第32話 クラナの気持ち、リアの思い

 里長への相談が実を結び、俺たちは2年後に里を出る事となった。


 早速明日から様々な課題に向けて、訓練が始まる。


 その予習として、里長から外の世界の現状について軽く教わった。俺たちは寝床で目を閉じながら、その事を振り返っていた。


(私が捕まって露店で売られたのがガイリン、連れて行かれる予定だったのがアーガスト……他にも、ネイブルにパレッタ──うーん、皆純人の国なのに何で別の国に別れてるんだろう)

(それはまあそういうものだとしか……)

(亜人の国もひとつくらいあればいいのにね)

(まあ、それはそうだけど、もし亜人の国があったら周りの国から一斉に狙われるだろ?)


 今この里のあるソフマ山脈が位置する大陸には大小様々な国があり、沢山の人が住んでいる。が、残念ながら亜人が治める国はこの大陸には存在しない。


 さらに言えば、多々ある国家の中で純人以外のいわゆる亜人種を人間として認めている国家はそうだ。


 人間として認められないということがどういうことか、それはひとつの心ある生命体として見られないということだ。だから国の法律も、道徳も適用されない。


 リアの家族が奴隷にされている云々と話していたが、実際の扱いは奴隷ですらないという。というのも、奴隷は奴隷でちゃんとした身分として存在しているからだ。


 ただ微妙に事情が山脈を隔てた南北で異なることもある。それは北側のガイリンでは純人奴隷が認められていて、南側諸国では認められていない事だ。まあ、その辺の違いはあるものの、南北揃って亜人の立場が悪いというのは共通しているのだそう。


(純人どもめ……)

(おいおい、これから慣れていくんだろ?)

(でもムカつくものはムカつくんだもん)

(まあ、俺も気持ちはわかるけどさあ……でも、明日からはその純人に慣れる為の訓練も始まるんだぞ?)

(わかってるよ……はぁ……もう寝よ)


 憂鬱な気分を寝逃げで誤魔化そうと、リアは思考を白に染めていく。しかし、その分敏感になった聴覚が微かな足音を捉えた。


「うん? ねーちゃん?」


 クラナさんがこっちにやってくる。獣人特有の静かな足の運び方でそれがわかった。


「リア、起きてる?」


 あくまで確認だと言わんばかりに、クラナさんは密やかな声で言う。


「起きてるよ」

「お、起きていたか。……えっと、起こしたわけじゃないよな?」

「大丈夫。普通に起きてた。考え事をしてたから」

「そうか、よかった。ちなみに考え事っていうのは、明日からの訓練のことだよな?」

「そうだよ。純人の男と話すなんてこと、もう嫌すぎて色々考えちゃうの」

「はは、そうか……」


 暗い部屋の中、暗視の魔法スキルを通して見たクラナさんの表情には1ミリの笑顔もなかった。


 リアは起き上がり、彼女を寝床の隣に座らせる。


「ねーちゃんこそどうしたの? 夜はすぐ寝ちゃうのに」

「ちょっとな、夕方おばあ様と話していた時のことを謝りたくて」

「謝る?」


 リアはさっと記憶を探るが、彼女に謝られるようなことはされていない。


「あの時私はリアの決心をズタズタに引き裂くようなことを言ってしまった」

「え? ああ……」


 クラナさんが言っているのは恐らく、リアが外へ出ることに対して多々ある問題点を指摘した事だろう。それらは全て核心をつくような指摘だったので、彼女が謝るような事ではない。


「ねーちゃんはただ良くないところを指摘してくれたんでしょ? 謝られるよりむしろこっちがお礼を言うことだよ」

「…………いや、そうじゃないんだ」

「へ?」

「私はあの時、ただ感情に任せてお前に当たってしまった。私があげつらった問題点なんて、お前の才能やおばあ様の策略があればどうとでもなるようなことだったのに……」


 確かに普段のクラナさんならあんな風に人を論破したりすることはないだろう。普段ならああいう時リアの決心を讃えつつも、しっかりと問題点を共有して一緒に考えてくれる。だけど今回そうはならなかった。


 彼女もひとりの人間であり、感情が先行することもあるだろう。そういうことだ。


 そして、その彼女の感情とは……。


「ねーちゃん。それってどういう感情だったか、聞いてもいいのかな?」

「ああ、うん。勿論」


 隣り合って座るクラナさんの尻尾がリアの手に触れる。緊張しているのかな。


 努めて冷静に、表情に出さないように抑え込んでいた内なる思いというものは、彼女の場合、こういうところに現れるんだなと思った。


「その……私は、寂しかったんだ。私たち折角家族になれたのに、それなのに居なくなってしまうんだって思うと、『やだ』って気持ちが溢れて止められなくなった。またエアを失ったあの日みたいに、大切な人が私の手からすり抜けていくような気になった」

「ねーちゃん……」

「でも、それも全部私の勝手な思いだ。そんなものの為に、私はお前の決心に水を差してしまった……本当に……ごめんなさい」


 頭を下げるクラナさんの姿はいつもり小さく見える。


 小さいリアの視点から見て、彼女はいつも大きく見えていた。でも本来、彼女はまだ20歳のまだまだ若い女性だ。誰かに側にいて欲しいと思うことがそんなに勝手な事だろうか。


「ねーちゃんは悪くないよ。私が家族を諦めきれないせいなんだから」

「いや、リアのせいじゃない! 私が悪いんだ!」

「いや私が! ──って、これじゃあ終わらないね……」


 意味のない言葉の応酬にリアは肩をすくめる。


「あの、ねーちゃん。一言言っておくけど、私は里を出ても、いつか絶対にまたここへ戻ってくるんだからね? もう会えなくなるわけじゃないよ」

「本当か?」

「あたりまえ! 外は亜人が住めない場所なんだよ? 戻ってきて家族と一緒にここで暮らすに決まってるでしょ」

「そ、そうか……」


 そんな後の話は俺ともしていなかったけど、まあ現実問題そうなるよなぁ。


「家族と一緒に、か……お前には両親と姉がいるんだよな?」

「うん。お母さんお父さん、それにお姉ちゃんとクラナねーちゃんのダブルお姉ちゃんも一緒で」

「わ、私も? お前の家族と一緒に暮らすのか?」

「当然でしょ。ねーちゃんも家族なんだから。あっ、もちろんばーちゃんもね」

「ふふっ、そうだな。うん、一緒に暮らそう」


 そう言うクラナさんの表情には久しぶりに笑顔が見えた。心なしか尻尾も踊っているようだ。かわいい。


 そして謝りたかったというクラナさんの目的を達し、リアたちはそのまま同じ布団で眠ることになった。隣で横になるクラナさんは湯浴み後ということもあって、とんでもなくいい匂いがした。


「ねーちゃんもうちょっと近くに来て」

「ねーちゃん、尻尾さわっていい?」

「ねーちゃんすき」


 リアはクラナさんの身体に顔を埋めるように抱き着く。柔らかくていい匂いがして、俺は正気を保てるのかが心配だ。俺は泣く泣くリアから伝わってくる余計な情報をカットするようにした。


「リア、明日から早速訓練に入るんだよな?」

「うん。そうだよ」

「そうか……精いっぱい頑張るんだぞ」

「もちろん。ばーちゃんに認めてもらわないといけないからね」

「それもそうだが、外の世界は本当に危ないんだ。本気で訓練に励まないと、いざここを出た時に足元を掬われるぞ」


 それはクラナさんが外の世界を知っているからこその言葉だろう。彼女はさらに言葉を続ける。


「実力もそうだが、考える力も必要だ。外にはこの小さな里では考えられないほど、色んな人間がいるんだ。何を考えているのか分からないような人や、一見優しく思えた人が実は裏ではもの凄く醜い考えを持っていたりな。この世界は綺麗に9つに別れた魔法位とは違い、実に雑多な色に溢れているから。どうかリアも自分の常識だけに捉われないで、いつでも考えることを心がけて欲しい」

「う、うん……」


 早くても出発は2年後だというのにクラナさんの心配は今から止まらないようで、眠る寸前だというのに話が止まらない。


「あと、『ひとりきり』の状況というのは街のように多くの人間の中にいる時、特に効いてくる。だから街でこそ用心を──」

「あ、あの……」

「ん? どうした?」


 リアは止まりそうにないクラナさんの話に割り込む。そして会話の流れをぶった切って、とんでもない事を言い出した。


「実は私さ、ひとりじゃないの」

「え?」

「何ていうのかな……もう一人の自分? みたいな人が中にいるの。ミナトって言うんだけど、いつでも話が出来るんだよ」


 ああ、うん。……って、俺? え、なんで?


 その突然のカミングアウトに目が覚める。


(何言ってんだお前!?)

(ご、ごめん。実はねーちゃんと話している間、ずっと言いたくてウズウズしてたんだ)

(なんでだ!?)


 正直俺という存在はリアの中で、墓まで持っていくレベルの秘密だと思い込んでいたから驚いた。


「……リア、すまない。よくわからない」


 というか今のクラナさんみたいに、話したところで理解しては貰えないだろうよ……。


「あのね、聞いて──」


 にも拘らず、リアはどうにかクラナさんに分かって貰おうと、俺がリアの中に入った日以降のことをつぶさに語り出した。


 あの、エロゲの事とかは言わなくてもいいからな?

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