第55話 獣人の少年
「とりあえず、今日はここの宿にしよう。いいかな?」
「うん、大丈夫」
突然、獣人に出会ってしまったことで飛んでいたが、そういえば宿探しの途中だった。
この獣人の少年は店番のようなマネをしてはいたものの、具体的な業務については何も任されてはいないらしく、結局店主が来るまでそのままエントランスで待つことになった。
大体30分ほど経った頃だろうか、ようやく店主のおじさんが帰ってきたと思ったら、かなり慌てた様子だった。
「いらっしゃい! いやぁ、すみませんねぇ、獣人なんかにお相手させてしまって。……おい、お客様に何か粗相をしていないだろうな!」
「な、なにも」
揉み手しながらキレるという高等技術を見せつけられる。見た目は普通の優しいおじさんなんだがなぁ……。そんな人でも亜人には厳しいという事か。
「別に何もありませんでしたよ。それより2部屋お願いできますか?」
「あ、ああ! 勿論ですとも! それではこちらを」
少年に鉄拳制裁を加えられそうな雰囲気が漂い始めたので、ハツキさんがいい感じに店主の気を逸らしてくれた。そして、これで部屋の方も問題なく確保だ。
「それにしても、この国で獣人をお持ちとは珍しいですね」
記入を求められた宿帳に筆を走らせながらハツキさんが問うと、店主は苦々しい顔を見せながら答えた。
「……コイツはつい最近ガイリンから逃げてきた親戚一家がこっそり持ち込んできたのです。とんでもない税金がかかるとは知らずに……それで結局、払い切れずに身元保証人の私が引き取ることになったのです」
ガイリンとはソフマ山脈北側にある、噂のちょい治安がヤバめな国である。そこから逃れてきた難民の「持ち物」である獣人奴隷に税金がかけられるのは、まあ心情的なものは置いておいて納得がいく。
「既にご存じかもしれませんが、この国では亜人奴隷にかなりの重税がかけられているのです。特に死亡税が本当に重くて……。こいつがまだ元気なうちに早いこと手放したいと思っているのですが、引き取り手がなかなか見つからず……」
一度愚痴を吐き出すと、店主の口はなかなか止まらなかった。彼の話やハツキさんが所々入れてくれる補足を聞いている内に、この国における亜人の扱いを知ることができた。
結論から言うと、この国で亜人の存在はタブーである。それは昔々の出来事が原因だという。
まだ首都アブテロ市が魔物の脅威に晒されていた時代。
当時、この国でも亜人奴隷の存在は外の国と同じように一般的なものだった。人未満の存在として、強制的に働かされ、踏みにじられ、時には性的に虐待を受けるような俺が持ついくつかの奴隷のイメージの中でもかなり悪い部類に該当するような存在だった。
そんな亜人奴隷の扱いはこのネイブル国において、ある時代を境に変わっていく。勿論、それは別に良い方向にではない。
その当時、アブテロ市では疫病が蔓延していたらしい。その病気の感染力や毒性は凄いものだったそうで、なんと当時のアブテロ市の人口の5分の1が死に絶えたという。そこまで聞いて俺も何となく察した。非常に単純な話だ。その疫病は1人の獣人奴隷の遺体が元だった……と噂されている。というか、この国の人間は今日までそう信じて疑わない。
噂は時代を経るごとに尾ひれを増していった。亜人──特に獣人は「死の化身」だとか「不吉の象徴」だとか、好き勝手言われるようになってしまっている。
忌み嫌っているけれど、殺したら呪われるから殺せない。死亡税なんてものがそれをよく表している。殺すなら他所で殺せ、ということだろう。
「コイツが来てから客が来なくなりまして……もう本当に困っているのです。しかし既に移譲の手続きが済んでいる以上、放棄して死なれたりしたらもう死亡税で破産です!」
そんな事情があるこの国において、獣人奴隷を保有している宿にお客が入るはずもなかった。リアの立場では同情なんて決してできないけれど、大変そうだなぁ……とほんの少しの哀れみだけは持っておく。
「ああ、どこかにコイツを引きとってくれる酔狂な人はいないものでしょうか……お客さんはいかがですか? なんて、はは……」
そう言いながらも、店主の目には期待なんてこれっぽっちも込められていないのがわかる。
まあその通り、口惜しいが今の俺たちにはどうしようもない話だ。この獣人の男の子には悪いけど、旅の目的を達成した後ならまだしも、今初めて会った人間の一生の責任を負うような余裕はない。
こんな状況で獣人の少年という爆弾を引き取ってやれるような人間は、それこそよほど金に余裕があって、フットワークも軽いやつだ。そんな奴、早々いるわけ──
「ではボクが引き取りましょう。所有権の移譲にかかる費用はいくらですか?」
いや、いた。
まさかと思って、リアは横で筆を持つ手を動かす人物に視線をやる。
「はい?」
「いや費用ですよ、費用。ボクはここの市民権を得ていませんが、税金やら何やらで色々とお金がかかるのではないですか?」
「あ、ああ……はい、税金など諸々含めて大体50万ガルドほどかかります。私の場合もそうでした」
50万……リアの痴漢未遂何回分だ? それが所有者が変わる度に徴収されるらしい。恐ろしい話だ。
「なるほど。では……」
だがハツキさんに躊躇いはない。荷物から何やら紙辺を取り出し、その上に筆をスラスラ走らせた。
「はい、これ。ギルドへ持っていけば、現金と変えてもらえるはずです」
「あの、えっと、これはお客様がコイツを引き取ってくれるという事で?」
「そうです。申し訳ないですが、手続きはあなたが主導してください。その分の心遣いもそのお金に含まれています」
「よろしいので?」
「ええ、ボクたちは冒険者ですから。他所の国で上手いこと売りさばきますよ」
ハツキさんがそう返すと、店主は納得したのか首を何度も縦に振っていた。
(他国で売りさばくって……)
(まあ、落ち着け。ハツキさんの事だから何か考えがあるんだろ)
(そ、そうだよね)
この人はパーティーの財布役だけあってお金にうるさい印象はあるものの、守銭奴というわけではない。ましてや、奴隷を売って小遣い稼ぎだなんて……ないよな?
「では、必要な書類をとってきますので、お客様方はお部屋の方でお寛ぎください!」
そして、俺たちに部屋の鍵を渡すとすぐに外へ出てしまった。それだけ早く奴隷を手放したかったのだろう。
「あ、案内します。えっと、ご、ご主人さま?」
それからは獣人の少年が引き継いでくれた。仕事を任されていないといっても、流石に館内の間取りくらいは知っているらしい。
宛がわれた部屋は階段を上がって2階の隅から2部屋。角部屋は安全も考慮してリアが使う。
そして部屋について早々ではあるが、リアはすぐにハツキさんの部屋へ向かった。ノックして扉を開けると中には彼だけではなく、獣人少年の姿もあった。
店番はもういいのだろうか……ってそうか。手続きはまだ済んでないが、彼はもうハツキさんの奴隷だ。側にいるのが自然か。
というか、どうしてハツキさんが彼を引き受けたのか。リアも俺もそれが気になって仕方ない。
そして件の少年といえば、ハツキさんの側で身体をビクビクさせながら、所在なさげに下を向いている。
「ハツキさん。その人、本当に他所の国で売るの?」
「まさか」
即否定。信じてました。
だけど、少年の方は相変わらずビクビクしながらハツキさんを見ている。「一体、何をさせられるんだ」という恐怖が表情から見える気がする。
「じゃあ【暁の御者】で面倒を見るの?」
「それも違うね。信頼できるところに預けて、そこで平和に暮らしてもらうんだよ」
「それってもしかして里のこと?」
「いや、あそこへ行くのはちょっと大変だから……。まあ、似たようなところだけど。これはまた話すよ」
あの里みたいな場所が他にもあるのか。これはリアの家族を探す上で、地味に重要な情報かもしれないな。
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