いよいよ百物語も終盤だ。結界の役割を果たしているという蝋燭の炎は、もはや心許ないほどに少ない。

 蝋燭の炎と懐中電灯の灯りだけが頼りの中で、懐中電灯のうち一つが相楽に回ってきた。

「おおー、なんか緊張するねぇ」

「まあ、相楽くんの前に」

 もう一つの懐中電灯の方を見る。外も暗く、中も暗い部屋の中でぼんやり浮かび上がった顔は沼田のものだった。

 沼田、相楽、塞、で終わりである。

「うっわやべぇ緊張するわー」

 大体対面にいる沼田が手をズボンにやたら擦り当てているのが見えた。何やってんの、と横合いから小鳥遊の指摘が入る。

「いやぁ、緊張して手汗やべぇの。懐中電灯落としそう」

「緊張しすぎっ」

「だってさ、みんな結構鳥肌もんだったんだぜ? 俺こんなんでいいかなぁとか悩むぜ?」

 沼田の言うことはもっともだ。塞も口に出さないだけで相応に緊張している。相楽はウキウキワクワクの方が大きいようだが。そこはさすがというか。

「まあでもさっさと終わらせた方がいいよね、充分納涼したし」

「うんうん、楽しかった」

「まだ終わってないって」

 過去形にする知花に突っ込む小鳥遊。お遊戯会のような雰囲気が戻ってくる。

 楽しい楽しいお遊戯会。ちょっぴりどきどきの百物語。蝋燭を吹き消すたびにひんやりとする心地は、皆、なんとも言えず楽しめているようで何よりだ。

 誰もおかしいことには気づいていない。何かがおかしいことに。それとも、気づいていて、見ないふりをしているのか。

 ここは教室と何も変わらない。教室よりいじめがなくて、ルールがあって秩序があるように見えるけれど、やはり、このメンバーでは、教室と何も変わらない。

 どうでもいいのだ、自分以外のことなど。自分が面白おかしく過ごせていれば、他のことなどどうでもいいのだ。誰かがいじめを受けていても、誰かが心を痛めていても──誰かが、死んでも。

 自分には関係ない。その「誰か」は自分じゃないから、どうでもいいのだ。

 そんな思想が蔓延るクラス。もう七月三十一日の記憶など持たない、クラス。救いがたい、クラス。

 そこに身を置く自分を見つめて、塞はぎりりと拳を固める。

 沼田の話が始まった。

「メリーさんの電話って知ってる?」

「あ、ポピュラーなとこ拾ってきたねぇ」

「そうあの有名な都市伝説。

『今、どこどこにいるの』って電話が何回かかかってきて、だんだん近づいてきて最後には『あなたの後ろにいるの』ってやつ」

 詳細な説明を聞くと、何人かが、あ、知ってるー、と声を上げる。やはり、ホラージャンルの中でもポピュラーな話らしい。

 ちなみにメリーさんは死神という話もあるが捨てられた人形の話もある。また、メリーさんから逃げようと友達の家に行こうとすると、その友達が殺されてしまったり、と様々なパターンが存在する。結果、最終的には逃げきれず……という恐ろしい都市伝説として伝えられている。

 そんな説明で盛り上がった最後、沼田がぽつりと口にした。

「あれさ、最初っから後ろにいたら怖ぇよな」

 全員が声をひきつらせるのがわかった。沼田はやったね、と満足そうに呟くと蝋燭を消した。


「はい、じゃあ沼田くん、懐中電灯をこっちに」

 球磨川が指示を出す。沼田側の懐中電灯はもう必要ない。現在懐中電灯を持つ、相楽の隣に塞が座っているからこちらの懐中電灯を回すだけで済むのだ。

「おう」

「さて、じゃあその間に話そうかな」

 などと相楽が呟く。

 特徴的な鶯色の瞳がぽおっと懐中電灯の光を受けて輝く。光のせいか、普段は純日本人のように見えるのだが、目鼻立ちがくっきりして見え、見知らぬ国の人のようだ。

 にこりと一つ笑うと、彼は口を開いた。

「みんな知ってた? 吸血鬼の体質って、本当は生存本能じゃなくて、愛への欲求から来るんだってね」

 これは意外すぎる知識だ。

「まあ正確には体液? ならなんでもいいって話だけど。何なら自分の血でもいいんだって。心が愛で満たされれば、花の蜜でも生きていけるっていう、案外と平穏な生き物なんだって」

「えっ、花? なんかイメージと違う」

 みんなが通常の知識とのギャップに驚いている。ニンニクは、だの、十字架は、だのと訊くが、どれも効かないってよ、と相楽はけろっとして答える。

「でも、愛ってなんだろうね?」

 不意討ちのその問いに、場が水を打ったように静まり返る。誰も答えを持っていなかった。

 それもそうだろう。「愛とは何か」なんて問いに明確な答えを持っている人がいたなら、いじめは蔓延らない。皆無というわけではないが、ここは愛のないクラスだ。そう言い切ってしまっても差し支えないだろう。

 答えが返ってこないとみると、相楽はあはは、と軽く笑った。

「案外みんな、真剣に考えるもんだね」

「案外って何よ?」

 茂木が不服そうな声を上げる。茂木とは意味が違うだろうが、塞も同じように感じた。

 いつも穏やか、心が広すぎるくらい優しくて柔らかな物腰の相楽にしては、棘のある言い方だと感じたのだ。

 一瞬、相楽の瞳に普段はないような暗い光が生じたが、すぐにのほほんとした笑みになり、「別に」と告げた。

「いやぁ、みんなあんまり好きじゃなさそうな道徳の教科書みたいな問いかけだったのに、熱心だなぁって」

「みんながみんな、道徳が嫌いなわけじゃないでしょ」

「でも『道徳好き?』って訊かれて即答できる人っていないと思うよ。冴ちゃんは好きなの?」

 上手い返し方をされ、茂木がむっと剥れる。道徳が嫌いというのを否定はできないらしい。

 他の面々も「自分は道徳が好きだ」と断言することはなかった。

「道徳ってさ、要は『好き』と『嫌い』が決められた枠組みに収められてるものでしょ? そんなの堅苦しいよ。好き嫌いくらい自由でありたいじゃない」

 相楽はそんな持論を展開した。皆他にやることがないからか、興味があるからか、耳を傾けている。人を惹き付ける話をできるとは、相楽も大したものだ。

「型にはまったようなやつ、みんな好きじゃなさそうだから、意外って思った。自分の型は、考えて他人に見せようと思うんだ」

「言ってる意味がわかんねぇぞ」

 理解力に乏しい葉松が苛々したように訊ねる。すると相楽は肩を竦めた。

「だって、『愛の定義』について、みんなわりと一所懸命に考えるんだよ? 定義って言っても、道徳じゃ、そこは教えてくれないし、やっぱり自分なりに考えたものになるじゃない? 自分なりに考えたものを披露しようとしたんでしょ? それは自分の『型』じゃない?」

「語るねぇ」

 球磨川が感心したように合いの手を入れる。

「僕はこれくらいしかできないからね」

 それでさ、と話を戻す。

「吸血鬼はつまり、愛してる人の血を欲するわけだけれど……じゃあ、吸血鬼と恋に落ちたら、血を吸い尽くされちゃうのかなぁ?」

 女子の何人かがざわめく。やはりこういった『架空の存在』に対する意識は女子の方が高いのだろう。男子はいまいちぴんと来ていないようだったが、女子はそこそこ怖がっていた。

 オカルト好きの面々、主に香久山なんかは、「つまり吸血鬼に愛されたら殺してもらえるのかぁ」なんてネジの外れた発言をしていた。それはそれで怖い。香久山が。

「とりあえず、僕の話はここまで」

 言うと、相楽は息を蝋燭に吹きかける。同時に相楽の瞳に宿っていた、妖しげな光も消えた。


 あと、──

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