ふ
砕けた鏡は跡形もない。あと五人……には人数が少々多い。実際に残っているのは、四十四人目も含めると二十二人。クラスの半分、だ。
そんな反面、まだ半分残っていたのか、という思考もよぎる。一人一人の死に様が鮮烈すぎて、頭の許容を大きく上回っている。
「さて、ミキサーはもういいかな」
四十四人目が言うと、ミキサーはぱぁんと砕ける。しかし、何かおかしい。今までのものは砂のように散っていたが今回のは……何か、大きな音がする。ぶぅんという羽音。ただ、羽虫というには音が大きい。黒い塊。時折黄色も見え……
「……蜂っ」
塞がいち早く気づき、息を飲む。ぞっと鳥肌が立ち、体が硬直したように動けなくなる。焦りのあまりのことであったが、動かず、刺激を与えないのは、蜂への対処法の一つだ。
けれど、そんなことは知らない者たちは逃げ道を探し、ばたばたと動き回る。その中の一人、門間に向けて蜂たちは矛先を向けた。
「い、いやだあああああっ、来るなぁぁああああああっ」
そんな絶叫が、蜂に届くわけもなく、蜂は門間に貼りつく。振り払おうとぶんぶんと門間は腕を振るうが、むしろその行動は蜂を刺激し、ますます誘き寄せる。
やがて蜂の群に身体中取りつかれた門間は動かなくなる。時折啜り泣く声がするが、鼻を啜るたびに噎せていた。羽虫に殺された佐々木と同じ──蜂が口の中にまで入り込んでいるのだ。
おぞましい光景。やがて門間は抵抗しなくなる。ぱたりと腕が落ちた。
すると蜂はすぐ門間から離れる。彼らが人を襲う目的は補食ではなく、自己防衛。故に抵抗力をなくした門間を脅威と見なさなくなったのだろう。何十匹か蜂が死んでいて、門間の肌は腫れて爛れて、痛々しくなっている。蜂に刺されすぎたのだろう。息をしている様子はなかった。口の中から数匹蜂が出てくるのは、男子でさえ吐き気を催す絵面だった。
蜂は今度こそ砂のように消えていく。ほっと息を吐いたのも束の間、今度はぎゃあっと別の悲鳴が上がる。
ふと見ると門間を刺して力尽きた蜂たちの姿がない。まあ消えたのだろうと思ったのだが……
「痛いっ痛いぃぃぃっ」
声の方を見ると、二匹の黒猫に身体中を引っ掻かれている窪がいた。爪痕が痛々しい。傷口から血が流れる。
すると意外なことに、四十四人目が、その黒猫たちを後ろから撫でて、攻撃をやめさせた。
「こらこら、その辺にしてあげなよ。可哀想じゃないか」
まさかの行動である。「復讐」を唱えていた四十四人目が、クラスでは傍観者の位置にいる窪を庇うのか。
しかも黒猫は存外あっさり四十四人目の言葉に従い、窪への攻撃をやめる。撫でられるのが心地よいのか、四十四人目の手へすり寄っていた。随分と和やかな光景だ。
「大丈夫かい? 窪くん」
「え? うん」
あまりの出来事に、窪はきょとんとして頷く。まさか自分がこの状況下で誰かに心配されるとは思っていなかったのだろう。しかも、四十四人目に。
──だが、現実はそんなに優しくはなかった。
「いやいや、大丈夫じゃないでしょ。ほら、腕をよく見てごらんよ」
「へ? ……いあっ!?」
窪の腕を見ると、腕は血の気がない──どころではなく、紫色に変色して、医療用語で言うところの壊死──細胞が死んでいる状態──になっていた。
しかも壊死状態はみるみる腕から競り上がり、窪はどんどん動けなくなっていく。
首に達すれば、声が出なくなり、窪は顔を絶望に染める。直後、顔はもっとわかりやすい絶望の色──黒紫に染まる。
ぱたりと窪は後ろ向きに倒れた。よく見れば、足先まで黒紫だ。
「あーあ、死んじゃった」
四十四人目が無邪気に言う。猫を撫でるその姿は人畜無害そのものだが、誰もが冷や汗を流していた。
次に餌食になるのは誰か。
そんなことが、脳裏によぎり、緊迫感が高まる。沈黙ばかりが場を支配し、誰も、許されていないように身動ぎ一つしない。
ぴろりろりん
そんな中、相も変わらず緊張を打ち砕く着信音が鳴った。けれど、これすら恐怖の予告に思えてならない。
「だ、誰のだよ……」
葉松がようやく口を開く。皆がこくりと固唾を飲む中、一人そろそろと手を挙げた。
「わた、し……」
普段の沈着さはどこへやら。すっかり怯えきった表情の日比谷が手を震えさせていた。開きたくないのであろう。携帯端末は握っていない。
が。
『マスター』
そこに、電子で組み立てられた音声が聞こえた。少女の声。懇願するように、マスター、マスター、と呼ぶ。
四十四人目が、不思議そうに日比谷を見つめた。
「取ってあげなよ。可哀想じゃない」
「でも」
なんとなく、末路の見えている日比谷は怯えて動かない。
すると不意に、マスター、と呼ぶ声が止んだ。代わりに聞こえたのは、
『ワタシなんて、いらないんですね……』
悲しげな、少女の声。思わず肩入れしてしまうような、同情を誘う声。
日比谷は引っ掛からないぞ、とばかりに強く目を閉じるが。
「紗綾ちゃん、可哀想です!」
「そうですよ、取ってあげてください!」
少女の声音に引っ掛かった霜城と日隈が、日比谷に懇願する。日比谷は二人がかりの懇願に戸惑い、きょろきょろとする。視線の先にいた妹尾姉妹も、じっと何かを求めるように日比谷を見つめるばかり。宵澤も鋭い視線を浴びせている。
「ああもうっ! わかったわよ!!」
諦めたように叫び、日比谷は携帯端末を取り出す。そこには黒髪黒目の大和撫子を体現したような容姿の少女が映っていた。
『マスター、よかった、見てくれた。
はじめまして。ワタシはボーカロイドSAKUYA』
SAKUYA……聞き覚えのある名前だ。そう、確か、日比谷の話に出てきたボーカロイドソフトの名前。
『マスターになりに来ました』
「ひっ」
入れ替わり話にすぐ思い至ったのだろう。携帯端末を投げ出す。液晶画面が無惨に割れる。
「あっ……ひどい……」
日隈がすぐ日比谷に軽蔑の目を向けるが、すぐ異変に気づく。
日比谷は薄く笑っていたのだ。
「ああ、マスターったらひどいです。せっかくお話しできたのに、端末を投げたら死んじゃうじゃないですか。
……まあ、今はワタシがマスターで、マスターがワタシですが」
そう、不穏に紡ぎ、割れた液晶画面の破片を手に取る。
「マスターが死んでしまい、ワタシはとても悲しいです」
尖った破片を彼女──ボーカロイドSAKUYAだった少女は喉に宛がう。
「ですので、後を追わせていただきます」
赤い花びらが、飛び散った。
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