第54話 港湾都市ツリロ

 【暁の御者】とのささやかな宴会を楽しんだ翌日のこと。リアは朝から馬車に乗り込み、首都アブテロを出発した。行き先はアブテロの西に位置する港湾都市ツリロである。


「この道路は『金道』と言って、国において最も重要な街道のひとつに指定されているんだ。ほら、舗装がしっかりしているだろう? ちなみに『陽道』は政庁周辺の道路、『紅道』は首都アブテロ市の環状道路にのみ使われる階級だから、実質『金道』がこの国の大動脈を指す階級になるね。そして、今馬車が走っているこの道路の正式な呼び方は『金道西線』なんだけど、別名『サルマ街道』とも呼ばれているんだ。何でかって言うと、この道路が昔、サルマっていうツリロ漁港でよく獲られる名産品を迅速に首都へ運ぶために整備されたのが理由で──」


 乗り込んだ馬車の右隣の席からは常に情報の波が押し寄せてきている。俺としては興味深い異世界の知識を得られる退屈しない時間だが、リアはちょっぴりウンザリしているようだ。


 だがリアよ、この旅はまた始まったばかりだ。今からウンザリしているようではこの先持たないぞ。なんたってこれからしばらくの間、新しい教育係としてハツキさんと2人きりで過ごすのだから。


(まあミナトがいいなら別にいいんだけどね。あ、身体代わる?)

(いや、いい。リアに任せるよ)


 ハツキさんはパーティの所謂タンクってやつで、カイドさんには劣るものの中々いいガタイをしたおじさんだ。魔法位は≪藍≫。昔リアが山奥の湖畔で手に入れた剣と同じ階位鉄製の大盾を身に着け、その運用に耐えられるだけの身体強化魔法と他にも防御壁を作る魔法が使えるなど、壁役を極めたような人物だ。


 リアはこれまで彼と二人きりで話す機会があまり無かった。だからこそ、この機会はリア自身が他人とコミュニケーションをとるいい経験になると思うのだ。


 おそらく先程の提案は俺にも身体を動かす機会を、というリアの気遣いなんだろう。優しいやつめ。


 でも自分の身体なのだから、俺の事なんて気にせず、好きにやって欲しいんだけどな。


 牽牛獣という魔獣が引く馬車は速く、半日程度でツリロまでたどり着いた。


 街は海岸沿いに南北へ伸びた細長い地形をしているらしい。そういえば潮の香りがほんのりする……気がする。たぶん。内陸育ちの俺にはよくわからないが、それっぽい匂いがするからきっとそうなのだ。


 馬車はまたしばらく走り続け、高台からは海と思わしき大きな水たまりが眼前に立ち現れる。


(あれが海か……ミナトの記憶で見たことあるけど、こうしてみると圧倒されるね)

(わかるわ。なんかデカすぎて怖いんだよな……)


 海洋恐怖症だっけ。母なる海とはいうけど、あまりに大きすぎると不安になる。


 リアはこの歳になるまでずっと内陸で過ごしてきたから、やっぱり海を怖がるかと思っていた。しかし予想に反して、彼女はずっと海の方を眺めていた。


 馬車は大きな駅舎に止まり、リアたちはそこで初めてツリロの街へ足を下ろした。


「ミナト、一先ず今日の宿をとろう」

「わかりました」


 電話やインターネットを使った予約の概念がないこの世界では、宿は当日の内に直接店へ立ち寄って確保するのが基本だ。なので、宿の確保も重要な仕事のひとつとなる。


 だが知らない土地で、評判が良く自分の財布に見合う宿を見つけることは大変難しい。大陸の各地を転々としてきたハツキさんですら、稀にハズレを引くことがあるのだそうだ。


「値段はかかっている看板をみればいいけど、質は細かい所をじっくり見るしかないね。例えば、店先の清掃が行き届いているかどうか、ゴミ置き場がちらかっていないかとかね。あとはまあ、客層かな。いくらいい宿でも変な客がひとりいるだけで全然違うから」


 そのアドバイスを元に、訓練の一環としてリアが宿を探し回る。


 数か月の家なき子生活を営んでいた経験のある俺たちからすれば、多少内装がボロくても気にしないのだが、ハツキさんの言う通りめんどくさい客に遭うと悲惨だ。特にリアは死ぬほど可愛いから、その分ヤバいのを引き寄せやすい。


(宿選び、難しいね)

(この世界にはじゃろんもラクラクトラベルもないからなぁ……)


 値段と宿の質は当然比例するので、金を出せばいい宿に泊まれる。質の悪い客もグレードが上がるほどに少なくなる。だが長期的に見てその値段を1日分の宿賃に充てていいのか考える必要がある。まだ、金銭感覚が整っていないのがネックだ。


 首都アブテロでリアが使っていた宿は大体1日3千ガルド程度。これは『紅』ランクの冒険者が使うにはあまりに安いが、ルーキー冒険者が使うには少々贅沢だ。手持ち的には余裕があるが、ここはもうちょい相場の低いランクの宿を……。


(ここなんてどうかな?)


 石造りのオシャレな雰囲気がある通りから一筋細い道に入ると、リアはとある宿を見つけた。店構えは小さくて古ぼけてはいるが、ちゃんと掃除をしているのか店先にゴミが落ちていない。


 おお、なかなかいいんじゃない? ちょっと入って確かめてみよう。


 ドアを押してみる。


 カランカラン。まるで俺たちを出迎えるように喫茶店みたいな音が鳴った。


 まず宿の顔、エントランスを隅々見渡す。ここが汚かったりしたら中も期待薄だろう。だが、その心配はなかった。陽の光をしっかり取り込んだ明るい室内は、ウッド調の落ち着いた調度品で整えられ、シンプルながらも上級の居心地を演出している。そして、その穏やかな空気感に見合わない、眼光の鋭い髭むくじゃらの男が──。


「おう、なんだえらい上玉が入ってきたな」


 備え付けの置物かと言わんばかりにエントランスのソファでくつろいでいたんだけど、何も見なかったことにして、即まわれ右する。


「おい、ちょ!」


 歩く速度を上げて、出来るだけ宿から離れる。


 俺もリアも一瞬で悟った。あんなのが馴染んでいる宿がまともなわけがない! よしんばアレが見掛け倒しの案外普通な人間だったとしても、あんな濃いやつと絡むのは嫌だ。顔見知りにすらなりたくない。


「ふふっ、そこはダメだったね」

「いきなりハズレ宿だった……」

「まあ、何度も失敗するのが経験ってやつさ。次いこう次」


 参っている暇はない、とリアは次の宿探しに急かされるのであった。


 1時間ほどかけて、何軒かの宿を見て回った。やはりちゃんとした宿はそれなりに値が張る。


 妥協したくなる気持ちを抑えて色々と見て回るのだが、あまりに念を入れ過ぎて宿がなくなってしまうのもまずい。それにまだ昼食もとっていないからな。このままじゃ、ハツキさんにも迷惑がかかる。


(次、良さげな宿みつけたら、もう今日はそこに決めないか?)

(仕方ないね……)


 という方針を念頭に、また宿探しを再開する。何件か見て回り、少し古ぼけた宿屋にたどり着いた。古いけれど店先はそこそこ綺麗にしてあるし、もうここでいいか、とその宿の中へと入った。


「あ、いらっしゃいませ……」


 中へ入ってきた俺たちを迎えたのは、頭の上に毛むくじゃらのを生やした少年だった。


「あ、あの……いま、ご主人さまは買い出しに出ていて……」


 怯えるように少年が喉を震わせる。だが、この時点で彼の言う「ご主人さま」つまりこの宿の人間の事なんて正直どうでもよくなってしまった。


「……獣人?」

「そ、そうです。ごめんなさい……」


 謝りながら、獣人の少年はスッと目線を逸らした。


 今一度、彼の姿を確認する。


 黒い頭からはやはり三角形の耳が生えていた。犬系だろうか、それとも狼系か、はたまた狐系か。隠れ里にもこういう耳を持った獣人は沢山いたけれど、結局違いがわからなかった事をふと思い出した。


 彼の見た目はリアよりもさらに幼く、決して背が高いとは言えないリアが見下ろすほどの身長。そして、一番気になるのは彼に付けられた首輪。それと、そこからぶら下がっているタグのようなものだ。なにやら番号が彫られているのがわかる。


「ミナト、それは奴隷を管理する札だよ。このタイプはガイリンで純人、獣人関係なく付けられるものだね」

「奴隷……まあ、みりゃあわかるけど、そっか……」


 首輪なんてつけられている時点で奴隷だろう。というか、獣人を含む亜人はどの国でも基本的に奴隷にされていると教わった。


 俺たちも外の世界に出た以上、いつかは出会うだろうと思っていはいた。だが、実際に目の当たりにすると想像以上に精神的にくるものがあった。里で平和に暮らす獣人たちを見てきたからだろうか。


「アブテロでも、シャフルでも見なかったのに……」


 そうだ。リアが口にした通り、このツリロ市よりも遥かに人口の大きいアブテロでも何故か亜人を見かけることはなかったのだ。まあ、まだ街中を歩いたことはそんなにないけれど。


「この国で亜人は不吉の象徴みたいなもんだからねぇ。進んで所有する人間はあまりいないんだ。この子もきっと外の国から連れてこられたはず。──だよね?」


 ハツキさんが獣人の少年に問いかける。


「すみません。勝手に色んな事、話せないです」

「そりゃあそうだ」


 それを厳命されているのか、今まで揺れていた彼の瞳は突然定まった。

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