ぼう、と懐中電灯に照らされた顔だけが、暗がりに際立った。

「ねぇ、みんな。そろそろさすがに思い出してくれた? さすがに思い出してくれないと、僕、怒っちゃうよ?」

 青白い顔を照らしたまま、妖しげな笑みを浮かべるその子どもに応える者はなかった。皆、一様に震えて、怯えている。

 無理もないだろう。彼はここにいるはずのない──そもそもこの世にすら既に存在していないはずの『四十四人目』のクラスメイトなのだから。

 拗ねたように頬を膨らます姿は、子どもらしく、あどけなかったが、そこからすぐににこりと笑みを戻す。

「まぁ、いいよ、忘れたんなら忘れたで。どっちにしろ、僕の今日来た目的は変わらない」

「目的?」

 わけがわからない、と言いたげな声で葉松がおうむ返しする。

 すると「まだわからないの?」と驚いたような、少し嘲りを含んだ声が返る。返された言葉に葉松から不機嫌なオーラが溢れ出すのがわかった。

 けれどお構い無しに男の子は告げる。

「まぁ、僕のこと覚えてないんじゃ仕方ないよね。わかるわけがない。それじゃあ……」

 瞬間、にぃっと口元が三日月のように歪み、笑みを象った。

「なぁんにもわかんないまま、死んじゃえばいいよ」

 無邪気に放たれた言葉は残酷だった。

「……は? 何言ってんだ、お前?」

 わけがわからない、と言いたげに葉松は目を見張る。それからこきこきと腕を鳴らした。……殴るつもりだ。

 殺気が男の子に叩きつけられる。男の子は、何事でもないようにそこでニコニコ笑っているだけだ。葉松がどすどすと近づいても、全く動じる様子がない。

「うらぁっ」

 葉松が手加減など一切なく、拳を振るう。古宮が悲鳴を上げ、見ていられないと顔を伏せる。が、ほとんどの者は食い入るようにそこを見ていた。

 葉松の拳が、空を切ったから。

 信じ難い光景だった。葉松が狙いを外したわけではないのだ。葉松はむしろ男の子の顔面に叩き込むように、正確に拳を振るった。動かなかったみんなも、古宮と同じように「当たる」と思ったはずだ。しかし、来るべき殴打音はなく、すかっと空を切る音に空気が揺らいだ。

 男の子の方が、まるで最初からそこにいなかったかのように唐突に、消えたのだ。

、乱暴だなぁ」

 どこに行ったのか、と思考を巡らす暇もなく、答えは示された。葉松ががばっと後ろに振り向く。声が、後ろからしたから。

 葉松の背後にいつの間にか男の子は立っていた。変わらず、懐中電灯で顔を下から照らしながら。ニコニコと笑っている。

「い、いつの間に……」

「いい加減受け入れなよ。『僕は人間じゃない』」

 男の子は──四十四人目はそう宣言した。

「『僕は人間じゃない。だから人間の常識は通用しない』」

 それから、と一同を見渡す。

「『みんな一人ずつに復讐してあげるから、待っててね』」

 にっこりと、そんなことを告げる。

「復讐……? 何故そんなことをされねばなりませんの!?」

 佐伯が叫ぶ。四十四人目は、話にならないとでも言いたげに肩を竦めた。

「胸に手を当ててよく考えてごらんよ」

 そう告げると、四十四人目はまず、佐伯の方へ足を向けた。佐伯がじり、と思わず後ろに下がる。

「な、なんですの……?」

「考えることを放棄してないでさ」

 と、四十四人目が佐伯の手に触れる。佐伯が「ひゃっ」と悲鳴を上げた。

「つ、つめた……」

「冷たい? 当たり前だよ。僕をそうしたのは君たちだ。

 そして、君たちもこれからそうなる」

 言いながら持ち上げた佐伯の手を、胸に押し当てさせる。けれどそこで奇妙な現象が起こった。佐伯の手を押し当てさせた四十四人目の手が、佐伯の手をすり抜けて、体の中へと入っていく。

 血は出ていないが、常軌を逸した光景。佐伯はその手の感触を感じているのか、息を詰め、目を見開いている。

「みんなぁ、よく覚えておくといいよ。これが『心臓を鷲掴みにされた』表情だよ」

 四十四人目がけらけらと笑って言うのに鳥肌が立つ。暗に今四十四人目は佐伯の心臓を鷲掴みにしていると言っているのだ。

 人間じゃない。先に告げられた言葉が、更に真実味を帯びた。

 はくはくとだらしなく酸素を求めて動く佐伯の口。四十四人目はぐにぐにと手を蠢かし、歪む佐伯の表情を楽しんでいるようだ。

「や、やめなさい!」

 そこへ、声を震わせながらも吉祥寺が果敢に立ち入る。四十四人目と佐伯を引き離そうとするが、四十四人目がぽかっと懐中電灯で吉祥寺の頭を叩く。

「馬鹿だねぇ、無理矢理引き剥がしたら、お嬢様の心臓弾けちゃうよ? 比喩じゃなく」

 ぞっ、と悪寒が押し寄せ、吉祥寺すらも固まる。その様子に満足そうに、四十四人目は佐伯からゆっくり手を引き抜いていく。

 はっ、と息を一つ飲み込んで力を失ったように倒れ込む佐伯。それにようやく体の硬直が解けたように、吉祥寺が駆け寄る。

「大丈夫ですか? 瑠璃花さま!」

 抱き起こすも、佐伯からの返事はないというのは、佐伯が派手に咳き込み始めたのである。吉祥寺が背中をさすったり、意識を確認したりと甲斐甲斐しく介抱する最中、佐伯はげぼ、と不穏な音を立てて、何かを吐き出す。

 その『ナニカ』を認めた途端、吉祥寺はひっと悲鳴を上げ、迷いなく佐伯から離れた。

 吐き出されたのは薄い褐色の塊。何かと問われれば、一応塞たちも答えることができる。塞たちの知る『ソレ』よりは遥かに大きいが。

「カマキリの……卵?」

 摂津がぼんやり口にすると、逃避していた頭が『ソレ』をしっかりと認識してしまったのか、うっと口を塞ぎ、踞る女子が多く出た。

 佐伯はそんな現状も目に映っていないのだろう、ごぽごぽと『ソレ』を吐き出し続ける。吉祥寺が泣き叫び、茂木が五月蝿い、と喚く。東海林が「あり得ない」と唱えながら首を横に振って震え、いつも冷静沈着で通っている日比谷すらもその光景に顔色を悪くしていた。

 しかし佐伯の咳が収まる前に『ソレ』に変化が起きる。『ソレ』が自ら蠢き、ふと、小さい……というには些か成虫サイズと変わらないカマキリの幼虫が生まれてきたのだ。無数に、無数に。

「きゃあああっ」

 宇津美から甲高い悲鳴が上がる。男子である稲生なども逃げようとジリジリ動いていた。

 そうだ、逃げようと思ったのだろう。稲生や佐々木が閉じられた襖に手をかける。百物語は終わったのだから逃げてもかまわないのだろう、と逃げようと襖を引くが。

 戸はぴくりとも動かない。

「なっ、なんで、なんでだよっ!?」

 佐々木が珍しく声を荒らげるが、そこで八坂が静かに応じる。

「念のため、部屋の外には隔離用の結界札が貼ってある。常人じゃ外せないだろう」

「はぁっ!? お前、それじゃあお前も出られないじゃん!!」

「俺は別にかまわない」

 信じられない、と佐々木は目を見開く。

「わけわかんないことが起こってんのに、怖いとか思わねぇのかよ!?」

「……さぁ? 胸によく手を当ててみれば、わけはわかるんじゃないか?」

 四十四人目の言葉をなぞるような発言に、今度は葉松がどすどす八坂に詰め寄り、胸ぐらを掴む。

「お前っ、こうなると知っててやったな!?」

「おや」

 そこに挑戦的な笑みを浮かべて応じたのは、球磨川だった。

「気づかれちゃったか、さすがに」

「お前らもか!」

 香久山が球磨川と目配せをするのを見、葉松が握った拳を震わせる。

「なんでこんなことをする!?」

「身に覚えがあるはずなのになんでわざわざそんなこと聞くの?」

 香久山たちの方が不思議そうにする。葉松は苛立ち、はぁ? と八坂を投げ捨てて香久山の方へ向かう。

「っ……」

 畳とはいえ強かに体を打ち付けた八坂が息を詰まらせるのに、近くの古宮が心配そうに歩み寄る。

「だ、大丈夫……?」

「ああ、俺はな。ただ、そんなこと心配するより見ろよ」

 八坂は佐伯が転がっている方角を示す。釣られるように塞や美濃もそちらを見、ひぅ、と息を飲んだ。

 佐伯に群がる成虫サイズの幼虫が、佐伯の体を

「うっ……」

「あ、悪い……」

 口元を押さえ、踞った古宮を、八坂が慌てて介抱する。見せるんじゃなかったな、と。

 佐伯は意識があるようで「いやぁ……いや……っ」とか細い悲鳴を上げている。ぐちぐちと肉を噛む音が響き、誰もが目を逸らし、耳を塞いだ。

 不意に、声がする。

『おかあさん、おかあさん……』

 四十四人目の声でもない、耳障りな少し嗄れた声は、──まさか、カマキリのものだろうか。

 それを肯定するように、ぎちぎちという歯の音に紛れて『おかあさん』と呼ぶ声が聞こえる。カマキリだとするなら「おかあさん」とはまさか、卵を吐き出した佐伯のことだろうか。

 それもまた、次の言葉で肯定される。

『おかあさん……オイシイ』

「いやぁああぁぁあぁああ゛ぁっ」

 それが、佐伯の最後の言葉となった。というのは、次の瞬間には首が食まれ始めていたからだ。

 声帯を失い、涙腺は壊れたように液体を放出する。肉が次第に削げ、目玉がころりと落ちた。誰も助けようと動くこともできず、唖然と、佐伯の目玉がぐちぐちと食べられていくのを眺めていた。

 長い髪の毛は『ばっちい』と言われ、血に濡れた状態で残された。

 成虫サイズの幼虫たちは『おなかいっぱい』と満足そうに紡ぐと、佐伯のいた場所に集い、どろどろと溶け始める。溶け合い、混ざり合い、やがて一匹の大きなカマキリの幼虫となる。べりっと皮が裂け、中から目に馴染みのある青々としたカマキリが生まれた。もちろん、普通のカマキリより遥かに大きい。例えば、そのカマは人の首を刈れてしまうであろうほどに。

『おかあさん、おかげ、元気いっぱい。……駆除、する』

 不穏な一言を紡ぎ、カマキリはその腕をある人物に向かって振るった。近くにいた摂津に。

「っ、あああああああああっ」

 右腕が切り飛ばされる。すこーん、と野球のホームランでも打たれたかのような快音を立てて飛んでいく摂津の右腕。血の花びらを散らしながら、譲二の前に落ちる。

「わああっ」

 譲二は怯えて飛び退いた。手は意思があるように動き、譲二を捕らえようとしていた。

 摂津はまだ、息がある。がくがくと到底力では敵わないであろうカマキリを、涙目で見上げるだけ。すると突然、ぐん、と視点が下がった。

「ぐぎゃああああっ」

 直後、猛烈な痛みが足の場所を襲う。綺麗に二本の足が削ぎ落とされていた。ぼたぼたと落ちる。

 更に遠退いたカマキリの顔を、恐れをなして見上げる摂津。

 するとカマキリの無邪気な声が響いた。

『そんなに見上げて首痛いでしょ? 今楽にしてあげる』

「やめ──」

 スパァン。

 摂津の制止など届かぬ間にそのカマは振るわれ、摂津の頭を綺麗に胴体から切り離した。

「きゃはははははっ、愉快愉快」

 四十四人目の哄笑が、辺りの空気を振動させた。


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