第76話 少年の居場所

 馬車に揺られること十数分。小学校の敷地面積くらいはありそうな施設にたどり着く。


 庭先に馬車を止め早速降りてみると、20代くらいの黒髪犬耳の女性が庭先で待機していた。


 彼女はルーナさんに向かって深く頭を下げる。


「ルーナ様。お待ちしてましたー!」


 リソンさんと同じく、こちらの来訪を知っていたみたいだ。


「ラプイノン、ご苦労様。調子はどうかしら」

「おかげさまで! 健やかにやっております」

「子供たちも元気かしら」

「ええ、それはもう。ぜひご覧になってください──皆、いらっしゃい」


 ラプイノンと呼ばれた犬耳の女性が声をかけると、どこに隠れていたのか、ワラワラと子供たちが集まってくる。


「るーなさま、こんにちは」

「はい、こんにちは」


 とはいえ無秩序というわけではなく、順番を守るように列をなしてルーナさんへと挨拶をしている。


 子供たちの年齢は大体10歳前後くらいの子が多く、たまにリアと同じく中学生くらいの見た目の子も混じっていると言った感じ。


 あ、いや、よく見れば大人もいるのか。彼らは幼い子らを優先するように待機列の後ろの方に並んでいる。


 大人も含めた子供たちは皆、犬耳だったり猫耳だったり、熊耳だったり。獣人比率が高いというよりむしろ、純人は一人としていなかった。


 隠れ里でもここまでの亜人率ではなかったな。


「ここは、まあ……言い方は悪いのですが、更生施設のような場所なのです」


 子供たちと触れ合うルーナさんを眺めていると、リソンさんがそう教えてくれた。


「更生?」

「そう。彼らのほとんどは捕まってからずっと長い間誰かの奴隷として生きていた、もしくは生まれた時には既に誰かの奴隷だった者たちなのです。私たちの息のかかった勢力に引き取られてここへ来るのですが、その殆どが放っておくと自立した生活を営めないのです」


 家畜であることに慣れた動物が自然の中で生きていけないように、彼らも放置してしまえば腹を空かせたまま死んでしまうことだろう。それでは助ける意味がない。


「人によってかかる月日は変わりますが、大体3年程でやりたい仕事を決めて施設を出るのです。農業だったり牧畜だったり手工業だったり……後は、わたしみたいに村の運営に関わる仕事をしたり」


 リソンさんが敢えてここで自分の話をしたことで様々な事情を察してしまった。


「実はわたしもアイサも、ここの出身なのです」


 はしゃぐ子供たちを眺めながら彼女は予想通りの言葉を口にする。


「わたしが奴隷から解放されてここへ来たのは、もう手足が伸びきった年齢でした。にもかかわらず、それまでのことはあまり覚えていないのです。たぶん、記憶に残るほどの経験をしていなかったのですよ」


 純人に飼われる亜人の扱いというものはラプニツくんを保護した際に、ハツキさんから聞かされていた。


 これは国によっても変わってくるのだが、南の国家群の場合では、ラプニツくんのように小間使いとして使われる奴隷が多い。小間使いと聞けば、簡単に思えるが実際そうでもない。飼い主の機嫌次第で理不尽な鞭に打たれることもある。


 また、獣人特有の身体強化の良さから、単純に使い潰すことのできる労働力として使われることも多い。鉱山やプランテーションなど過酷な労働現場が主だという。当然労働に対する対価は与えられない。


 そして、性奴隷となることもしばしば。特にエルフや会った事はないが魔族あたりは、純人と容姿の差異が少ない為そういった役割を持たされることもあるらしい。


「まあ私もそんな感じですかね。昔のことはもう思い出したくないです」


 アイサさんやリソンさんがどういった奴隷だったか聞くわけにはいかないが、いい環境でなかったことはわかる。


「でも、ここへ来てやりたいことをみつけてからは毎日が凄く楽しいのです。ルーナ様に感謝ですね!」

「そうですね」


 そんなふたりにとって、この村を作り出したルーナさんはまさに救世主だ。あれだけ好意を向けられるのも当然の事だろう。


「ごめんねーお待たせ」


 しばらくして、噂のルーナさんが子供たちとの触れ合いを終えてこちらに戻ってきた。側にはラプイノンと呼ばれていたお姉さんも一緒だ。


「紹介するわ。この施設を任せているラプイノンよ」

「ラプイノンです。施設の皆からは『ママ』って呼ばれています。あなたたちもそう呼んでくれると嬉しいわ」


 容貌だけ見るとママというより近所のお姉さん感溢れるラプイノンさん。でもその胸部はどこからどう見てもママであった。


 ところでその呼び名、成人男性が施設に来た時もそう呼ばせるのかな。


「私はヴィアーリアっていいます」

「コラコラどこに向かって挨拶してんのよ」


 おっとしまった……じゃねーわ。何やってんだよリア。


 人に挨拶するときは胸じゃなくて、相手の目を見なさい。


「ほら、あなたもよ」

「ぼ、ぼくも?」


 ルーナさんに促されるも、ラプニツくんは困った顔でチラチラとリアの表情を窺っている。


 なんでリアと思ったが、よく考えてみれば、この中で共に過ごした期間が一番長いのか。


「ラプニツ。ママに挨拶しなさい」

「は、はい」


 リアが軽くラプニツくんの肩を叩く。


「ラ、ラプニツです。……ママ」


 顔を真っ赤にして、彼は恐らく人生で初めて口にするであろう言葉を声にする。


「かっ……」


 ママ……じゃなかった、ラプイノンさんはその言葉を聞くと、何か出てはいけないものを抑えるような顔を見せる。


 かっ?


「こ、こほん。ルーナ様、彼が新しくここで暮らす子であってますか?」

「ええそうよ」

「なるほど……では今日から、私があなたの『お母さん』です。好きなだけ甘えていいですからね」

「むぐっ……」


 ラプイノンさんの胸元に吸い込まれていくラプニツくん。その表情には困惑の色が浮かんでいる。だが彼は抵抗することなく、遠慮がちに後頭部を撫でられていた。


 こうしてラプニツくんは正式にこの村の施設で生活をすることになった。


 今でこそ四六時中何かに怯えるように生きている彼だが、施設で生活している内にそれも改善されるであろうとルーナさんは語った。


「ん。じゃあそろそろ行くわ」

「はい。ルーナ様。またいつでもお待ちしております。あなたも」

「は、はい……」


 話がついたこともあり、そろそろお暇の時間となる。


 リアは最後にラプイノンさんに微笑みかけられて、少しドギマギしていた。


「ま、まって」


 移動の為再び馬車に乗り込もうとするリアを背後からの一声が引き止めた。


 振り向くと、ラプニツくんが今まで見た事もないような寂しげな顔でリアを見ていた。


「どうしたの?」

「あの、ありがとうございました」

「え?」


 突然礼を言われ、なんのこっちゃとリアは返事に詰まる。


「なんのお礼……?」

「その、あの時、お店に来てくれたから、ぼくがここに来ることができて……」

「あ、ああ。そういうこと。うん、まあ、偶然だよ。そもそもラプニツを連れて行くって決めたのはハツキさんだし」

「それでも、その、ぼくは……」


 リアは自分の功績を否定するが、意外にもラプニツくんは食い下がってきた。


 彼との間で会話らしい会話はほんの数回しかない。その中でも初めてのことで少し驚く。


 それほどこの村へ来たことをポジティブに考えているということか。いつもの不安気な様子で分からなかったけれど。


「そっか。うん、まあ、私もあの宿を選んでよかったかな」


 当然だけど、リアも彼には幸せになってもらいたいと思っている。何とかここが居場所になってくれたら。


 ここは素直に偶然という名の幸運に感謝しよう。


「私もやることが終わったら、またここに来るから。その時はハツキさんも連れてくるし、また会おうね」

「はい!」


 いつになるか、それとも実現するかどうかも分からない約束を交わす。そしてリアは馬車に乗り込み、更生施設を後にした。

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