第48話 心の傷

 まだ空の明るい時間。突然眠れと言われるも、中々眠れない時間が続いた。だが、このままでは夜キツいのは分かり切っている。リアは無理やり布団の中で目をギュッと瞑り、頭の中を白く染めることでなんとか眠りを誘う。


 その甲斐あって、いつの間にか眠りに入っていた。


 そして、数時間が経って、リアの身体は誰に起こされるわけでもなく目を覚ます。


 なんだろう。頭がまだボーっとしている。だからだろうか、身体が重い。まるで大人の男に覆い被さられているような──


「って! なんだお前っ!?」

「ぶべっ!」


 吹き飛んでいく男。ハッとした勢いで思わず手が出てしまった。だが状況がハッキリすると、その判断は間違っていなかったと思う。


 この男、寝ているリアにイタズラしようとしていた。


「ようやく目覚めたか」


 隣のベッドにいたカイドさんから声がかけられる。アンタ起きてたんかい。


 というか当のリアはまだ覚醒していないのか。


(リア、起きろー! エマージェンシー! エマージェンシー!)

(んぁ……)


 何度か呼びかけてようやく反応が返ってきた。途端に身体の操縦権がリアに移る。


 俺は先ほど起きたことを脳内で繰り返しリアに見せた。


「殺すっ!」


 事態を理解したリアはすぐさま殴られて倒れ伏している男に向かって魔力を高める。


「ま、待て! 俺はただ交代を報せに来ただけだ!」

「覆いかぶさる必要はなかった」

「ちょっと身体に触ろうとしただけじゃないか」

「ブッ殺す」

「ひぃぃぃ! 命だけは! おい、アンタ! 見てないで助けてくれっ!」


 ガタガタと情けなく震える男の視線が、救いを求めるようにカイドさんに移る。


「ミナト、落ち着け。問答無用で殺してしまったら、罪に問われる可能性がある」


 まさか待ったがかかるとは思わず、リアは振り返って彼を睨みつけた。


「コイツを庇うの?」

「違う。殺してまうと後々面倒になると言いたいだけだ。そんな事をするよりも、ふん縛ってギルドに突き出した方がいい」


 言われてみればその通りだ。魔法によって自白させる手段があるこの世界で、『死人に口なし』という状態を作ってしまうことはハッキリ言って手落ちと言わざるを得ない。


 頭に血が上った今の俺たちではその考えに至らなかった……。


「……わかった。でも、気づいていたなら早く起こしてくれてもいいのに」

「事が起こる寸前まで起きていなかったら止めるつもりだった。一人立ちするなら、自分で気づけるようにならないといけないから。まあ、失敗経験としてな。ラーヤならこの男が部屋に入ってきた瞬間に目を覚ましているぞ?」


 いや、無理だろ。だって寝てるんだぜ。


(とりあえず、魔法でなんとかするしかないよ……)


 リアはどこか自信無さげに言う。そんなに都合のいい魔法をポンポン作る事が出来るはずもないのだ。


 とりあえず、やらかしてくれた冒険者は拘束して、事情を説明して村にある唯一の拘留所にぶち込んで貰う。


 しばらくの間は俺が身体を動かして、リアは内側に引っ込んで魔法の開発にあたるとする。勿論精神的ショックも大きいからだ。


「おいおい、ウチのもんが何したってんだ!」


 途中、その冒険者の親分的人物に絡まれた。朝、持ち場決めでリアに文句を言ってきたオッサン冒険者だった。


 もしかして、今回の件は朝に彼の反感を買ったからなのか? 考えすぎかもしれないが……。


「アイツはこの子の寝込みを襲おうとした。俺が証人だ。文句あるか?」


 今度はカイドが庇ってくれた。相手も親分だからか?


「保護者の言う事なんて信じられるか! アイツはそんな事をするようなヤツじゃない! 俺が保証する!」

「おいおい、ギルドは『紅』ランクの俺と、万年『藍』ランク止まりで素行の悪いお前のどちらを信用すると思ってんだ?」

「……クソッ!」


 オッサン冒険者が逃げ帰っていく。


 万年藍ランクって、カイドさんはどうしてそんな事を知っているのだろう。


 話が面倒な方向に進もうとしていて、強引に戻されたという感じ。結局パワーゲームだった。カイドさんのような高ランク冒険者が味方にいなきゃ、もっと面倒なことになっていたのかもしれない。


「あの、ネイブルの冒険者は民度が高いのでは?」

「それはそうだが、沢山の冒険者がいれば中にはああいうのもいる。油断はしないことだ」

「はい……」


 割合の問題だった。思えば、俺たちにも少し油断があったのかもしれない。これまで何のちょっかいも無かった事が逆に幸運だったのだ。


 でもまさか、保護者がいる横であんな暴挙に出るような変態がいるなんて考えもしなかったが。


「村の人間から状況は聞いた。大変なところアレなのだが、出来ればそろそろ担当エリアの引継ぎをお願いしたい。問題ないだろうか」


 『褐』ランクの若い男性冒険者が申し訳なさそうに話しかけてくる。彼は確か日中の中央付近エリアの担当だった気がする。


「ああ、飯を食ったらすぐに。ミナト、いけるよな?」

「あ、はい」


 こんな状態ではあるが仕事は待ってくれなかった。村人が食事を用意してくれているという家屋まで急ぐ。


 食事は粉状に挽いた穀物を平べったく固めて焼いたようなパンもどきに、焼いた肉を数枚と、野菜を煮たスープが提供された。


「いただきます」


 暖かいスープに口をつける。器を持つ手は小さく震えていた。


 カイドさんはさっきのことを「失敗経験」と言っていた。失敗して被った被害や経験が何よりも有用であることは理屈としては分かるのだが、今回の事はやはり起こらない方がよかったと俺は思う。心の傷はそう簡単に治ったりしないからだ。


 リアは今、雑念を振り払うように、内側で魔法の開発に勤しんでいる。


 今までずっと一緒に過ごしてきたけれど、こんな風に寂しい食事は初めての事だった。


 それから俺たちは、休むことなく予定通りに農村の警邏に参加していた。


 辺りはすっかり真っ暗で、光源は所々に存在する燭台の揺らめきに限られる。視界は悪いし、眠いしでそりゃあ人気が無いのも頷けた。


 当たり前だが、視界が悪いと戦闘で不利になる。だが俺たちには2年前に作った暗視の魔法スキルがある。これは他の冒険者に対する大きなアドバンテージに成り得た。


 ……ただまあ、現状それを生かす機会が全くないんだがな。


 リアの担当区域が超安全地帯であることに加えて、この辺によく出没するという小鬼を始め、大抵の魔物は昼行性らしい。


 ここの担当いる? そんな疑問ばかりが頭の中をぐるぐる回りつつ、ひたすら巡回を続けていると、いつの間にか結構な時間が経っていた。


 東の空はもう薄明るくなりつつある。このまま何の問題もなくすぐに交代の時間がくるだろう。なんだこれ。監視の仕事となんも変わらないじゃん……。


 そう思っていたのだが……。


「誰か、誰か来てくれぇー!」


 突然、明け方の静寂を切り裂くように男の声が響いてきた。声が聞こえたきたのは北西のまだ薄暗い方角からだった。


「なんでしょう?」

「ふむ、手に負えない魔物でも出たか」


 声を聞いて、何人かの冒険者が担当区域を放って声の元に駆け付ける様子が見えた。


 おいおい、大丈夫か? 俺も駆け付けたいところだが、『灰』の冒険者の俺が助けに入って、無駄にプライドの高い彼らの反感を買うのがちょっと怖かった。


 とりあえず、担当が居なくなった区域の警戒だけはしておこう。


 しばらく警戒を続け、いつの間にか空が明るくなった頃、ボロボロになった冒険者が1人、仲間の肩を借りながら歩いてきた。破れた衣服からは血が滴り、見るからに痛そう。


「うわっ、だだだ大丈夫っすか! いったい何が?」

「小鬼が突然群れで襲ってきてな。つい油断してこんな怪我を……ああ、言っておくが駆除自体は済んでるから増員は要らないぞ」

「そんなことが……あっ、そうだ。俺、回復魔法使えますけど」

「頼めるか!?」


 ボロボロの男が前のめりになって反応してきた。目の前の血だらけの人間を放っておくことなんて普通の感性してたらありえない。それに俺はこの残忍な世界に来たものの、血とかそういう生臭いものが未だに苦手だ。さっさと治して視界から消したい。


 冒険者にクラナさん直伝の回復魔法をかけてやる。早く治したいという思いから、少し魔力を込め過ぎた。傷はあっという間に消え、青白かった彼の顔色が見る見るうちに気色ばんでいく。そして、仲間に支えられていた身体も補助なしで動かせるようになった。


「ありがとう! 助かった!」


 すっかり元気になった冒険者がこちらの手を握ろうとする──が、身体リアが反射的にそれを拒否した。


「あっ、すんません……」

「ああ、こちらこそ無神経だった。そういえば、『あの話』聞いたよ。大変だったな」


 よかった。失礼に対しても、怒らない。理解のある人だった。


 そして、リアが裏にいる時でも、流石に接触を伴うと影響があるみたいだ。


「礼はギルドを通した方がいいな。また依頼が終わった後で。……では、俺たちは担当の区域へ戻ることにするよ」


 そう言って、彼は持ち場に戻っていった。


 いくら回復したとはいえ、怪我を負ってそれでもまだ働くのか。


「回復魔法分の金を稼がなきゃならんからな」


 顔に出ていたのか、カイドさんが代わりに答えた。


「え、お金をとるつもりは……」

「回復魔法をかけてもらったら金を払うのは常識だぞ」

「そうなんすか。それは余計なことしたかなぁ……」

「いや、向こうも望んでたんだから問題は無いだろう。ただ、アイツらがあのまま脱落していたら、その分お前の活躍の場が増えたかもしれないんだぞ?」

「えっ……?」


 考えもしなかった。それは他人を蹴落とすような所業だと思わざるを得ない。冒険者ってそこまで殺伐としたものなのか。


 カイドさんはこの依頼中、妙に対応が冷たく感じる。例えば、リアが襲われた後、慰めようともしてくれなかったり。そもそも、襲われそうになっているところをギリギリまで放置していたり。今までの人のいい兄ちゃん感はあまり感じられない。


 思うに、これは別に嫌われたとか、嫌がらせだとか、そういう子供じみたことが原因でないのだ。きっと彼はこの人情の無い冒険者の世界で強く生きられるように、あえて厳しく接してきている。まるで我が子を深い谷底に落とす獅子の如く。


 その結果、リアの心に浅からぬ傷跡を残してしまったことを俺は一体どう思うべきなのだろうか。

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