第68話 10年後のこと

「ほらミナト、挨拶しなさい」

「…………っざした」

「声ちっさ! というかいい加減離れて!」


 アブテロへ帰る朝、リアの視界は布に覆われていた。


 いい匂いがするし、鼻に当たる柔らかな感触が大変に心地いい。


「まあまあ、ラーヤくん。ミナトくんも本来ならまだ親元にいるような歳だろう。数日間、よく頑張ってくれたんだ。帰りの馬車くらい一杯甘やかしてやってくれ」

「いや、この子もう成人してるんですけどね……」


 乗合馬車のターミナルにはハクレン先生が何とか時間を作って見送りに来てくれた。


「オリカくんも来ればよかったのにな」

「そうですね。あんなに仲良くしていたのに……」


 あまり触れて欲しくない話題が出た。リアはより深くラーヤさんの胸に顔を押し付け、口を噤む意思を伝える。


 オリカのことを嫌いになったわけではない。ただあの別れに関する釈然としない感情がグルグルとリアの頭の中を駆け巡り、今日一日は憂鬱さを隠しきれないだろう。


「それじゃあ、ラーヤくん、ミナトくん。私はそろそろ失礼するよ」

「はい先生。今回は大変お世話になりました。ミナトには私だけじゃ出来ない事を色々と経験させてあげられました。それに、私自身もこの歳で学ぶことがありましたし」

「ああ、また何時でも院に立ち寄ってくれ」


 そして、最後の最後でようやくリアはラーヤさんから顔を離した。


「先生、お世話になりました」

「おおっ、ようやく顔を見せてくれたな。ミナトくん、また会おう。元気で」


 顔の皴を深めながらハクレン先生はそう言って、こちらに背を向けた。


 カッコいい婆さんだったな、と思う。自分の人生を医療に捧げ、様々な怪我の治療法を開発した人である。


 リアは直接教わることが無かったけど、ラーヤさんやオリカ達の憧憬の的となっている人だ。リアへの影響も小さくない。


 この街は色んな意味で元気がありすぎるとんでもない場所だけど、あんな人がいるからこそ冒険者たちは無茶を続けられるんだろう。


 全てが終わった後、もし医療に興味が湧いたら、またこの場所に来るのも悪くないな。リアはどう思っているのか分からないが、少なくとも俺はそう思った。


 数分後、リアたちは予約していた馬車に乗り込み、首都アブテロ市への帰路に就く。


 昼前のこの時間、都市間移動人口のピークが過ぎたのか馬車の中にはゆったりと席に座るような余裕があった。


 相変わらずリアはラーヤさんにべったりくっついている。本当コイツは心を許した相手にはとことん甘えるよなあ。


「ミナト、ごめんね。今回は随分あなたを放置しちゃってたわね」

「ねーちゃんも忙しかったの知ってるし。というか、私の方からオリカと行動するって言ったんだし」

「うん、それね。最初は悩んだの。私が教育の担当をさせてもらっているのに、他人で、それもあなたと歳の変わらないような子に丸投げするなんてこと」


 そう言えば、リアが提案した時あれこれと考えていた気がする。


「普通に考えたら絶対良くない事なんだけどね。でもあの場で私に付いてると教えられる事が専門的になりすぎてしまうし、それならもうちょっと初歩的な段階にいる彼女の方がいいかなって。いくら治療魔法の才能があるからって、身の丈に合わない知識を身に着けさせても仕方ないでしょ?」

「まあ、それは確かに」


 治療師を目指しているならともかく、ある程度の知識と経験を積むという今回の目的を考えると、オリカと過ごした2週間は大変有意義だったと思う。


「後は、まあ……まさかあなたが仲の良い子を見つけてくるとは思わなかったから。この機会は大切にしなきゃって思ったのよ」

「え」

「里に居る時、クラナ様がね、凄く心配してたわ。『リアは誰とも仲良くしようとしない』って。あの環境でそうなら、街へ出た後にちゃんと友達が出来るのか怪しいとも」

「それは……ねーちゃんごめん」


 リアはソフマ山脈の方角に向けてペコリと頭を下げた。


 あの人は2年前からずっとリアの事を心配してくれていたなあ。本当女神だ。同性のリアすら惚れるのも当然と言える。


「私も心配していたのよ? だけど、今回で安心したわ」

「うん……」


 安心していいのだろうか。結局あんな別れ方をしたのに。そう思ってしまったリアは悲しくなって、またラーヤさんの胸に顔を埋めた。


 ラーヤさんには今回あったオリカとの別れを話してはいない。何かと過保護なラーヤさんのことだから、言ってしまうとオリカに対して抗議するかもしれないと思ったからだ。


 ふと別れのシーンを思い出す。


 半分ほど当事者意識のある俺から見ても、オリカの態度は厳しかった。


『それならそうと、先に言ってくれたらよかったのに』


 治療師にならない理由を告げたリアにオリカはそう言い放った。まるで、今までの時間が全て無駄だったと言わんばかりのセリフだ。


 結局、彼女はただ自分の都合通りに動いてくれるパートナーが欲しかっただけなのだろうか。悪く言えばそうだけど、人間は大事な気持ちほど口にしない生き物だからなぁ。


 例えば、自分にも譲れないものがあるように、リアにもそれがあるとわかった。だから、後ろ髪引かれることがないようにあんな冷たいセリフを吐いた……とか。これはあくまで俺の都合のいい想像に過ぎないけれど。


(ねぇ、ミナト。オリカは私の友達だったのかな)


 リアがそんなことを聞いてくる。


 友達というものを『間地まぢみなと』の記憶でしか知らない彼女は、オリカが自分にとってそうだったのか判断すらつかない。


 好意を寄せるクラナさんとはまた違う熱。この数日はずっと感じた事のなかった感情に侵されていた。


(あのさ、私ずっと考えてたんだよ。あの時、オリカに対してどんなことを言っていたら、こんなモヤモヤした気持ちのまま、ねーちゃんのおっぱいに顔を埋めなくても良かったんだろうって)

(おう)

(私には目的があるから、どうしてもオリカは一緒には居られないじゃん? だから、悲しいのは変わらないんだけどさ、楽しかったことすら無かったことになるのは嫌だなって思うんだ)

(そうだよな。2週間一緒にいたんだもんな)

(うん。だからあの時私は、『仲良くしてくれてありがとう』って伝えるべきだったんだよ。オリカがどう思っていようと、治療院でオリカと過ごした日々は楽しかったんだから)


 しばらく悩んでリアはそう思い至った。きっと別れの場面から、ずっとそれが引っ掛かっていたのだろう。今さらになって気づくとは……いや、違うな。


(だったらさ、また来ればいいんじゃね)

(え?)

(家族を探して、その後のこと。10年後くらいかな? 別に治療師になるかどうかは置いておいてさ。また院まで行って、治療でも手伝って、ご飯行こうって誘えばいいよ)


 オリカという少女はそれを拒むほど冷たい人間ではないと思うから。人を救いたいって思うような子だし。


(うん、それはいいかも)


 俺の言葉はリアの心に響いてくれたのか、少しだけ胸がスッとする。


(10年後か。その頃のオリカはそりゃあもう立派になってるんだろうなあ……色んな意味で。えへへ……)


 こういう時、照れ隠しでくだらないことを言うのがリアであった。


 果たして、10年後には家族揃って過ごしているのだろうか。いや、その程度の時間では難しいかな。


 今の俺たちはまだ本当の意味での旅立ちを済ませていない。


 ここで少しでも冒険者として成長して、世界を回るための力をつけるのだ。その為の課程も次で最後だった。

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