第98話 ノイン

 王都パレタナの色街は北地区と西地区に跨るように存在する。


 北側よりには低級な店、西側には高級なお店という配置だ。


 風俗で妥協はするなという先達の教えに従い、ここは無理をしてでも西地区のお店を利用したかったのだが……。


「冒険者はお断りだ」

「女性はちょっとね……」


 何とも狭量な経営戦略を持つ西側店舗に拒絶され、涙ながらに北側へと逃げた。


 だが北は北で酷かった。リアは売り手と間違われたり、明らかに地雷である人を宛がわれそうになったり。


 もう諦めて帰ろうかと思っていたその時、ふと怪しげな店構えが目に入る。


 店にはナメクジのような生き物を模したシルエットの刻まれた看板が掲げられていた。


 北側の店は基本的に教養のない冒険者にも分かるように、文字ではなく絵を使った看板が多い。その店の特徴を一目で伝えられるように結構凝ったものが多いのだが、この絵は一体何を表すのか、さっぱり見当がつかない。


(ちょっとここ気にならない?)

(それはそうだが……明らかに怪しくないか?)

(……試しに入ってみようよ)


 怪しいとは分かっていても気になって仕方がない様子のリア。


(警戒は怠らないように。変な書類を書かされそうになったら、店を出よう)

(そうだね、そうしよう)


 結局好奇心に負けて、俺たちはその店に入ってみることにした。


 中も大変に奇妙で、一面黒い布で覆われた屋内に垂れ下がったカーテンが、この場の閉塞感をこれでもかと演出していた。


「いらっしゃい」


 中でリアを迎えたのは、怪しい妖気を放つ一人の老婆だった。


「あの、ここはエッチな店であってる?」

「そうだね。ただ、残念だが、ここは女を抱く場所であって、男娼はおらんよ」

「いや男はいらない。女の子がいい」

「ふぅん、なるほど……」


 ケケ、と老婆は気味悪く笑う。ああ、何か早速入ったことを後悔してきた。


「私も女だけど、ここは利用できる?」

「ああ、来る者は拒まんよ。ただ、そっちは拒むかもしれんが」

「どういうこと? もしかして、お婆さんが相手とか?」

「んなわけあるかい。まあ、見てみればわかるさ」


 そう言って、老婆は小さな鐘を鳴らした。


「た、ただいま参ります」


 黒いカーテンの向こうから現れたのは、布の色に負けないくらい真っ黒な髪を持った少女。


「どうだい? アンタはこの娘を抱けるか?」


 老婆はリアに問いかける。


 背中まで伸びた美しく艶のある黒髪に、白い肌。そして、色素の薄い灰色の瞳。目の前の少女は正直言って、これまで出会ってきた中で一番と言っても過言ではないくらい綺麗な少女だった。


 抱けるかどうかなんてハッキリ言って愚問だ。にもかからわず老婆が確認をとってくることには、充分すぎる理由があった。


「この人、もしかして魔族?」


 リアは確信ありつつも尋ねた。


 魔族とは亜人の中にある枠組みのひとつ。魔力に関して純人や獣人とは異質な特徴を持つことから、そう呼ばれる。今まで俺たちは出会ったことがなかったのだが、ハツキさんから話だけは聞いていた。


 そして、目の前の少女の外見には、リアの知識にある魔族の特徴と一致するところがいくつもあった。


 例えば灰色の瞳に、艶やかな黒い尻尾と蝙蝠みたいな小さい翼。そして、愛くるしい程に可憐な容姿。


「そうさ。コイツは『淫魔』だね。または『吸魔』とも呼ばれる魔族だ」


 『吸魔』とは、俺たちがネイブルを出て野宿を敢行した時にも見かけた、ヒルのような見た目の魔物だ。アイツらは人間に取り付き、血の代わりに魔力を吸いあげる。


 なぜその魔物と同じ名前で呼ばれているのか、それはその魔族が同じように他人の魔力を吸い取って生きる種族であるから。


 そうか。お店の看板にあったナメクジみたいなシルエットは『吸魔』を表していたのか。なるほど、納得がいった。


 そして、この種族のもうひとつの呼ばれ方である『淫魔』。これは恐らく魔力を吸い取る方法を意味する名前なんだろう。


 そこまで考えが行って、リアは思わず生唾を飲み込んだ。


「初めまして、ノインと申します。お客様が私に精をくださるのですか?」

「あ、うん。あの、お婆さん、この人指名で」

「クヒヒ、1名様ご案内」


 当然何もしないという選択肢はない。


 心臓をバクバク言わせながら、リアはノインという魔族の少女と店の奥へと向かった。


「女性の方のお相手は初めてなので、失礼があるかもしれませんがご容赦くださいね」

「は、はいっ」


 リアがベッドに腰掛ける横では、ノインが柔らかい笑みを浮かべながら部屋着を脱ぎ始めていた。


 こういう店で働く女の子は常にネグリジェのように薄い肌着で過ごしているイメージなのだが、彼女の場合は最初から花の模様があしらわれた白いブラウスを着ていた。


 脱いでいくところを見るのも楽しいので全く文句は無い。


「わぁ……おっきい」

「うふふ、ちょっとした自慢なんですよ」


 そして、下着姿になったノインは凄かった。


 着やせするのか、服の上からは分からなかった膨らみがドカンと主張してくる。にもかかわらず、お腹はキュッと細くてもはや芸術的なスタイルと言っていい。


 リアは今にも押し倒してむしゃぶりつきたい気持ちを抑え込む。


 今日はまだまだ時間がある。なにせ、老婆から伝えられたタイムリミットは明日の夜までとあまりに長く、更には「時間一杯まで楽しむように」とまで言われていたのだ。


 それでいて要求された料金はパレタナでの食事1回分程度。大丈夫なのか、この店は。


「あの、まずノインの事が聞きたいんだけど」

「はい。わかりました。でも、その前にくっついてもいいですか?」

「え、うん……いいけど」


 リアが了承すると、ノインは躊躇うことなくリアの腕に抱き着いてくる。


 うわ、すごいやわらかい。なんて、感動していると、微妙に自分の魔力が変な方向に動いているのが分かった。


「あれ、もしかして今魔力を吸ってる?」

「あ、はい。ダメでしたか?」

「いやダメじゃないけど。でも、それだけでも吸えるんだ」

「そうなんです。本当は粘膜同士の接触の方が効率よく吸えるんですけど、今わたしとてもお腹が空いていまして……もしかしたら吸い過ぎちゃうかもって。あっ、あなたさまの魔力、すっごく濃い……」


 何だかその言い方がエロ可愛くてリア共々興奮した。


 よく見ればノインの頬には赤みが差しており、表情も煽情的。


 実を言うと、この感覚は俺たちにも分かるものだった。質の高い大量の魔力が突然身体の中に溢れてくる感覚。俺たちで言うとスケベな思いをして魔力ブーストがかかった時、何とも言えない快感が身体を駆け巡る。


「ふぅ……ごちそうさまでした」


 満足そうに言うと、ノインの腕は離れてしまう。


「え、もういいの?」

「ちょっと休憩させてください。空っぽだったところにあんな濃いのを注いでしまって、胸やけしちゃってます」

「えっっっっ──じゃなくて! ……それは大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ。それより、いきなり断りもなく魔力を吸ってしまい、申し訳ございません……」

「いや、いいよ。えっと、もうお腹いっぱいになったってことだよね」

「それが、その……」


 ノインは恥ずかしそうに言う。


「その、実はまだ足りないんです」

「そうなの?」

「そうなんです。食事と違って、魔力は何日分も摂り溜めすることが出来ますから。補給できる時に補給するように、身体が疼くんです」

「えっろ……じゃなかった。えっと、空っぽだったってことは魔力補給自体久しぶりなの?」

「はい、最後にしたのは半年ほど前ですね」

「半年!? よくそんなに魔力が持つね」

「魔法を使わなければ案外持つものですよ。でも、流石に最近はひもじさで苦しかったですが……」

「そりゃあそうだよ」


 魔力を欲するひもじさというのは、別に魔族でなくとも経験できる。その方法は簡単で、今ある魔力を全部使ってしまえばいいだけだ。


 人は魔力が無くなると苦しくなる。それは身体的にもそうだが、比重で言えば精神面が大きい。大きな不安感や苛立ち、悲壮感に苛まれ、明確に死を意識するほどに精神は追い込まれてしまうのだ。


 昔、魔法位の低かったリアがよくこの状態に陥っていた。だからこそ、ノインがどれだけ苦しんだかが痛い程わかった。

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