第64話 オリカ

「今日の初めて院で仕事してみて、どう思った?」

「う、うーん、正直怖かったし辛かった。私って血とか苦手で、それで今日一生分くらい血を見た気がするし」


 歓迎の食事会。リアは治療院に所属する少女オリカと会話を繰り広げていた。


 いつの間にかオリカはリアの隣の席に変わっており、リアに対して全神経を注いでいるという印象を受ける。なんというか、グイグイ来る。リアにとっては丁度いいくらいだ。


「そういえば、治療魔法を使ってたのを見たよ。治療も出来るんだね」

「あ、いや、治療魔法は使えるけど、複雑な施術となると自分だけじゃ何も出来なくて。さっきもラーヤねーちゃんにやることを指示してもらって何とかって感じだし」

「ふぅん。でも、指示通りにでも治療が出来るのは凄いよ。わたしは出来ないし。それにほら、見て」


 オリカは自分の茶色の瞳を指さす。決して魔法の才があるとは言えない光だ。魔法位だけで言うとそんなところ。


「治療魔法が使えたとしても、数分施術をしただけで魔力が無くなっちゃうんだよね」

「え、と。その、あの……」

「ははは。ごめんね。別に自嘲したいわけじゃないんだ。なんていうか、わたしには治療魔法の才能はないけれど、それでも治療師としてやっていきたいって気持ちがあって」


 リアに対して語るオリカの表情は、その言葉の通り、悲観や自虐の色が見えない。


「だから、2年ほど前に誰でも雇ってくれるって噂になってたこの街の治療院に入れてもらって、出来ないなりに治療について日々勉強してるってわけ」

「そ、そうなんだ。凄いね……」

「そう、凄いでしょ! 頑張ってるんだよ。あなたも見たからわかると思うんだけど、院の仕事って本当メチャクチャ大変で、助けられなかった人も数えきれないくらい見てきた。何度やめたいって思ったか」

「ああ……」


 リアは脳裏に今日の惨劇を思い浮かべる。あれでマシな日だって言うんだから、それを2年続けてきたのだから沢山の苦悩を経験したことだろう。きっと俺ならすぐに精神がおかしくなっているに違いない。


「でもね、一生懸命治療して大怪我した人を救うことができた時、その人がね、お礼を言いに来てくれるの。ありがとう、助かったって。その度に『ああ、このためにわたし頑張ってるんだ』って、原点に帰るというかね。だから、抜け出せないんだ」


 「困ったもんだね」と笑う。


「あ、あの! その……うまく言えないけど、そういう気持ちに何度も救われるって、それって凄く素敵なことだと思うよ」

「そう?」

「うん。だってそれって、ちゃんと歩いてるって感じがするもん。普通の人はもっとふわふわ生きてるし」

「そっかぁ。そう言って貰えると誇らしいなあ」


 自分のやりたいこと、延いては自分の生きる意味を語るオリカ。リアは心から感銘を受けていた。


 大きな目標もなくただゲームをして過ごしていた俺からすれば、離散した家族を探すという大きな目標を持っているリアも充分凄いと思うのだが。


 それからしばらくリアはオリカの治療院で起きたエピソードや彼女が生まれ育った街の話を聞いた。話を聞くばかりで、秘密の多い自分のことに関しては迂闊に話せない。そんなリアは少し可哀想に思えた。


 しかしまあ、こうやって同い年くらいの少女と会話を交わすリアを俺は初めて見た。特殊な境遇だけに「友達」なんてものは今まで一度もできなかったからな。


 そして、オリカとの会話がひと段落すると。


「あのさ、今更だけどあなたのこと、名前で呼んでもいいかな」

「あ、えっと、私はヴィア──いや、なんでもない。ミナトって呼んで」

「うん? ……じゃあ、ミナトって呼ぶね。私はオリカだよ」

「オリカ、オリカ……。よろしく」


 そんな友情の始まり、みたいな一幕。これは2人の間にちょっとでも信頼関係が生まれたと判断してもいいのだろうか。リアの方は寸での所で本名を隠してしまったが、クラナさんに対してそうだったように、親愛度が高まれば自分の秘めたる事を彼女に話す日が来るのだろう。そう考えると、なんだか攻略ヒロインみたいだ。


「それでミナト。ひとつ提案があるんだけど」

「提案? なに?」

「わたし達さ、組んでみない?」


 そして、唐突に行われた提案に、リアは頭にハテナを浮かべた。


 話は翌朝へと移る。


「いい、ミナト。まず確認すべきは呼吸の有無。もしこの時点で呼吸が止まっていたらかなり危ういと思っていいよ」


 リアはオリカと共に治療院の緊急搬送要員として、街の外は魔物が跋扈する森にほど近い位置で待機していた。


 この世界のこの国にはまだ救急車両とかそういうものはなく、大抵の場合付添人が重傷者を連れてくる。そのせいで、医療施設に到着した時点で最早手遅れになってしまう場合が多い。そんな不幸を何とかする為にハクレン先生の始めた事業が、この出張治療師であった。


 俺の知識で言う所の救急隊とかドクターブルーとかその辺りが近いのかな。残念ながら、そこまで気合の入ったものでもないけれど。


 しかし、命の危機を伴う大怪我に際して、早急で適切な応急処置を取ることは傷病者の救命率に対してもろに関わってくる。この世界の医療レベルは俺の世界のそれよりも確実に低いと言えるのだが、そういった知識に関しては少なからず存在しているようだ。


「だ、大丈夫かな……」


 深い森の入り口を見つめながら、リアが不安を漏らす。


 こうなるリアもなかなかに珍しい。魔物を狩るだけなら、おそらくこの森であってもリアは臆したりしない。だが、人の命を救うのが目的となれば、未だ地に足のつかない恐怖が付き纏ってくる。それにこの場に頼りのラーヤさんがいなこともあった。


「大丈夫、わたし慣れてるから。ミナトはわたしのやり方を見ててね」


 今日の相棒はこのオリカちゃんだ。


 昨日食事の席で彼女がした提案、それは彼女とリアが一緒に行動することであった。元々リアが治療院の戦力として数えられていないこともあり、ハクレン先生は二つ返事でOKを出した。そして本来の指導役であるラーヤさんもリアの経験になるからと了承し、こうなることが決定した。


 だが正直なところ、俺たちは少し不安だ。だってこのオリカがどれだけ頼りになる人間か知らないからな。治療に対して熱意を持っていることはわかるが、また2日目のリアをカバーできるほどの実力が伴っているとは限らない。


「そうだ、魔法が必要な時は補助お願いね。あっ、あと魔物が現れたらやっつけてね」


 やはり先輩面を見せた割には注文が多かった。


 しばらくの間、リアたちは森の入り口辺りを巡回する。朝のこの時間は魔物も冒険者もまだ動き始めたばかりだ。早々重傷を負うヤツは出ないだろう。──なんて思ったのがフラグだった。


「うがゃあぁぁぁぁぁ!!!」


 森の奥から男の叫び声。早速か。


「ミナト!」

「あ、うん!」


 リアたちは慌てて声が聞こえた方向へと駆け出した。


 森には冒険者や木こりを送り込み、将来街道として使う道路が建設途中である。それより向こうは危険すぎて、オリカ達非戦闘員は入り込めない。だから後は手当の準備をしつつ、怪我を負った冒険者が仲間に連れられてくるのを待つだけだ。


 しばらくして一組の冒険者パーティーが慌てて走ってきた。


「エスパテロの治療院です! 治療が必要ですか!?」


 オリカが彼らに問いかける。滅多な場合を除き、ここでコンセンサスをとらないと治療をしてはいけないのがルールだ。一応、トラブルの元になりうる。


「頼むっ! こいつさっきから息してないんだ!」

「なんですって!?」


 オリカもさらに一段顔色を変えた。初っ端から重いのがきたな。


「重傷人をそこへ寝かせて!」

「いや早く治療院に──」

「いいから早く!」

「わ、わかった!」

「ミナトは輸送隊に合図だして!」

「は、はい!」


 オリカの勢いに押されて、冒険者の男は意識のない仲間を柔らかい土の上に寝かせる。リアも慌てて空へ向けて鏑矢を放った。


「何があったの?」


 冒険者の容態を一通り確認しながら、オリカは何がどういう状況で負った怪我なのかを聞き出す。


「も、森樹鬼だ! 擬態してたヤツに気づかず、足を取られて──」


 動揺しているのか、情報が纏まっていない感じはあるが、要するに魔物によって上から地面に思い切り胴体を叩きつけられたらしい。忙しいオリカに代わってリアが状況と怪我の部位を書類にまとめていく。


 そんなやりとりをしながらも、オリカは刃物を使い慣れた手つきで冒険者から鎧や装飾品を剥がしていた。


「意識もない。心音も……聞こえない」


 それを確認すると、彼女は一方向に重ねた手のひらを男の胸に当て、そのまま力強く押し始めた。


 ドンドンドン、と一定のリズムで人間の胸を圧迫する行為。俺とリアにはその意味がわかるのだが──


「おいおいおい何やってんだこれ!? 本当に死んじまう! やめろやめろ!」


 一方で胸骨圧迫を知らない冒険者たちは大慌てだ。仕方ない。知識として知っている俺やリアですら初めて生で見るこの激しい運動に若干ビビっている。だが、一応は治療院側の人間として黙って見ているわけにはいかない。


「今大事なところなんだから黙ってろ!」


 リアは黄昏の瞳に魔力を込めながら周りの人間たちを睨む。


「……っ!」


 あまりの形相に冒険者は押し黙った。


 そんな事をしている間にも、オリカは胸骨圧迫を続けている。額には汗を浮かべながらも胸を推し続ける力に淀みはない。


 そして。


「かひゅ」


 微かに呼吸の音が聞こえた。と、同時に牽牛獣馬車がこちらに近づいてくる音が耳に入る。


「オリカ! 待たせた!」


 馬車の中から治療院の人間が3人ほど降りてきて、オリカから処置を引き継ぐ。リアの書いた書類の通覧や行った処置の聞き取りをしながら馬車に重傷人を乗せる。


 引継ぎが終われば、もうリアたちの出番は終わり。彼らが無事出発するのを見届けた。


 あっという間の出来事であった。隣には未だ肩で息をするオリカがいる。ひと仕事終えたというのに、その表情に達成感などは一切見えない。


「はぁっ……はぁっ……」

「お、お疲れ様」

「はぁ……はぁ、ど、どう? 驚いたでしょ?」

「それはもうすごく」


 胸骨圧迫。いわゆる心臓マッサージというものに関して、俺が生きていた際に学校で受けた講習の記憶が残っている。だが、実際目の当たりにすると「こんなに激しいものなのか」と恐怖すら覚えた。そして、失礼ながら医療の未熟なこの世界でそれを見るとは思わなかった。冒険者の反応を見る限り、浸透はしていないのだろうけど。


「あれはね、ハクレン先生が改良した魔力を使わない生命維持技術で──」


 オリカがこの世界の胸骨圧迫について語る。やはりというか、その歴史は浅く、現在進行形で様々な方法が開拓される途中というところ。その中でもハクレン先生の考案した方法が一番救命率の高い方法なのだという。言われてみれば確かに、俺の知るものとそこまで差はないのがその証拠だと思う。


「あの人、大丈夫かな」

「わからない。わたしは手遅れにならないように手を尽くしただけだから。後は先生たちの技術と運次第ってところかな」


 残念ながら心臓マッサージは心臓を治す為ではなく、動かない心臓に代わって全身へ血液を送る為の行為だ。しかし、やるのとやらないのとでは大違い。いくら先生たちが手を出そうにも、その時点で手遅れなら意味がない。


「これなら魔力って才能がないわたしでも、体力さえつければ出来るね」

「あ、うん」


 そんな自虐めいた言葉の返答に少し困りつつも、元最底辺≪黒≫の魔法位であったリアは内心その気持ちに共感を覚えずにはいられなかった。

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