第75話 ルーナ、リット、そして魔女
懐かしい感覚に浸りながら、整備された道を歩く。
こっちの里はどんなもんだ、とあっちの隠れ里の者として若干の対抗心を持ちつつ辺りを観察した。
入口からしばらく先を進むと段々と木々が減り、視界が開けていった。
「おお……」
まだ入り口もいい所だが、正直な感想を言うと、こっちの建物を見たその時点で負けたと思った。
こっちではアブテロ市でよく見られるような石造りの様式を用いた建造物がメインらしい。里というよりはもはや街と言っても過言ではないほど、ずっしりとした建物が多く立ち並んでいる。
感心しながら景観を楽しんでいると、道の向こうから手を振りながら駆け寄ってくる人影が見えた。
「ルーナ様ぁぁぁぁ!」
肩まで伸びた茶髪に猫みたいな三角形の耳を持った女性だ。
「あらリソン、わざわざこんな所で待っていてくれたの?」
「ここの主の来訪ですよ? 出迎えは当然なのです! ……というか、どうして変身を解いてるのです? マーズ様にもご挨拶がしたかったのに」
「ごめんねぇ。あたしビリビリは嫌いなの」
「どういうことです? まあ、よくわからないけど、また後で変身してもらえばいいです」
リソンと呼ばれた女性はルーナさんに抱き着き、甘えるように言葉を交わしている。
話を聞いた感じ、マーズ姿のルーナさんに懸想をしているとか? まあリアは嫌っているけど、普通にイケメンだからな。
「こほん」
いつまでも続きそうな二人の会話に牽制を入れるように、アイサさんがひとつ咳払いをした。
「ああ、あなたもいたのですか。アイサ」
いかにも面倒くさそうに、リソンさんは返す。
「ええ……いつでもマスターに付き従うのが私の仕事ですから」
「マスター? ああ、あの腹の出た中年の。それは大変ですね。平時はお任せしているので、ここにいる間はわたしが責任をもってお相手します。アイサは休んでいて結構ですよ」
「なっ……このバカ猫! 私はあなたと違ってあんなマスターでも受け入れているのです! だから、ここでも私がお相手するのが当然です!」
「駄犬! いつも一緒なんだから今日くらいは譲りなさいって言ってんのが分かんないの!?」
言い合いながらふたりはお互いの頬を抓り合った。それだけならまだしも、今にも殴り合いの喧嘩に発展しそうで不安だ。この人たち、仲悪いのかな……。
ルーナさんも自分が喧嘩の原因なんだから仲介くらいしろよ。そう思って視線を送ると。
「……ねぇ、リア。ソルデのキャラメイクって微妙なのかしら……もうちょっとカイドちゃんみたいな感じに寄せた方がいい?」
「まず性別を選ぶ所からやり直した方がいいよ」
そんなどうでもいい心配をしてないで。リアもまともに返すな……ってまともか?
皆がそれぞれ好き勝手に喋る空間が出来上がっている。
ただその中で、疎外感を覚えているわけでもなくひとりでぽつんと一点を眺めている人間がいた。
「ラプニツ?」
リアが声を掛けると、彼はハッとした顔をした。
「ご、ごめんなさい」
「いや別に怒ってない。ただ、どうしたのかと思って」
「あの、その……ぼ、ぼくと同じだから見てました」
そう、彼が眺めていたのは、リソンさん……の細長い尻尾。
彼の言葉に、リソンさんの尻尾がピクリと反応した。
今まで取っ組み合っていた二人は、そっとお互いの手を離す。
「……失礼。ルーナ様、彼が新しい子ですね」
「そうよ──ラプニツ、ここにはあなたと同じ、獣人がそのままの姿で生活しているわ。誰かが誰かの奴隷になることなく、ね。あなたは今日からここの子になるのよ」
言いながら、ルーナさんはラプニツくんの手を取る。
「さあ、行くわよ。まずはこの子を皆に紹介するの」
「は、はい!」
リソンさんを含めたリアたちはようやく村の中心部へ進みだした。
しばらく歩いて、次は村の中を走る馬車に乗り込む。その馬車はしばらく、住宅街を進んでいた。
その中で馬車に揺られながら雑談に興じるリアたち。
「うわ、本物のエルフなのです……初めて見ました」
偽装魔法を解いたリアを見て、リソンさんは興味深そうな反応を返す。
「リソン。珍しいからって人の耳を勝手に触らないように」
「分かってますよ。駄犬はうるさいですね」
相変わらず、彼女たちの目線には火花が散っている。慣れ始めた今だからわかるのだが、おそらく会う度にこんなやりとりを続けているのだろう。
本気の諍いではなく、あくまでキャットファイト的な。
ああそう。キャット? といえば……。
アイサさんとリソンさんはお互いを「バカ猫」「駄犬」と呼び合う仲であるが、この「駄犬」の部分、これはアイサさん自身の性格を表す言葉ではなく言葉通りの意味だったことが判明した。
この村にいる間は偽装や変身は解いてもいいというルーナさんの言葉の通り、リアは魔法を解いた。そして、その横でアイサさんが身に着けていた指輪を外すと、一瞬にして彼女の身体が変わる。
頭にはピンと立った獣耳、お尻にはフサフサとした尻尾が現れる。アイサさんはどうやら犬系の獣人だったらしい。
今まで彼女を純人だと思っていたので、俺もリアも本気で驚いた。
「この指輪は変化の魔法が込められた魔道具です。ある程度の魔法位がないと使えませんが、マスターと似たようなことができます」
というのがタネだったらしい。
聞けば、この結界へ入る前に会った村長。彼も獣人であり、指輪で本来の姿を隠しているそうだ。そして、ここのカモフラージュとして、偽の寒村を経営しているとのこと。
「うぅ……羨ましい。わたしもマーズ様から指輪をもらって、外で仕事がしたいのです」
「≪翠≫の私ですらギリギリなんです。≪青≫のあなたでは実用に耐えませんよ」
「分かっているのです! ねぇ、ルーナ様ぁ、魔法位が低くても使えるように改良できませんか?」
「残念ながら、それは魔女様が設計された魔法術式を元に作ったものなの。改良はちょっと難しいわね……」
「魔女!」
村を歩きながら軽い感じで繰り広げられる会話の一部にリアは反応する。
「それちょっと見せて!」
「え、ええどうぞ……」
アイサさんからひったくるように指輪を受け取ると、リアは早速魔力を込めて魔法術式の解析を始めた。
「リアちゃんは魔女様の魔法に興味があるの?」
「うん。昔から参考にさせてもらっているからね。私の偽装魔法だって里の結界のパクリだし」
解析しながらもリアはルーナさんの問いに答える。こんな風に解析と会話を並列出来るのは、この指輪に込められた魔法がいつも使っている偽装魔法と非常に似ているからだ。俺にも雰囲気くらいはわかる。
「ふうん。リットの手紙の通り、魔法の才能があるのね。あたしでも解析にかなりの苦労をしたのに」
「子供のころからずっと魔法のことばっかり考えてたからね」
「今も子供でしょ。ほんと魔女様といい、あなたといい、エルフというのは息をするように複雑な魔法術式を──」
と、ルーナさんとの言葉の応酬を繰り広げながら、解析も順調に進んでいた。
「え?」
しかし、聞き捨てならない一言がリアのすべての思考を真っ白に塗りつぶす。
今日は驚きの連続だが、衝撃で言うとこれが一番かもしれない。
「ル、ルーナさん、魔女ってエルフなの?」
「あれ、知らなかった?」
「知らないよ! 普通に純人だと思ってた!」
「普通ってなによ」
と言われても逆に困ってしまう。俺の中の魔女といえば、デカい窯の中をかき混ぜる黒い三角帽を被った鷲鼻のお婆さんで、エルフのイメージがなかった。それは当然リアにも引き継がれている。
ゲーム本編でも存在の言及があるとはいえ、俺がやった範囲では具体的な描写が一切なかった人物だからな。はあ、どうして俺は全ルートクリアしてから死ななかったんだ!
だが、この情報はひとつ収穫でもある。魔女がリアと同じエルフであるなら、姉のユノを引き取ったというただのゲーム知識に信憑性が生まれたからだ。
「というか、魔女に会ったことあるの?」
「あるに決まってるでしょ。一応弟子よ? もう数百年は会ってないけど」
「弟子!? ばーちゃんと同じじゃん」
「そうだけど。……あの子なんにも説明してないのね」
呆れながらもルーナさんは魔女について語る。
その昔、奴隷として純人に飼われていたルーナさんとリットの婆さんはある日突然、魔女に引き取られた。といっても、彼女と過ごした日々はそう長くなかった。だが、確かに彼女との日々はふたりの人生を大きく変えたという。
魔女には謎が多かった。
そもそも『魔女』という呼び名以外に彼女を表す名前がない。
彼女はエルフであり、絶世という言葉では表せない程の美人であった。にもかかわらず、彼女は姿を変えることなく純人の国で純人が営む何の変哲もない商店で純人の店主に対して当然のように買い物ができたらしい。
そんな彼女から教えを受けるも、ふたりは早々に「才能なし」と断定された。
だが、その「才能なし」に対しても、彼女はこの厳しい世界で生きていくために必要な知識や道具を与えてくれた。
そのひとつがあの隠れ里を隠れ里たらしめる偽装の魔法が込められた石である。それは弟子たるふたりに限らず多くの亜人たちを救うことになった。
そこまで聞くと魔女というエルフが厳しさと優しさを兼ね備えた聖人かなにかのように思えるのだが……。
「あの人は何か実験をしていたようなのね。内容はよくわかんないけど、その為に≪黄昏≫の魔法位をもつ人間を探しては手元に置いていたのよ。リットは何か知っていたみたいだけど、どのみちあたしもあの子もすぐに放り出されちゃったから、その実験が何なのか、どうなったは知らないわ」
ルーナさんの言葉を聞いて、俺はゲームのセリフを想起せずにはいられなかった。
『私は魔女様にも才能なしと呆れられたエルフだ。他に教えを乞う人間を探した方がいいと思うが……』
リアの姉ユノは物語の舞台である魔法学院にて、魔女の弟子という肩書で皆から一目置かれる存在だった。
しかし本当のところは才能を理由にあっさり切られ、魔法学院へ放り込まれたというそんな本人談があった。
勿論「才能なし」と言ったって、魔女の求めている程度が分からない。そもそも、ユノが作中でも上位の魔法使いだっただけに、きっと物凄くハードルが高いのだろう。
ちなみにルーナさんにユノというエルフを知っているか尋ねた結果はノーであった。
うん、数百年会っていないって言ってたもんな。つい数年前にリアと別れたばかりのユノと出会うはずがない。
やはりキーとなるのは魔女の存在、ただ一人である。リアの行く先々で話題あがる彼女にはいつか会わないといけない。
今、リアを取り巻く人間関係と、俺のゲーム知識を繋ぐ唯一の人物なのだから。
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