第22話 この世界の文字を学ぶ

 本格的に里での生活が始まった。朝、決まった時間に起きて、食事を摂り、外へ出かけるというルーチンワーク。


 この里の子供は基本的に朝は家の仕事を手伝い、昼は勉強、午後はその流れで友達と一緒に遊ぶという生活を送っている。勿論親の仕事に左右されるので一概には言えないが、昼に里の中央にある集会所的な場所へ行けば大体の子供には会える。そこで皆に読み書きを教えているんだそうだ。


 リアと同じ14歳はまだ子供として見られているらしく、そこへ通うことになる。だが、クラナさんも知る通り、男がいるところでリアが活動するのは難しい。結果、ひとりだけ隔離した部屋で彼女から勉強を教わることに。


「読み書きって必要なのかな」


 狭い部屋で二人きりになると、リアは率直な質問をクラナさんへ投げかけた。


 まずリアはエルフの里において、大人が木簡のようなものに記録として文字を記してはいたのを見ていたものの、文字に触れる機会は少なかった。だからこそ、この疑問が出てきたのだろう。


 そしてこの隠れ里へ焦点を当ててみても、産業は農業などの体力仕事がメインで、小説などの娯楽があるわけでもない。言葉遣いならまだしも、文字を里の子供全員に教え込むほどの必要性は感じられないと思った。


「いや必ずしも教えておく必要はないな」

「えっ」


 クラナさんから文字の必要性を語られると思っていた俺たちは、その返答に驚いた。


「じゃあどうして、わざわざ必要性のない読み書きを教えているの?」

「それはだな。いつか、里中で何か人に伝えるための手段の別アプローチとして、将来読み書きを使おうとしているからだ」

「将来」

「リアなら知っているかもしれないが、外の世界には文字を連ねた『書物』というものがある。灯さえあれば、いつでも参照ができる知識の塊。里にそれがあれば、子供たちも色んなことを効率よく学べるんじゃないかとおばあ様たちが考えたのだそうだ」


 唯一俺たちが知っているエルフの里での原始的な生活を思うと、確かにそれは進んだ取り組みだと思った。あそこは数少ないエルフがギリギリの生活を楽しむような集落だったからな。


 それに比べてこの里はかなり働き手に余裕があるように思えた。農地に対して大人が多いので子供がある程度自由になる。だから、何かを教える体制が整っているのだ。


「確かにどんどん人が増えていく中、ずっと口伝というわけにもいかないしねぇ」

「そうなんだ。口伝のみに頼ると、いつか知恵や知識は途切れる。それに、文字にすることで伝わるニュアンスもあるからな。まあでも、まだまだ読み書きできる子も少ないから、これからだ。リアも頑張ろう」

「うん。わかった」


 どうやらコンスタントに移民が入ってきているようだし、里の体制もそれに合わせて変化する。今は里長が全権を握って里の運営をしているようだが、いずれ手の回らなくなる日も来るだろう。その為の識字率アップ作戦だ。


 とまあ、色々考えはしたがそこから先は里長達大人の考える事。リアはとりあえず今学べることに向き合うべし。


「ところでリアは今、どれだけ読み書きが出来るんだ?」

「えっと、読むのだけ少しできる」

「ほう、ではこれを読んでくれるか?」


 そういって渡された布きれを見る。ああ、やっぱり紙じゃないんだ。


「なにこれ、ぜんぜんわかんない……」


 布に書かれた文字は2割ほど理解が出来て、1割は読めるが理解できず、その他に関しては読めもしないし理解も出来なかった。


「そうだろうな。これはこの山脈より南の国家群で使われている文字だ」

「はっ!? そんなの読めるわけないじゃん!」


 リアがかろうじて知っている文字はここより北、エルフの里から見て南にあるガイリンという国のものだ。山脈の南なんて存在すら知らない国だぞ。


 ただそれでも理解できる部分があったということは、おそらく北でも南でも基本的な文章の構造は同じなのだろう。


「里ではとある理由で、基本的に南の国家群の文字や言葉遣いを教えるようにしているんだ」

「とある理由って?」

「んーまあ、それはまた機会があれば話す。とりあえず今はこの文字を覚えるんだ、と心の準備をしておいてくれ」

「……わかった」

「よし、ではまず簡単な発音から学んでいこう」


 そんな導入があって、リアは本格的に読み書きや発音などの勉強に入る。


 この世界で話されている言葉は大陸共通語といって、大体どの国でも伝わるらしい。まあ、そう言うクラナさんも実際世界中を渡り歩いてきたわけではないので、聞きかじった情報だろう。


 だが実際に大陸を横断するように鎮座しているという山脈を挟んで南と北では、イントネーションに差があったり、言い回しに異なる事があるが骨の部分は同じらしい。ならば習得にそこまでの苦労はないだろう。


「『川』はこうでしょ?」


 リアは砂箱に覚えたばかりの字を書いて見せる。


「おおっ、そうそう。リアは物覚えがいいな」


 俺はこの世界に来てから妙に記憶力がいい。いや、記憶力がいいどころの話ではなく、一度覚えた事は忘れられないというレベルで物覚えがいいのだ。昔の記憶を鮮明に覚えていることが関係しているのだろうか。


 まあ、それはともかく、そんな記憶力の高さを共有するリアも一度教わった字をそう簡単に忘れたりしない。


「リアはかしこいな」

「うへへ」


 ちょっとしたズルを活用しつつ、リアはクラナさんにお褒めの頭撫でを稼いでいた。こうしてみると、リアの方もかなり彼女に対して心を許しているように思えた。






 昼勉強の時間が終わると、子供たちは青空の下、みんなで集まって食事を摂る。


 里のおばちゃんが大鍋で作ってくれたメニューは豆やら卵の入った野菜スープに主食の蒸した芋が用意されていた。当然かもしれないが、肉はかなりぜいたく品らしい。今まで木の実や肉しか食べていなかったので、どこか物足りない感じ。塩分がかなり抑えめだったこともある。


(いいじゃんあっさりご飯。今までが塩分、脂質を摂り過ぎだったんだよ)


 リアはこの健康的なメニューにご満悦のようだ。


 もうかなりの時間をリアと過ごしていてわかってきたのだが、コイツの好みはあっさりとした淡泊な味。嫌いなのは濃くて脂っこいものだ。


 昆虫や豆類が大好きで、肉の脂身や塩辛いものはあまり好みではない。生前ラーメンばっかり食っていた俺とは正反対の好みであった。身体はリアのものだから俺もそこは尊重したい。……が、やはり昆虫だったりは勘弁したい。幸いこの里では虫を積極的に食べることはないらしい。よかった。


「クラナさまーどうしてそんなに離れたところでご飯食べてるのー?」


 クラナさんと並んでランチ中、小さな女の子の声が聞こえてきた。


「っと! それ以上は近寄っちゃダメだ!」

「えっ……」


 女の子はクラナさんによって制された。


 どうしたんだと思ってリアは女の子の方を見る。すると、彼女の取った行動の理由がはたと理解できた。その子は純人の女の子だったのだ。


「クラナねーちゃん、私の為にしてくれた手前言いづらいんだけど……もうちょっと言い方を優しくしてあげた方がいいかも」

「えっ、あっ!」


 女の子は目に涙を溜めて今にも泣きだしそうだ。


 普段のクラナさんがあんなに声を張り上げることは恐らくないだろう。女の子の驚いた顔は凄かった。


「うえぇぇぁぁぁ!!」

「ほわっ!」


 堤の決壊した女の子は、何を思ったのかリアの胸目掛けてトテトテ走ってきた。


 リアは咄嗟に食器を避けて女の子を受け止める。


「ああっ! すまないウヨゥ! ってリアは大丈夫なのか!?」

「う、うん……大丈夫」


 平らな胸に額を押し付けるウヨゥとかいう女の子に、リアは固まったまま何もできない。


 ただこれは相手が純人であることに怒りを抑えているとかそういう事ではなく、単純に自分より小さい子供の相手をしたことがないという戸惑いだ。


「リ、リア! ウヨゥは純人だが、まだ8歳だ! 決してお前に危害を加えたりはしないぞ!」

「だから大丈夫だって、落ち着きなよ」


 リアはクラナさんを安心させようと、女の子の頭を撫でて見せた。


 流石のリアも相手が純人とはいえ、こんなに小さい女の子に敵意を抱いたりしない。


 そんな様子を見てクラナさんはほっと胸を撫でおろした。

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