第65話 救えた命

 一発目から心肺停止という『黄昏』級の処置に立ち会ったリアであったが、その後の見回りではあれ以上にインパクトのある怪我人を見ることはなかった。


 人手不足、魔力不足の当院では、切り傷など軽い怪我程度なら洗浄、止血以上の処置はしない。


 結構な怪我の場合は通常処置をした後、怪我の具合でランクを分けてから他の怪我人と一緒の馬車へ放り込む。当然馬車にも余裕があるわけではないからだ。


 朝のように1人を運ぶためだけに出動することは、それこそ生命に関わるなど、よほどの怪我があった場合のみだ。


 その緊急馬車はというと、他所では昼前だというのに20回も出動しているようだ。これで少ない方だというのだから恐ろしい。


 他所の隊よりマシだと言いつつも、やはり今日も沢山の血を見る事になったリアたち。冒険者たちが仕事を終える夕暮れ時にはすっかり精神的に疲れ切っていた。


「ミナト、お疲れさま」

「お、オリカ。うん、お疲れ」

「って本当に疲れているね。まだ慣れない?」

「うん……やっぱり血がね」

「そっかぁ。でも冒険者なら見慣れてるんじゃないの?」

「動物や魔物の血ならいくら見ても大丈夫なの。でも人のはダメ。見てると、こう……何だか身体から力が抜けていく感じ」

「うーん……」


 よくわからない、と言いたげな表情だ。


 当然オリカは人の血を前に、顔を引きつらせたりしない。彼女は立派な治療師見習いなのだ。


 そんな彼女に対して抱いていた不安、頼りなさはいつの間にか払拭されていた。一心不乱に心臓マッサージを行うあんなに頼もしい姿を見れば当然だ。


「じゃあそろそろ帰ろっか」


 全てではないが多くの魔物は日が落ちると活動を止め巣へ帰っていく。当然、冒険者たちもそれに合わせ行動するものだ。つまりここらが治療院の定時。


 オリカとリアは荷物をまとめて、帰りの馬車に乗り込んだ。


 報告の為治療院に戻ると、ハクレン先生が笑顔を浮かべこちらの帰りを待っていた。


「ただいま戻りました」

「ああ、お帰り! オリカくん、よくやった!」

「へ?」


 突然の称賛にオリカは首を傾げる。

 

「朝にキミが応急処置をした心肺停止の患者だが、あの後無事に意識を取り戻したよ。後遺症も小さいだろう」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。君が行った早急な処置の賜だと私は考えている。本当によくやった」

「た、ただ教えていただいたことをこなしただけです!」


 クールに謙遜しつつも、ピクピク動く口角が喜びを隠しきれていないオリカである。ただ目の前で見ていただけの俺たちですら、あの冒険者の回復に、解放感を伴う喜びを覚えているのだ。実際に彼を救った彼女の心境は想像に難くない。


「ミナトくんもお疲れさま。オリカくんからしっかり学べたかな?」

「は、はい。心臓マッサージ、凄かったです」

「はは。心臓マッサージか。絵面はマッサージなんてものじゃないが、面白い表現だ」


 まあ、確かにあれはマッサージっぽくないわな。どちらかというとサンドバッグ?


「あれは冒険者であるミナトくんにこそぜひ覚えて欲しいものなのさ」

「え、そうなんですか?」

「そうさ。冒険者をやっていれば、治療師がすぐに駆け付けられないような状況で仕事をする事もあるだろう。その時に冒険者たち自身でこの心肺蘇生法を行う事が出来れば、もっと冒険者の生存率を上げることが出来る。あれは練習すれば誰でもできるからね」

「なるほど」

「ギルドの基本教育項目に加えるよう、アブテロの支部に要望を出したいと思っているのだが、いかんせんコネクションがない事には──って、あれ? ラーヤくんは確か……」

「あ、はい。先生、ギルマスへは私の方から伝えておきますよ」

「おお! やはり、持つべきは『紅』ランクの冒険者の教え子だな!」


 とてつもない経験に反して、案外ポジティブな気持ちのままエスパテロ2日目の仕事は終わる。


「ミナト、ミナト。晩御飯一緒に食べに行きましょ!」

「えっ」


 明らかにご機嫌なオリカがリアの腕ガッシリと掴んで来る。


「ミナト、行ってきなさい。私は先生と話があるから」

「わ、わかった」


 ラーヤさんにも推され、リアはオリカと二人で夜のエスパテロへと繰り出した。


 夜のエスパテロは昼間の凄惨な戦闘の空気を感じさせないくらい賑やかで騒がしい。中心には飲食店や酒場に宿屋が数多く立ち並び、沢山の笑い声や叫び声が飛び交うまさに眠らない街と言った感じ。


「ほう」


 ふと路地裏に視線を送ると、イケナイお店の嬢らしきお姉さんが客引きを行っている姿も見えた。


「ミナト、あんまり見ちゃダメ。行きましょ」

「えっ、あ、うん……」


 グイグイと手を引かれる。嬢の煽情的な衣装に興味深々だったリアは少し残念そうだ。


 そんな賑やかな夜の街をオリカの先導で進んでいく。そして、彼女の勧めで美味しい鍋料理が食べられるという店に入った。


 店内はオリカが勧めるだけあって、うら若い女性が多いように見える。


 他の卓を覗き見る。当たり前だが皆鍋をつついている。野菜を美味しく食べられるのが女性にウケているのかな。


「おススメを適当に頼もうと思うんだけど、嫌いな食べ物はある?」

「あ、特にないよ」

「うん。偉いわ。丈夫で健康な身体は食からだもんね」


 特に凄い事を言った訳ではないのにひと褒めいただく。


 初めから頼むものは決まっていたのか、オリカは迷うことなく店員に注文を通した。


 大体10分ほど待って出てきたのが、野菜と豚肉がたっぷり入ったスタミナ鍋だ。


 この国の鍋料理は日本のそれのように大勢でひとつの鍋をつつき合うスタイルではなく、それぞれが鍋をひとつ食べるスタイルだ。どちらかというとシチューみたいだな。


「勿論今日はわたしの奢りだから、じゃんじゃん食べてね」

「あ、ありがとう。いただきます……」


 味はまあ美味しい。薄めではあるけれど、野菜の甘味も肉のうまみも感じられるいいスープだ。


 ちょっと気になるのはその量。肉野菜マシマシの呪文でも唱えたのか、明らかに周りの客の鍋よりも具材が多い。しかしオリカは涼しい顔して山盛り鍋にありつく。


 昨日の食事会もそうだったが、治療院の人間はビックリするくらい食べる。ただ今日のオリカの仕事内容を思うと、それも納得がいく。下手な冒険者より体力を使っていそうだ。


(うぅ……もうキツくなってきた)


 それに対してリアは相変わらずの小食ぶりである。この身体だって結構酷使しているはずなのだが。


 結局、リアの食べきれない分はオリカに片付けてもらうことに。


「ご、ごめんね。折角連れてきてくれたのに」

「ううん。こっちが勝手に大盛にしたのが悪いの。というか、わたしまだまだ食べられるから平気だよ」

「えぇ……」


 実際のところ半人前程度でギブアップしたリアの残りを全てとなると、相当な量になる。もうこうなれば飯トレの域だ。ああ、中学の野球部時代を思い出すぜ。


 そして、それすらも綺麗に平らげたオリカは満足そうに、食後に出されたお茶を啜る。ホッと一息ついた後、彼女は笑みを浮かべながら口を開く。


「ねぇ、今朝に私たちが蘇生法を使った患者さん、助かったって聞いてミナトはどう思った?」

「え、そりゃあ嬉しかったけど……」

「そうだよね。自分が一人の命を救ったんだから」

「いや、私は特に何もしてないから」

「いやいや、色々サポートしてくれたでしょ? それも救えたことに繋がってるんだから」

「そ、そっか。じゃあ、頑張って良かったかな」


 リアの答えに満足したのか、オリカは顔を綻ばせたまま首を小さく縦に振った。


「これがさ、ハクレン先生やラーヤ先輩みたいなバリバリ治療に関われるような治療師になったら、もっと多くの命を救うことが出来るんだろうね」

「そ、そうだね。凄く大変だと思うけど」

「そう思う?」

「うん。そりゃあ。だって、昨日ラーヤねーちゃんの治療を手伝ったけど、もう何が何やらって感じだったもん。それに人の身体を弄りまわすのって、もの凄く怖い。本当に自分がそんなことをしてもいいのかなって思うよ」


 リアの言う通り、俺もあの時間はかなり精神的に厳しかったものだ。


 自分が手を、魔力を動かすことで目の前にある命の灯が今まさに揺れている。そんな事を自覚してしまうと恐ろしくてたまらなくなる。


「でも出来る人がやらないと、誰も救えないよ。わたしに出来る事は凄く限られているから、才能のあるミナトが羨ましいな」

「いやでも、その……」


 リアの心境は結構複雑だ。治療師として一部即戦力になれるほどの力がありつつも、その力を行使できるほど強さが心には無い。色んなものをすっ飛ばした弊害だと言える。


 そんな風に迷うリアの手をオリカはそっと握ってくる。


「大丈夫。まだまだこの街にいるんでしょ? 明日も明後日もわたしと一緒に誰かの治療をして、それを繰り返していけば、きっとミナトもわたしと同じように誰かを救うことを一番に考えられるようになれるから」


 そう言って笑いかけるオリカに、リアは僅かながら安心感を覚えたようで、少しだけ握られた手に力をいれた。

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