒険者の人に村へ戻してもらったみたい。まったく覚えてないけどね」


 両親を失ったにもかかわらず、アトリにとってそれは人から聞いた、まるで他人事のような話でしかなかった。


「でも、アトリの両親がどっちも魔法が使えたってことは、アトリにも出来るってことだよ」

「あはは……そうだといいなぁ」

「そうに決まってる! 明日からビシバシいくから覚悟しててね」

「ええー、やさしくが良いなぁ……」

「ダメダメ。私は魔法の鬼なんだから」


 リアの心は寝る前だというのに、やる気に満ち溢れていた。






 次の日から、リアによるアトリの為の魔法の特訓が始まった。


「さて、アトリ。まず、どんな魔法を使ってみたい?」

「えー、うーん、そうだなぁ……。リアが魔物を倒す時によくやる雷ゴロゴロ~とか?」

「……あれは魔力的に無理かも。ごめん」


 雷魔法はリアの中でもコストの高い部類に入る。残念だが≪褐≫のアトリには逆立ちしても不可能だ。


「ああ、いいの。わたしも無理だろうなって思ってたから。でも、他にどんな魔法が使いたいかって、パッと思いつかないんだよね」

「う~ん。それは困った……」


 いきなり目標設定で躓いてしまった。漠然と魔法の特訓といってもゴールが見えないとなかなか難しい。


 そういや俺も数年後に控えた就活の武器になるかと思って、適当にプログラミング言語の勉強を始めたはいいものの、作りたいものが浮かばず結局序盤で投げ出した記憶がある。


 何か「この為に」ってのが欲しいな。出来れば戦闘用とかではなく、アトリの生活に役立つような……。


(あっ、そうだ、リア。お湯玉の魔法教えてやればいいじゃん。あれなら≪褐≫でも何とか使えそうだぞ)

(それだー!)


 一番に思いついてもおかしくない魔法だった。


 とにかくアトリに提案してみると、彼女は「あの魔法、自分で使えるの!?」と驚いた。


「魔力的にギリギリだけど使えるよ。今のアトリだと1日に数回使えるかどうかって所かな」

「1日に数回? それだけなの?」

「そのままだとね。でも、削れるところは削ればいいし。工夫すれば、もうちょっと多いかも」


 お湯玉魔法は、それ単体の魔法ではない。水を作り、熱でお湯を沸かし、念動力でそれを浮かせる魔法だ。当然、これを工程ごとに分割することは出来る。


 水は井戸から汲めばいいし、お湯は桶か何かに入れとけばいい。優先度で言えば、一番最初に習得すべきはお湯を沸かす所だな。


「よし、じゃあまずは水をお湯にする魔法ね」

「うん!」


 早速、リアは魔法の講義に入る。魔法を教える方法はリアが昨晩、布団の中でじっくりと考えていた。


 この世界では一般的に「魔法は見て学べ」と言われているほど、魔法は感覚的に使うモノだと思われている。師匠に弟子がくっついて身近な位置で何年もその魔法術式に触れ続けることで、いつの間にか魔法スキルが使えるようになっている。まあ、何年もというのはちょっと極端な例だが、過程は大体そんなもの。


 そんな不確実な伝達方法だから、この歳で色々な魔法を使えるリアはギルド登録時点で少し怪しまれていたのだ。


 ただそのリアから言わせれば、魔法はそんな不自由なものでないし、好きなように真っ新な状態から魔法を組み立てればいいじゃん、となるのだ。


 まあ、彼女が思うほど簡単なものでもない。現に俺は全くできないし。


 ただある程度自分の中で論理的に処理出来るという事実は否定しない。勿論、今回リアはこっちで魔法を使うことをアトリに教える。


 で、そこで問題がひとつ出てくるのだ。それは「どうやって人に説明すんの?」ということ。


 これが本当に難しい。例えるなら、見えている色の情報を言葉だけで人へ伝えるような……。いやそんなの無理じゃね、と思っていた時期がリアにもあった。だが、画期的な方法がある事をリアは獣人の隠れ里で知った。それは……。


「アトリには魔法陣を読み解いて貰います」

「え? 魔法陣?」


 そう、魔法陣。魔道具などに魔法を仕込むためのアレ。


 魔法が色そのものだとするなら、魔法陣は色RGBやCMYKのように、魔法を言語として表現したものだ。これには客観性があるので、理解さえ出来れば魔法として捉えられるとリアは思ったのだ。


 ということで早速、リアは木板に熱魔法の魔法陣を刻んでいく。これはパレタナでムラッサとかいう奴隷商人から買わされたブレスレットに刻まれていたモノの流用だ。まさかこんな所で役に立つとは。


「これが熱を生み出す魔法。わかる?」

「えっ? えっ?」

「これをアトリの中で魔法術式に置き換えてみて」

「ごめんリア、ぜんぜん分からないよ……」


 とはいえ、先は長そうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る