第9話 人間との遭遇、そして……

「ピエェェツ!?」


 間抜けな鳴き声をあげながら、鹿は吹っ飛んでいった。


 これで本日何度目だろうか。襲ってきたを撃退したのは。


(魔獣とのエンカウント率が明らかに上がってるな)

(今日だけで、鹿2体、猪3体、猿1体。これは確実に近くに人間の集落があるね)


 しばらくの間、慎重に山を散策していたが、西へ向かうごとに生き物から襲われる数が増えていった。それらは全て魔獣であった。


 吹っ飛んでいった鹿のもとへ駆け寄る。風魔法を受けて、前足があらぬ方向へと曲がっていた。


 起き上がらないことをいいことに、鋭い石を使い首を何度も切り付ける。


 ガンガン、と打ち付け続けてようやく鹿は死んだ。こうやって確実にとどめを刺さないと、いつの間にか負傷が治っていて、また懲りもせず襲ってくる。ゾンビみたいだが、それが魔獣だ。


 通常種であれば百日紅さるすべりのような質感の角。だがコイツのそれは赤い宝石のように輝いている。


(うわっ、≪紅≫だよこれ。そりゃあ動きが速いはずだ)


 魔石の色は人間の瞳と同じく、色によって魔力の質や絶対量を表している。この赤い魔石は橙の次に格の高い魔石だ。俺も初めてみた。


「よいっ……しょっと」


 バキン、と鹿から魔石を切り取る。これは集落に行った際、交換物資として使えるかもしれない。一方で肉を取ることはもう止めた。まだ在庫が残っているし、捌いている時間もない。向こうから襲ってきたんだ、命を無駄に……とかそういうのは無し。とりあえず手だけ合わせておく。


(魔力は……まだ余裕あるか)


 こう何度も魔獣に襲われていると魔力の心配をする必要が出てくる。リアの魔力は元がカスだった分、今やとてつもなく膨大であるように感じてしまうのだが、有限であることに変わりはない。今後どれだけの敵が現れるか分からない以上、訓練も兼ねて魔力消費の多い爆発とウォーターカッターはなるべく使用しないことにしていた。


 その代わりに開発したのが、『バースト』の魔法である。パンパンに張り詰めたタイヤが破裂するみたいに、空気をギュウギュウに圧縮してから一気に解き放つ。食らえば人1人程度なら余裕で瀕死に持っていける威力だ。爆発魔法みたいに見た目の派手さは一切ないが、比較的魔力消費が低いので使い勝手がいい。後はどれだけ的確にこの魔法を急所にぶち当てられるかどうかだ。


 仕留めた鹿の魔獣、通常種に比べて格段に耐久力の上がったその前足がこの通りボッキリ逝っちゃっている。急所をつけていたら、一撃で仕留められただろう。もっと練習が必要だな。


 エルフといえば風魔法……というのはこの世界では特に決まってはいないが、なんとなく相性がいい気がした。


(よっしゃー、次は顔面にぶちこんでやるぜ)

(おー頑張れー)

(たまにはリアも戦ってもいいんだぞ?)

(遠慮しときます。今必殺技開発してるんで)


 相変わらずリアは自分で動きたがらない。とはいえ身体の感覚を共有している以上、俺が動けばリアも勿論疲れる。身体で覚えた事も当然二人の経験となる。だから、まあそれでもいいかと思うようになった。それにリアが身体動かしてたら、俺は本格的にやることがないし。


 一方、俺が動かしている裏でリアはシコシコ魔法の開発を進めている。時に俺の記憶から卸した知識を咀嚼しながら、外からの刺激も同時に飲み込む。どんなマルチタスクだ。今更ながらコイツは天才だと思う。この世界の人間はリアしか知らないけどな。






(おおっ、あっちに湖があるぞ)


 ここら一帯で一番背の高い木に登って辺りを見渡す。何時もは延々と続く森の頭しか見えていなかった。しかし今度はここより少しだけ下った所にデカい水たまりが見えるではないか。


 水辺には文明があるという元の世界での定説は、きっとエロゲの舞台らしきこの世界でも当てはまるだろう。俺たちは慎重を期して湖周辺の散策を行うことにした。


 そして、大体三時間ほどが経った。斥候の如く木の陰から陰をコソコソ移動して、ようやく湖畔までたどり着いた。


 木の上で見た時から分かってはいたが、この湖はそれほど大きいわけでもなかった。


 山湖らしく周りを急斜面に囲まれた谷地の湖で、平坦な岸は今俺たちがいる側にしか存在しない。だからこそ人が住むとしたらそこが怪しいと思って、ここまで来たのだ。そしたらまさにビンゴ。湖の畔には木造の小屋が一件建っていた。


(建物はこれだけかー。集落ではなかったな)

(ふむ、じゃあこの小屋はなんなんだろう?)

(湖で漁をする為の拠点とか? それとも一人ポツンとここに住んでたりしてな)


 しかし小屋とはいっても、だだの物置には見えない。窓らしき木枠があるし、何なら側に炊事場もあった。小屋の横には丸太が積んであり、周辺はある程度開拓されているようだ。


 どうしよう。一度コンタクトを取ってみるのもアリか?


(どうする? ノックしてみるか?)

(ばかばか。もし、エルフだって理由で捕まえてきたらどうするの?)

(そんなこと言ってたら、どの人里にも混ざれないぞ)

(……そもそもエナルプ共に混ざって生きる必要あるのかな。今でも私たち上手くやれてるよね?)

(今更そういうこと言う。上手くいってるどころか、生活ギリギリじゃんか)


 服はボロっちいのが一着しかなく、食事も偏りがち。本格的な病気になったら、誰にも見てもらえない。俺にサバイバル知識があるならともかく、こんな生活はまだまだ子供を脱していないリアの身体を考えると一刻も早く終わらせるべきだ。


(うぅ……でもぉ……)


 だが、リアは対人恐怖症になっている節がある。まあそうなって当然の境遇であり、これがゆとりのある日本社会であれば、進んで心を休める時間を取らせてもらえるのだが、残念ながらこの世界はそんなに優しくない。生きるためには求め続けないといけないのだ。


 ちょっと可哀想だが、ここは大人としてリアを無理やりにでも動かしてやらないと。


 小屋のドアに近寄り、右手を掲げる。


(ちょ!)

(まあまあ、もし襲ってきたら前みたいに逃げればいいじゃん。あれから使える魔法も増えたし余裕だろ)

(……わかった。任せるからね)


 渋々了承を得たところで、コンコンと手の甲でドアを叩いた。


 一拍置いて、中からゴソゴソ音が聞こえてきた。しばらくすると扉が開け放たれ、出てきたのは皮鎧を身に纏った中年くらいの大柄な男性だった。でけぇ、熊みたいだ。


「……あん? なんだお前」


 そして開口一番ドスの効いた声と共に睨まれる。この時点で「あ、これダメかも」と思ってしまった。


「こ、こんにちは。ヴィアーリアと申します。私、えっと……」

「はあ? なんでお前みたいなガキがこんな山奥に──」


 男は相変わらず訝しげにこちらを見てくる。


「って、お前エルフか?」


 とまあ、そんなにじっくり見られたら分かるわなと。


 男のどんどん深くなっていく眉間のシワを見て、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


「そ、そうですエルフです。それで、もしよろしければ、塩などを分けていただけないかなぁ……と。こっちは鹿肉とか魔石があるので交換で」


 あ、ダメだ。自分でもどんどん声が小さくなっているのがわかる。リアにあれこれ言っといて情けない。


 でも仕方ないだろ。このおっさんこえーんだもん!!


 こちらがエルフだとわかって、更に相手の敵愾心が増していってる気がする。


 男の次の反応次第で、次の俺の取る行動も大きく変わってくる。一応、魔法がいつでも打てるようにしておく。


「お前飼い主は? 魔封じは……してない、野良か?」


 そして、この反応だ。「飼い主」に「野良」か……。この男が属するコミュニティでのエルフの扱いがはっきりわかる。


(……逃げるか)

(そうだね、間違いなく捕まえてくるだろうし)


 どうやって逃げるか思案する。ある瞬間、ふと男と目があった。それから、突然男の表情が驚愕に染まり──


 パァン!!


 破裂音が湖畔に木霊した。俺の目の前には顔のない男の遺体が横たわっていた。


 誰がやった? あ、俺か。そっか、俺がやったんだ。


 その有様を数秒目に焼き付けて、俺は力なく、ぺたりと地面に腰をつけた。


「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」


 浅い呼吸を繰り返す。


 これは正当防衛だ。あの瞬間、アイツは腰に下げていた剣を抜こうとした。こっちを殺そうとしたんだ。だからられる前に、った。


(ミナト、大丈夫?)

(……すまんな、偉そうに交流促しておきながら、結局殺しちまった)

(ミナトが無理だって判断したんでしょ。文句なんてあるはずないよ)


 あのゴンゾとかいう護衛と違って、今度は俺自身の意志で人間を殺した。罪悪感は思ったよりも薄く、ただ心臓の鼓動が早い。それだけ。人を殺したってのに、思ったよりも俺は正常でいられた。


「……しょっと」


 身体が勝手に起き上がる。操縦権がリアに移ったらしい。


(変わるよ)

(悪い、助かる)


 心臓の鼓動の音がどんどん小さくなっていくのがわかる。子供のリアの方がよっぽど冷静だ。


 俺ももう身体の制御から離れたんだ。リアを導けるようにしっかりしよう。


(折角だから、家のもの色々パクっていこうよ)

(お、おう……)


 しかし、リア。お前はちょっと逞しすぎるぞ。

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