第66話 治療師という職業

 翌日のリアはまたオリカと共に行動していた。


 ただ今日は人員に余裕があるということで、オリカはリアの教育が出来ると張り切っていた。まず手始めに昨日も救命に活躍した心肺蘇生法を習うことに。


 練習は治療院の裏にある倉庫にて、土嚢を人間に見立てて行われる。過去俺が受けたことのある訓練では心臓マッサージ専用の人形を使っていたが、この世界にそんな便利なものはないので仕方がない。


「土嚢じゃわかんないと思うけど、押す場所はここね」


 オリカが自分の胸を指さす。


「胸ならどこでもいいの?」

「ううん、ちゃんと決まってるよ。そうだなあ、大体この辺かな……」


 そう言ってオリカはこちらの手をとって、自分の胸に押し付ける。


「えっ!」


 夏場という事もあって、薄い布からむにゅむにゅと柔らかい感触が直に伝わってくる。


(えっ! えっ! えっ!)


 突然の事態にリアはエラーを吐き出した!


(結構大きい……じゃなくて! 落ち着けリア、今はエッチなシーンじゃない。命を救う方法を学ぶ真面目なシーンだっ!)

(わわわわかっとるわ! そっちこそ大事なこと教わってるときに魔力作っちゃだめじゃん!)


 焦る俺たちをよそにオリカはリアの手を胸に当てたままレクチャーを続ける。


「ここ、ここ。だいたい両の乳首の中間点くらいかな」

「えっ! な、ななななるほど!」


 つまりこの手を置いた場所から一直線上に……っておい、何中学生みたいなこと考えてるんだ俺は。リアのせいでどうもそちら方面ばかりに思考が行ってしまう。


 胸に当てた手のひらは気味悪く震えていた。


「もう、ミナト。そんなに手を動かしちゃダメだよ。ちゃんとここを真上から垂直に押すんだからね」

「は、ははははいっ」


 そんな指摘の後、そっと手から柔らかな感触が消える。


「ああっ……」


 寂し気が漏れとるがな。あと手をワキワキするな。


「じゃあ場所も確認したことだし、土嚢を使って練習してみようか」


 ちょいドッキリしたイベント……ではなく指導が終わると、実際に身体を動かす練習に入る。


 リアは一心不乱に土嚢を上から押す。俺の記憶からだいたい胸が5センチ沈むくらいの力で押せばいいはずだと、自分なりの加減で押していたリアだったが、オリカからは何度も「力が弱い!」と注意されていた。


 いや、これ土嚢じゃ感触が違い過ぎて力加減が難しい。しばらくオリカに指導される時間が続く。


 リアの筋力自体の頼りなさも相まって、身体強化を使ってようやくオッケーが貰えた。土嚢が破けそうな勢いだった。


 こんな強さで押して身体の方は大丈夫なのだろうかと心配になる。そういえば、肋骨が折れることもあるって聞いたことがあったな。そう考えると実際に人体で実行するのが恐ろしい。


 数時間の練習の後、休憩を挟んでリアたちは森へ出る。


 これからは実際の人間で試すということらしい。と言っても、胸骨圧迫が必要になる状況なんてそうは起きないだろう。昨日の記憶から、そう決めつけて心の準備を怠っていた俺はとんでもないアホだった。


「ミナト! 足りない! もっと強く!」

「は、はいっ!」


 なんと待機して大体1時間ほどで早速その機会がやってきた。


 初めは実際の生ぬるい体温に触れる感覚が正直気持ち悪くて、リアは練習のように力を入れることが出来なかった。だが、今自分が本気を出さないと目の前の人間が死ぬ。そう考えると自然と頭に身体も適応してくる。もう肋骨を折る心配なんて頭にない。ただ、教え通りのことをするだけだ。そうしていると、オリカからの指摘は飛んで来なくなった。


 そして、緊急馬車が到着する。


 リア初めての蘇生法実施は終わった。あっという間だった。


「私、上手くできてたかな……あの人、大丈夫かな……」


 ポツンとその場に立ち尽くしながら、リアはただ不安を呟いていた。自分の行為に対する結果が人の生き死だと何をどう反省していいのかわからなくなる。だって反省点があるということは、その分結果が悪くなる可能性もあるわけで……。


 頭の中を秩序もなく考えが走り回る。ただ、そんな暇なんて与えないと言わんばかりに現実は動く。


「ミナト、また誰かやられたみたい。行くよ!」


 叫び声が聞こえて、リアたちはすぐに駆け出す。


 結局西日が肌に突き刺さる時間まで、リアはあちこちを走り回った。


 今日は驚くほどに怪我人が多かった。


 心臓マッサージだってオリカと交代で何回もやったし、止血の手順だって飽きるほど見た。これだけ患者がいるなら、きっと治療院の方はかなりの修羅場が予想できる。それを実際に見るのは怖いな、重くなる気持ちを引き摺りながら治療院へ帰る。


 悲しい事に俺の予想は当たっていた。治療院では日が暮れた後も重傷人の治療が続いていた。リアたちもそのまま出来る手伝いをすることに。


「ああ、ミナト! こっちこっち! 魔力貸して!」


 ラーヤさんが手招きしている。こっちで治療を手伝ってくれという事だろう。


「あ、ミナト……」


 そんなリアの姿をオリカが羨ましそうに見ていたのを俺は見逃さなかった。


 今、魔力の少ない彼女に出来ることはそう多くない。ポッと出のリアが頼られる現実をどう思っているのだろうか。……やめよう。それ以上は想像に過ぎない。


 結局、2時間ほどを生の血肉と共に過ごしたあたりで、ようやく修羅場の終わりが見えた。


「ミナト、お疲れさま」


 他の治療師の補助をしていたオリカが心配そうに近寄ってくる。流石の彼女もお疲れの様子だ。


「オリカもおつかれ」

「ねえミナト。あの事、どうする?」

「うーん、やめとく。今、ネガティブなこと聞いたら流石に気持ちが堪えられないかも」

「そっか……」


 「あの事」とは、昼間に処置した人たちの治療の結果についてだ。そりゃあ死なせないように頑張って身体を動かしたんだ。結果は気になる。だがリアが口にした通り、今この疲れ切った状態でダメだったと聞かされたら、リアの心が折れかねない。「もういやだ」って投げ出さない為にも、リアは耳に栓をすることにしたのだ。


 そんな気持ちをオリカも汲んでくれたのか、彼女は今日も晩御飯に誘ってくれた。相変わらず食欲は湧かないけれど、リアは付き合うことにした。







 治療院にやってきて、1週間が経過した。


 ここでのリアの暮らしはいつの間にかオリカと過ごすのが普通になってきた。仕事では彼女を指導役として応急処置や簡単な施術の手順を教わり、時に軽い怪我治療の補助に入る。そして仕事が終われば流れで晩御飯を食べに街へ出る。そんなルーティンが出来上がっていた。


 日々の中でリアに対して、徐々に心を許していったオリカ。ある日の晩、彼女はリアを前にして語った。


「小さい頃、住んでいた村が魔獣に襲われてね──」


 それはオリカが治療師になることを目指したきっかけだった。


 オリカは幼い頃に魔獣によって大怪我を負わされ、治療師によって治療を受けた。助かったのが奇跡だったと言われるほど、危ない怪我だったらしい。だからこそ彼女は自らを救った存在に憧れた。自分に治療魔法の才能がないと知った後もその気持ちは陰ることがなかった。


 正直なところリアの身の上に比べたら、まだ想像の範疇に収まるようなありがちな話だ。だけど、自分の過去をさらけ出すなんて事は信頼がないと出来ない。つまり、リアとオリカの間にはそれくらいの絆が、いつの間にか芽生えてしまっていたと言っていい。


 いや、リアに仲の良い人間が出来る事自体はとてもいい事なのだ。だけど、仲良くなり過ぎて離れづらくなるのは少し可哀想だと思う。あと1週間もすればリアはまたアブテロへ戻るのだから。


 本来の指導役であるラーヤさんとはあまり関わらない日々が続いている。彼女は彼女で治療師として引っ張りだこだからだ。リアがちゃんと成長できていれば問題はないという判断なのだろうか。


 確かにそのリアは治療師として着実に成長している。血や内臓にいちいちビビらなくなったし、いくつか施術の手順も覚えた。他にも色々あるが、一番大きな成長といえば、人を治療することにポジティブな感覚を覚えるようになったことだろうか。


 それにはちょっとしたきっかけがあった。あれは仕事終わり、リアがオリカと共に夜のエスパテロの街を歩いていた時の事だった。


「なぁ、ちょっとくらいいいだろぉう……え、明日もおしごとぉ? あ、そうだ! じゃあそこのホテルでオレと一緒に休んじゃえばいいじゃん……ひっく……そうしよう! まあ休めるかわかんないけどね! え、まって、君メチャクチャ可愛いくない?」


 酷い酔っ払いに絡まれる。


 コイツが中々しつこくて、酒臭いわ目つきはイヤらしいわでもう最悪だ。


 最近のリアは≪黄昏≫の瞳で威嚇することを覚え、近づく男たちを皆弾き返していた。だが酒が入って気が大きくなった相手に効き目は薄い。


 オリカがリアを背に庇い、何度も追い払おうとしてくれた。だがそれでも執拗に誘ってきたので、いい加減頭に来たリアは風魔法でも一発ぶちかましてやろうと魔力を高める──が、一足先に酔っ払いの肩を掴む存在があった。


「ちょいちょいお兄さん、あんた飲み過ぎなんじゃない? ちょーっとこっちで休もうか」

「えお? なにを──」


 背の高い男が酔っ払いを肩を抱き、そのまま路地裏まで連れていく。


「大変だったね。この時間に女性2人で出歩いていると危険だよ」

「ありがとうございました。そうですね、2人だったのでちょっと危機感が足りていなかったですね……」


 その男の連れがオリカに話しかけてくる。コイツは見たことがある。そうだ、確か前に森で仲間が死にかけた冒険者パーティーにいたヤツだ。他にもその場にいたメンバーで見覚えのある姿もある。


「院の側まで護衛するよ」

「えーっと、じゃあ、お願いします」


 助けてもらった流れで彼らに護衛されながら、部屋を貸してもらっている治療院の宿舎まで向かう。正直リアにとって男に囲まれるストレスはナンパとそう変わらないが、オリカが受け入れた以上仕方ない。


 あの死にかけた冒険者のその後も知りたい。まあ、それらの会話は全てオリカに任せるんだけど。リアは彼女の影に隠れるように冒険者との会話を聞いていた。


「それで彼の経過はいかがですか?」

「ああ、おかげ様でアイツも元気なもんだよ。早く酒が飲みたいつってな。一度呼吸が止まったとは思えないくらいだ」

「それはよかったです」

「ああ、全てあなたたちのおかげだ」

「いえいえ、わたしたちはあくまで応急処置しただけです。実際に彼を助けたのは、先生方の治療の腕ですよ」

「その先生が、『必要な処置が早急に行われていなかったら死んでいた』と言っていたんだ」


 そう言って、その冒険者は歩く足を止める。


「俺たちの大切な仲間を救ってくれてありがとう」


 リアたちを囲む冒険者たちが一斉に頭を下げる。


 いや、気持ちは分かるけどこんな所でやめろ!


 ヤのつく組の長みたいな構図。メチャクチャ衆目を集めている。


「ちょ! 頭をあげて!」


 焦るオリカ、でも一方で嬉しそうな表情をリアは見ていた。


(これだけの人が頭を下げるなんて……あの人、よっぽど慕われてるのかなあ)

(ベテランの冒険者ぽかったしな)


 生きていれば、望まなくとも人脈が広がっていくのが人間というもの。この周りの冒険者たち以外にも多くの人が、彼が助かったことを喜んでいることだろう。


(人ひとり助かっただけ、じゃないんだね)


 そう考えると、治療師という職業は途轍もないものを背負っているように思える。重い……重いけれど、その背負ったものを肩から下した時、翼でも生えたかのような浮遊感を得る。つまるところ、頑張って良かった、と思えるのだろう。


 リアは少しだけ、オリカが一人前の治療師を目指す理由に共感を覚えるのであった。


(でもムサい男共にお礼言われてもなぁ)


 ……今のは照れ隠しか何かだということにしておこう。

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