第58話 ツリロでの活動②

「お疲れさまです。今日は大猟ですね!」


 冒険者ギルド、ツリロ支部へと依頼達成を報告する。ちょっぴりふくよかな受付のお姉さんの笑顔で迎えられた。


 今回、海兎獣を10体近く仕留めたわけだが、一体で乗用車を凌ぐ大きさを誇る巨体をいっぺんには運べない。余計な金はかかるが、ギルドの輸送部門を呼んだ。


 結果、色々差っ引いた今回の報酬は9万ガルドとなった。それでも充分おいしい報酬だ。


「海兎獣は本当捨てるところがない動物なんです! 肉皮脂に骨! 全部市場で高く売れますよ! いやー今晩は久しぶりにツリロ煮が食べられますね!」


 お姉さんの涎をすする音が聞こえる。彼女の言い方だと、ギルド職員は肉の横流しでもしてもらえるのだろうか。


「ツリロ煮というのはツリロで獲られた海兎獣の肉を、ネイブル内陸部から陸路で輸送された野菜と、大陸南部から航路で持ち込まれたスパイスをふんだんに使って煮込んだこの街の郷土料理でね。色んな街からもたらされた食材が、ネイブルの海の玄関と呼ばれ大陸中から物が集まるこの街をよく体現していて──」


 お決まりのハツキさん豆情報をBGMに、俺たちは市場へと足を向けた。


 今さらながら、舞台をこの街に移した事には理由がある。それは別に海兎獣を狩る為だけではない。初日にも屋台街へ行ったが、そのようにこの街では市場がとても活気である。


 ハツキさん曰く、海運の発達したこの街では周辺地域から様々なものが入ってきているのだという。きっとこの国の、いや、この大陸の物価を学ぶいい機会になるだろう。冒険者として、ある程度の経済観念を持ち合わせてしかるべきというわけだ。


 まあ、あとリアには魔法の鞄もあるし、この街でしか買えないものを買いだめておくのもいいな。


 というわけで、ギルドから十数分ほど歩いてやって来た市場。ここは行き交う人々の賑やかさで溢れている。パリのマルシェとかバザールだとかそんな小綺麗な感じではなくもっと雑多としているけれど、なにより活気があってよい。


 西の小道に金物屋が集まっていて、その一筋南には刃物、大通りを挟んですぐ東には革製品といった感じに市場は区画によって店の傾向が分けられていた。


「いらっしゃい! 兄さん、冒険者だろ? 解体用にナイフでもどうだい?」


 いくつかの通りを見ていったあと、刃物やの親父に声を掛けられた。


「へぇ、見ていいかい?」

「勿論」


 ハツキさんは勧められたナイフを手に取り、目を細めてその表面を斜めにずらして見ている。なんかプロっぽいな。一見百均に並んでそうなナイフだけど。


「いいね。変な歪みもないし、よく切れそうだね。それに手入れも簡単そうだ。いくらかな?」

「へへっ、ここにあるのは2万9千ガルドだよ」

「なるほど。悪くない値段だけど、うーん……この保管状態を考えるとね。もうちょっとまけられない?」


 なんか値段交渉に入り出した。刃物とこの国の物価の両方に疎い俺たちでは会話に全くついていけなかった。


 普通物価というものは、収入や自分が慣れ親しんだ価値との比較によって段々と理解していくものだろう。だが、この世界と俺の元の世界とではその差があまりに大きいせいで、何にもわからない。


 まあ、そこで思考を放棄するわけにもいかないから無理やり考えてみる。


 約3万ガルドだから……えっと、こんな換算方法は非常に業腹だが、昨日食った昆虫盛り合わせプレートが60ガルドで……。


(つまりこのナイフ1本で昨日の盛り合わせが500回食えるな)

(えっ! ご、ごひゃく!?)


 何気なく呟いた一言にリアが妙に大きなの反応を示した。


「高くない?」

「あ、ミナトもそう思う? ボクも見てるうちに段々高いなーって思えてきたんだ。こことかちょっと錆びてるしね。やっぱり潮風かなぁ……」


 いや、コイツは単にナイフの相場にビビってるだけで……。


「くぅぅ……じゃあ、2万4千ガルドでどうだ!?」

「ふむ、それならお買い得だね」

「まったく、こんな値段じゃ利益でねーよ! 持ってけ泥棒!」


 刃物屋の店主は投げやりな風を装って、商品のナイフを何か紙のようなもので梱包した。


「ありがとう。ミナトのおかげでかなり安く買えたよ」

「え、あ、うん。でも、あの人怒ってたけど」

「あー大丈夫。商売人が利益の出ないものを売るはずはないからね」


 まあナイフに賞味期限はないからな。よほどの裏があったり、切羽詰まっていない限り大損は避ける。


 それでも何故かリアの呟いた言葉がきっかけで値引きが成功したことに変わりはない。


(値下げの後でも、400食分!?)


 そんでこっちはまた驚いているし。というか、昆虫プレートという価値の基準がリアにとってこれ以上ないくらいしっくりくるらしい。どんだけ虫好きなんだよ。


(……あの照明、虫プレ1200食か。簡素なものとはいえ、魔法術式が仕込まれた道具はとんでもないね)

(なあ、その単位止めないか?)


 最悪だ。宿代とかにしておくべきだった。


 そんな後悔を引き摺りながら、リアたちは香辛料を扱う区画まで来てしまった。


 この街には南方の諸国から多種多様なスパイスが入ってくるらしく、金物を扱う店舗の倍以上の店が軒を連ねていた。


「せっかくマジックバッグを持ってるんだから、ここでスパイスを一杯仕入れていきなよ。国によっては高額で転売できるし、売れなくても自分でも使えばいいしね」


 ハツキさんがこそっと耳打ちしてくる。都市規模の食糧備蓄や軍事活動等に用いられるマジックバッグを個人所有するなんて普通は誰も信じないが、まあ一応の配慮だろう。


 それにしてもスパイスか。確か元の世界でも胡椒が金銀と同じ重さで取引されていた時代があったらしい。この世界の物流がそのまま大航海時代前と同じではないが、塩と同じで生産を他国に依存している国はいくらでもあるだろう。商人がそこに目をつけていないはずもないだろうが、まあ持っていて損はない。なにせ、このバッグにはいくらでも入るし、入れとけば痛まないのだから。


 それから1時間ほど、食料品店を買い回る。結局、石鹸や野菜に米などの食料品を揃えた。これは例え何も買えない地域へ行ったとしても、半年は食べるに困らない量だ。そう考えると少ない気もするが。まあ、出来るだけそんな場所に行きたくはないものだ。


 ツリロでの活動を始めて早10日が経過した。


 ここ数日は魔獣討伐を依頼として行う傍ら、市場で物資を購入したり、街を見て回ったりと忙しい日々を送っている。


 特に異世界の港を見て回ることができたのはよかった。おかげでこの世界の海運や漁がどんなものか、雰囲気程度にはつかめたと思う。


 そして今日の昼間のこと、貿易船を装った不法移民船が摘発されているところ見かけた。野次馬からエルフ地獄耳で盗み聞いた噂話では、その船は北に位置するガイリンからやって来たようで、最近になってそういった事件が頻発しているという。


「ありうる話だ。あの国も不安定だからね。ここ数十年は内乱や一揆が絶えないようだし」


 里でリアを拾う前までガイリンの都市に立ち寄っていたというハツキさんが言うなら本当にそうなのだろう。


 そういえば、ラプニツくんをこの国へ連れてきた人達も元はガイリンから逃げてきたらしい。彼らは正式な手続きを経てこの国へたどり着いたが、一方でそれが出来ない者はああやってコソコソと入国するしかない。違いは信用や財力があるかどうかといった所だろう。俺たちは【暁の御者】のおかげで特に面倒な事もなく入国出来たのだから、本当幸運だった。


 後、気になるのは政情的なところか。そんな不安定な国が北隣にあるのなら、もしいざという時、戦乱に巻き込まれる可能性もある。いや、まあ影響だけいえば、難民という形でもう受けているんだけど。


「北隣りといっても殆どは魔物が跋扈するソフマ山脈を挟んだ向こう側だから、危ないのは沿岸部にある数か所の街くらいかな。その辺りの難民はどんどん増えるだろうけど」


 今更ながらこの世界のこの大陸は思ったよりも戦禍が近いところにある。平和に見えるネイブル国も北にガイリン、東方にアーガストという大国が存在し、いずれも友好関係を築いているとは言えない。


 これからこの大陸を渡り歩いていく中で、戦乱に巻き込まれない保障はどこにもない。いかに情報収集をしながら動くかが肝心だ。

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