第62話 リアと治療魔法

 トリアージという言葉がある。


 それは戦争や災害などにおいて、大量の傷病者が発生した際に執られる、重症度によって処置の優先度を選別するシステムを指すものらしい。


 昔見た医療ドラマでそんなことをやっていたのを覚えている。


 なんでそんなことを今思い出したかって、それは今、目の前で似たような事が行われているからだ。


 この治療院では、今にも亡くなりそうな重傷者の優先度を『黄昏』とし、責任者の判断において怪我の具合で優先順位がつけられる。


 つまりここはそういったシステムを常に活用しないといけない場所だということ。すなわち野戦病院というやつだ。


 重傷者は粗末な寝台に寝かされ、比較的軽傷な者は中にすら入れてもらえない。そして、その中間くらいの患者に関しては、部屋の隅の方の地べたに座らされていた。


「なぁ、俺の方を先に看てくれって! 痛くて仕方ねぇんだ。頼むよぉ」

「ダメだ! 傷口だけ綺麗にして待ってろ。治療の邪魔だ」


 自力で中まで入って来て施設の治療師にそう訴えるのは、優先度『藍』色のスカーフを腕に巻かれた冒険者。だが、当然取り合っては貰えない。彼のように意識もはっきりし、自分の足で歩けるような人間はかなり後回しにされることだろう。


 まあ、正直仕方ないのかな。今は重傷者の対応だけで手一杯だし。


「ミナト、よそ見しない!」

「ごめんなさい」


 ラーヤさんの声でハッとする。いけない、リア共々集中力が欠けていた。


 目の前には手遅れ一歩手前の患者がいるという現実に、気持ちが耐えられなくなっていたのかもしれない。


「とは言ってもぉ……うぅ……」


 目の前には魔物に脇腹を食いちぎられ、ギリギリ呼吸を維持しているというレベルの人間がいる。当然、リアはここまで酷い状態の身体を見たことがなかった。


 獣人の隠れ里では治療するクラナさんに引っ付いて怪我人を目にしたり、また実際に治療する機会もあったが、まあ怪我と言ってもせいぜい深めの切り傷くらいだったからなぁ……。


 しかし目の前のこれは、医療ド素人の俺たちが関わっていい案件だとは到底思えない。元の世界ならちゃんとした医師がちゃんとした設備で手術をしないといけないレベルだ。


 ただ、この世界に医師免許なんてものは存在しない。勿論、人体に関して積み上げられてきた知識体系はあるものの、実際に『治す』という行為が基本的に魔法で行われるため、治療魔法が使える者は無条件で歓迎される。


「ミナト、しっかり見るのよ」


 そう言ってラーヤさんは患部に手をかざす。


 当然の事ではあるが、治療というものは魔法の力で一発アブラカタブラして終わるというものではい。いや単純なものはそれに近いのだが、ばい菌が入り込まないようにしたりと怪我の具合によって他にも色々と細かい手順を熟す必要があるのだ。


 今回の場合だと、身体の損傷は内臓までに及んでおり、その修復または摘除と再生を手早くこなす。また内臓から溢れた老廃物の除去や、患者が暴れないように遮痛の付与を施すことも欠かせない。


 そういった必要なこと全部を魔法でささっとこなすラーヤさんは流石クラナさんの師匠だけあって見事な手際だった。


「ふぅ……どう?」

「どうって、凄かった、かな」

「できそう?」


 ラーヤさんは額に浮かんだ汗の粒を手ぬぐいでふき取りながら、そんな突飛な事を聞いてくる。


 寝台には安らかな顔で眠る冒険者の姿。死んでるわけじゃないぞ。ラーヤさんが完璧に治したのだ。少し前まで死にかけてたとは思えない仕上がりには、改めて魔法の凄さを思い知らされる。


 とはいえ、同じことをやれと言われても、俺は当然として魔法が得意なリアでさえ頭を抱えてしまう。こう、絶望的に素質や熱意が足りていないというか……。


 当然、ラーヤさんの問いには首を振らざるを得なかった。


「……まだ難しいね。もうちょっと慣れないと」

「正直ね。でもまあ、今すぐ同じことを出来るようになれとは言わないわ。もう少し、見ていなさい」


 まあ単なる魔法と違って、手順を覚えているからといって簡単に出来てしまうほど甘いものだとは思わない。


 今回ラーヤさんについて回る目的、それは出来るだけ治療に慣れることだ。


 そう、あれは首都を出る前のこと。リアはラーヤさんにこれから従事する仕事について説明を受けていた。


『治療かぁ、うぅん……』


 しかし、その時のリアはあまり乗り気でないような反応を示した。


『あら、もしかして苦手なの? クラナ様から習ったんでしょ? それに前の仕事で他の冒険者の怪我を治したって聞いたけど』

『簡単な怪我くらいはクラナねーちゃんに教わったから治せるけど、そこの仕事ってそんな簡単なものじゃないよね?』

『まあ、そうね。腹に穴が空いた人の治療程度ならよくあるわ』

『ひえっ……』


 わざわざ激戦地域の治療院に行って、切り傷ばかり治すはずもないことは分かりきっていた。だがわかってはいても、想像して声をあげてしまうリアであった。


『私、実は治療自体はそんなに好きじゃなくて……だって人の身体の知識もあんまりないし、血とかグロいし、身体の中見たり触ったりとか慣れてないし……』


 リアは正直に自分の気持ちを語った。そう、意外かもしれないが、リアは血とか内臓とかそういう生々しいものが苦手だ。ちなみにそれは「人間の」という言葉が頭に付く。


 この件だが、正確に言うと「苦手になった」というのが正しい。


 リアの精神を隅から隅まで把握しているわけではないので、想像に過ぎないが、今回も悪いのは俺だと思う。リアはこの2年で、ずいぶんとぬるま湯に浸かってきた。つまり獣人の隠れ里という優しい世界と現代日本というぬるま湯の中で育った男一人の記憶に精神が染まり過ぎたのだ。


 別に昔は人の内臓を見るのが好きだったとかそういうサイコな設定はないけれど、山の中で人の死体に火をつけた、あの逞しかったリアはもういない。


『───なるほどね。でも冒険者をやるなら慣れないと。それにね、治療魔法が使えるのに簡単な怪我しか治せないのは勿体ないわ。この機会に色んな治療が出来るような下地を作りましょう、ね?』

『う、うぅん……』


 と、そんな事情があるとはいえ、今更予定を変更出来るはずもない。ラーヤさんは依然として乗り気になれないリアを諭しにかかった。


『あのね、別にあなたを一人前の治療師として育成したいわけではないのよ。ただこれから先、大切な人が目の前で命の危機に関わる大怪我を負うようなことがあったとして、あなたは何も出来ないままでいいの?』

『それは勿論ヤだよ』

『そうよね。だったら付け焼刃だとしても、知識や技能を身につけておいて損はないと思うの。いざという時、慌てふためくようやことにならない為にね』

『うぅ……がんばる』


 ラーヤさんの説得はあまりに道理であった。そうしてリアはなんとかこの街で、治療魔法の訓練をする決意をしたのだが、いざとなると……。


「どう? ちゃんと見てた?」

「……みてた」


 魔物に火炎放射でも食らったのだろうか、全身を酷く火傷した冒険者の治療をラーヤさんは行う。


「ミナト、顔が真っ青よ」

「だいじょうび、うっぷ……」


 彼女の魔法捌きを見ながら、リアは何度も嘔吐しそうになるのを必死に抑えていた。


 これじゃあ完全記憶というチート技も台無しだ。思い出すたびにこの気持ち悪さを味わうのは勘弁願いたい。


「と、無駄話している暇はないわね。次に行くわよ」

「あ、うん……」


 悪化する重傷人の容態は俺たちを待ってくれない。休憩らしい休憩もとらず、リアたちは次の重傷者の元へと向かった。

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