雨は上がる 後編

 その日の夜、また雨が降り始めた。リンはまた社に向かい、佐々木は自室で今朝、リンに言われた言葉の意味を考えていた。

「研究を辞めろ、か……。どうしてリンちゃんはあんなことを……?」

すると佐々木の部屋の戸が開き、男たちの一人が顔を出した。

「おい、お前さん。昨日は悪かったな、今夜も一緒にどうだい?」

「いや、僕は……」

そう言ったところで佐々木は考えた。

『今朝の様子じゃ、リンちゃんにハレノギのことは聞けそうにない。ならこの人たちに聞くしかなさそうだ。それにどうも様子がおかしい。ハレノギはいったいどんな儀式なんだ?』

佐々木は酒に付き合う代わりにハレノギのことを教えてもらえるよう頼んだ。

「おう、そんなことかい。ええぞ」

男はあっさりと承諾し、自分と佐々木のコップに酒を注ぎ始めた。

「さっそくなんですが……」

佐々木は一杯目に口をつけ、恐る恐る男に尋ねた。

「ああ。お前さん、この村に最初来たとき、どう感じた?」

男は佐々木に言った。

「雨が降っていてじめじめした村だな、そんなとこだろ?」

「いえ、まぁ確かに……。ただ皆さん、傘もささずにすごいな、とも」

「へ、皆やせ我慢してるのさ。現にハレノギで晴れたら大喜びだろ?」

男はすでに三杯目を飲んでいた。

「なるほど……。ですがそれほど雨が多いのに、ハレノギをすれば晴れるのですね」

「そんなことはないさ。ハレノギですぐに晴れることなんてまずねぇ。昨日のはだいぶ珍しいんだ。浅原のやつも喜んでたろ?」

佐々木はハレノギについて具体的な話が出てこないことにだんだんとじれったくなってきた。

「で、ではハレノギはいったい何を……?」

「簡単なことだ、晴れるまでハレノミコが社で祈り続けるんだよ。雨乞いって知ってるか? 雨が降るまで祈り続ける、それと同じだ」

それを聞いて佐々木は男に尋ねた。

「あの、晴れるまで祈り続けるっておっしゃいましたよね? あの社、確かにリンちゃんは小柄ですけど入って祈る場所なんて無いと思うのですが?」

それを聞いた男は目を丸くして笑った。

「何を言ってるんだね、社の外に決まってるじゃないか。中は雨神様の像があるしな」

男は平気な顔をして言った。確かにこの村の住人は皆、雨を気にしていないように振る舞う。しかしそうだとしても佐々木には信じられなかった。

「雨が降る中……、晴れるまで……、外で……?」

佐々木は男の言葉を一つ一つ繰り返した。

「なんだ、もう酔っちまったのか?」

その様子を見た男は佐々木に水を飲ませた。佐々木は水を受け取り素早く飲み込む。

「体、壊さないんですか? いくら雨に慣れているとはいえ……」

「心配すんな、もし倒れたらそれはハレノミコとしての役目を終えたのさ。今までご苦労様ってな。何人かそんなやつ見てきたけど、日頃の鍛え方が足んねぇんだ」

「そ、そういう問題では……」

佐々木の言葉を遮って、男は話を続けた。

「まったく、今どきの都会の野郎は軟弱だなぁ。昨日の酒もそうだ。リンのやつはもっと飲めるぞ」

佐々木は男の言葉に思わず持っていたコップを落としかけた。

「え、リンちゃんっていくつ……ですか?」

「今年で……いくつだっけか? お前さんよりは若いはずだが、1……15だったか?」

「そんな……、その年の子に酒を飲ませるなんて駄目ですよ!」

男はそれを聞いて静かに笑った。

「雨神様への感謝の宴なんだから良いだろ? それよりお前さん、女はおるか?」

「はい? い、いえ居ませんけど……」

佐々木は間の抜けた声を出してしまった。それを聞いた男は嬉しそうにして佐々木の肩を叩いた。

「ならちょうどええ。今度の夜、リンとやってくれ。わしらとじゃあいい加減飽きたろうし、若いもんの方がええじゃろ?」

佐々木はそれを聞いて固まった。リンとやってくれ? いや、わしらとは飽きた……? 佐々木が何も言わないので男は不思議に思ったようだった。

「何を怖い顔しとるんだ?」

「それ、本当に言ってます……?」

佐々木は精一杯の声を絞り出した。

「心配するな。破瓜は村の若いもんで済ませとる。お前さんは……」

「そういう話じゃありません!」

佐々木は声を荒らげ、コップを勢いよく置いた。男は突然の佐々木の行動に怯んで口からコップを離した。

「最初からそうです……。この村では……ハレノギはそんなことを平気でしているんですか?」

男は黙って佐々木から目を反らしていたが、しばらくして口を開いた。

「……はぁ、やっぱり余所者はいかんな。いつもいつも外の決まりを押し付けやがる。前に戻ってきたやつもそうだった……」

佐々木は立ち上がり、荷物をまとめた。

「失礼します!」

そして佐々木は、男が言い終わらない内に宿舎の外へ走った。

 宿舎の外は大雨が降っていた。佐々木は社に向かって傘もささずに飛び出した。

「リンちゃん、リンちゃん……」

その時、小さな鈴の音が聞こえた。佐々木が振り向くとそこにはリンがあのときと同じ白い装束を着て立っていた。

「リンちゃん……、ごめん。ハレノギのこと、聞いてしまった」

リンは静かに頷いた。

「ええ、村の外の人にとっては信じられない話だと思います」

「リンちゃんは、それで良いの? こんな儀式に……」

リンはまた、頷いた。そして首にかけていた鈴を見て言った。

「私は昔、この村に好きな人が居ました。その人は私がハレノミコになって初めて、ハレノギを成功させたとき、この金色の鈴をくださりました」

リンは鈴を小さく揺らした。

「ですが、あの人は村を一度出ていかれました。お金を稼いで、裕福になって私を迎えにくる。そうおっしゃいました」

しかし、リンは悲しげな顔をして空を見上げた。

「ですが、あの人は帰って来たとき、村の人たちと激しく言い争いをしました。ハレノギなんておかしい、この村は狂っている……、そう言って私を村の外へ連れ出そうとしました」

佐々木は男の話を思い出した。

「ですが、ハレノギを邪魔した者や、ハレノミコの任を放棄した者は死罪。首を斬られます。私はまだ幼かったために免れましたが、あの人はその日の内に殺されました。それはたとえ村の外の人間であったとしても同じです」

リンは静かに佐々木を見つめた。

「早くこの村から逃げてください。今ならまだ間に合います」

「え、でもリンちゃんは……? そうだ、リンちゃんも……」

リンは首を横に振った。

「これだけ酒を飲んだり行為をしてきたんです。私はきっともう、長くありません。だから……、貴方について行っても仕方ありません」

「そんな、でもここにいればハレノミコとしての……」

「ええ。ですがその心配もありません。私はハレノミコを辞めるつもりです」

リンは静かに微笑んだ。

「でもハレノミコを辞めると死罪、だとすると……」

「そうですね。私は死罪です」

リンはあっけらかんと言いはなった。

「私には子も居ませんし、ハレノミコ候補の娘もこの村にはもう居ません。私が死んでハレノギが無くなるならそれで良いのです」

それから佐々木はリンに考え直すよう説得した。しかしリンは何を言われても変わらなかった。

「そんな……。駄目だよ……。君みたいな子が死んじゃうなんて……」

佐々木はいつの間にかぼろぼろと涙を流していた。

「まったく……。貴方が泣く必要なんて無いんですよ?」

リンは背伸びをして佐々木の目元を拭った。

「ありがとう……、リンちゃん」

「ハレノミコとして、私にできることはこれくらいですから」

リンはまた、空を見上げて言った。

「さ、そろそろ村の人たちがこっちにも来ますよ」

リンに急かされ、佐々木はその場を立ち去った。それから村の住人たちは総出で村中を捜索したが、大雨で道の泥はきれいさっぱり流されていたため、佐々木の足取りは村の誰にも知られることはなかった。

 数日後、佐々木は東京へと戻ることに成功した。この一件に関して、佐々木は悩んだ末に詳細な研究レポートを書き上げて提出したが、いつの間にかその原稿は学内から消えており、知られることはなかったという。


 これは私がまだ学生だった頃、フィールドワークでとある県の村を訪れた頃の話だ。いやはや、何とも後味の悪い話だが、当時はまだこのような風習もそこら中に残っていたものだよ。何? この村が今どうなっているかだって? 随分前に大雨による洪水で跡形もなく流されたよ。

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雨は上がる 雪野スオミ @Northern_suomi

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