ゐ
四十四人目の哄笑が響いても、脅威がまだ消え去ったわけではない。
巨大カマキリ。
摂津を解体し、悠然と佇むカマキリ。カマの先からぽたりぽたりと赤いものが滴る、禍々しい姿。また、誰かを襲うんじゃないだろうか。そんな不安が残っている児童たちの心を支配する。
が、予想外に、カマキリはそれ以上誰も襲うことはなく、動かなくなった。ただ、尻のあたりから、やはり通常より大きな卵を二つ生み出し、それからさらさらと砂のように消えた。
不気味な薄茶色の卵だけが二つ、場に残される。その二つは早くも胎動し始めていた。先程のようにまたカマキリが生まれてくるのだろうか。けれど近づくことも、逃げることもできない彼らは、待つしかなかった。
やがて、一際大きく脈打つと卵は──消えた。跡形も何もない。
どこに行ったのだろう、と疑問を抱いていると、不意に、プルルルルルル、と甲高い着信音が鳴った。
「うわぁっ」
震えていたのは沼田の携帯電話だった。沼田が音と震動に驚いたらしく、あたふたと手に取る。顔は青ざめていた。おかしい。先程まで携帯は圏外だったはずだ。それなのに電話がかかってくるのはおかしい。
沼田は恐る恐る、画面を見、更に顔色を悪くする。傍らでその様子を見ていた七篠が怪訝そうな目を向ける。
「誰からよ?」
沼田は凍りついたまま、ギクシャクと七篠に画面を見せる。今度は見せられた七篠の顔が青ざめる。
「め、メリーさん……?」
非通知ならともかく、登録もしていない相手の、しかも都市伝説の名前が表示されるのか、この状況下で。
切ってしまおう、と電源ボタンを押すも、逆に繋がり、音声が流れてくる。
『私、メリーさん』
お馴染みの台詞。自分たちと同年代の少女の声。沼田はひぇ、と悲鳴を上げて、必死に電源ボタンを連打する。しかし、それに逆らい、少女の声は続く。
『私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの』
「ひぁっ!?」
沼田は悲鳴を上げ、恐々と後ろを振り向く。
振り向いた先には、金髪碧眼の少女。フランス人形のような可愛らしい少女が、その容姿に見合わぬ禍々しい首刈り鎌を携えて佇んでいた。
「あ、こっち向いてくれた」
無邪気に笑う。
「後ろ向いてたら切り飛ばそうと思ってた」
笑顔で物騒なことを言う。さすが、死神のメリーさん。思わず沼田は後ろにじり、と下がる。
「じゃあ、ご褒美」
と、メリーさんは、刃を沼田に突き立てた。胸にずぷりと刃が少しずつ刺さっていく。
「一思いには殺してあげないね」
そう、笑顔で。
ずぷり、ずぷりと微かに動きながら刺していく。苦しみに沼田の顔が歪む。最初、唾をだらだらと吐きこぼしていたのが、次第に黄色いものが混じっていく。
女子がその光景にうっと目を逸らした。そのとき、
「きゃああああああああああっ!?」
一つ悲鳴が上がった。見れば、知花のものだった。知花の上にちょこんと市松人形が座っていた。
黒い切り揃えられた髪、光のない目、赤に金の豪奢な模様の入れられた着物のそれは、絵に描いたような市松人形だった。あの、髪が伸びると噂の。
薄暗がりでは不気味にしか見えないその人形は、ごく自然であるかのように知花の上に座っていたのである。
メリーさんと言い、市松人形と言い、いつの間に……とよく見ると、二つの怪異の傍らに薄茶色の何かがあるのが見えた。まさか、あの卵から出てきたというのだろうか。
そんな思考の暇も長くはなく、ぐきききききき、と奇妙な音を立てて市松人形が知花を見上げる。
『あ そ ぼ』
小さくか細い、幼い女の子の声がした。まるで、市松人形が喋ったかのように。知花は震え上がり、嫌々と首を横に振って震える。
しかし、市松人形がそんなことを気にするわけもなく、続ける。
『あ そ ぼ。あ そ ぼ。あ そ ぼ。あ そ ぼ。あ そ ぼ。あ そ ぼ。あ そ ぼ。あ そ ぼ』
そればかりを唱え続ける。知花は気が狂ったように泣き叫び、叫び、叫び、叫び……やがて、笑った。
「いいよ、わかった。遊ぶ、遊ぶから、ね?」
目尻に涙を滲ませて要求を飲んでしまう。しかしそれを止めようと、小鳥遊が人形を引き離そうとする。
「駄目だよ知花っ、自分で調べたんでしょっ?」
そう、百物語で知花が話した怪談。市松人形と遊ぶのはいい。ただし、場所は「あの世で」になる。
そのためだろうか、市松人形にはその華奢な造りには不釣り合いな鉈を片手に携えている。
「知花、知花! くっ、人形め、離れろっ」
小鳥遊は知花から市松人形を引き剥がそうとし、不意に、ぶん、と空気が揺れる。
「へぁっ?」
小鳥遊が状況が読めないまま、後ろによたつく。ぼたりと何かが落ちる音。小鳥遊が何かが口元に垂れてきたのを感じ、ぺろりと舐め、ひっと悲鳴を上げ尻餅をつく。
「血……鼻が、鼻があぁああぁぁぁあああ」
『せっかくおねえちゃんがあそんでくれるっていうのに、めっなこというから』
一文字に結ばれた口から語られるものは、無邪気な言葉だった。
『てるてる坊主にしちゃうよ』
「……ひぇっ?」
意味が飲み込めず、小鳥遊がじりじりと後退る。
市松人形は歌うように語った。
『てるてる坊主におはなはいらない』
自然、みんなの目が切り落とされた鼻に向く。
尚も、市松人形は歌い、鉈を軽々と持ち上げ、舞う。
『てるてる坊主におててもいらない』
するとぼたりと『ナニカ』が落ちる。それは、小鳥遊の腕だった。
「きゃあっ」
三森が悲鳴を上げるが、それに関係なく、人形は舞い続ける。
『てるてる坊主はあんよもいらない』
ずてっと小鳥遊びの体が落ち、残った足がすてんと倒れた。血の臭いが部屋に充満する。
「あがっ、げほっ」
足を失い、腕を失い、それでもかろうじて生きているらしい。光の灯らない瞳で見上げる。
市松人形はとてとてと歩み寄り、『あ、忘れてた』と緊張感のない声で付け加える。
『てるてる坊主におみみもいらない』
器用に倒れた小鳥遊から耳のみを削ぐ。
『さぁさそしたらくびたくくろう』
颯爽と市松人形は落ちていた佐伯の髪を一束取り、宣言通り小鳥遊の首を括った。
口から、ごぽりと血やそれ以外のあらゆる液体が飛び出て、腐臭が漂う。
「う、えぇ」
呻く嗣浩。その傍らで、譲二が腕の襲来を受けていた。摂津の腕二本に加え、小鳥遊の腕二本も追い回している。
「なんだよ、これ! 一体何なんだ!?」
譲二の叫びに答えるように、ぼうっと部屋の中央で懐中電灯が灯った。
「言ったでしょ? これは復讐だよ?」
四十四人目はそう言って嘲笑う。
そこに塞が疑問を投じる。
「
「薄々気づいているでしょう? 塞くん」
四十四人目は塞にへらりと笑ってみせた。
「世の中の誰もまだ認めてくれないけれど、傍観者だって、立派ないじめっ子だ。僕がそれを断罪するのは当たり前なのさ」
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