「紗智ちゃん、大丈夫?」

 震えて青ざめて……とても大丈夫ではなさそうな古宮を心配そうに見つめながら、懐中電灯を渡す美濃。古宮はこくこく頷いていたが、明らかに大丈夫じゃない。

「あら、今度は羽虫のお話ですの? つまらなさそうね。飛ばしてもよろしいのではなくて?」

 挑発的な佐伯の声が静かな中でよく通る。が、佐伯も先程の話の恐怖から立ち直りきれていないらしく、声が震えを帯びていた。

 その事実に、青ざめていたのから一転、古宮はくすりと笑った。思わずだったのかもしれないが、佐伯は鋭く聞き咎め、「羽虫が笑うなぞ耳障りですわ!」と喚く。

 すると古宮は更に笑みを深めた。いつもの怯えきった様子などもはや感じられないほど、妖しく。

「さっきのお話、『羽虫』のお話だったのに、よく『羽虫』という言葉をお使いになれますね。ああ、お嬢様ですから、怖いものなしなんですっけ。さすがですねぇ」

「なっ……」

「瑠璃花さまを侮辱するな!」

 すかさず吉祥寺が反撃に出るが、それすら今の古宮はものともしない。

「あら、これは佐伯お嬢様のお付きの羽虫さん、何か?」

「っ!?」

 自分まで愚弄されると思わなかったのだろう。しかもよりによってこのタイミングで『羽虫』と。吉祥寺は息を飲む。

 佐伯は『羽虫』という単語に思わず嫌悪感を露にする。吉祥寺が違いますっ、と必死にすがる。

 そのやりとりを滑稽と思ったのか、古宮が薄ら笑う。吉祥寺と佐伯の顔が屈辱に歪む。

「お前……っ!」

「あら、佐伯お嬢様、『お前』だなんて汚い言葉遣いをしてよろしいのですか?」

「っ、黙りなさい!」

 古宮はニコニコと自分の顔を下から照らす。

「ところが、私は黙るわけにはいかないのです。これからわたしは話さなくてはいけませんから」

 そう語る古宮の顔色は、ライトに照らされて尚、不気味に見えた。いつもとはまるで別人である。

「では、始めますね」

「ちょっと待ちなさい! 瑠璃花さまを侮辱した謝罪を」

「羽虫の言うことなどばたばた五月蝿くて聞こえませんね」

「まだ言うかっ」

 喚く吉祥寺を無視し、古宮は語り始める。

「大病院っていう割に、病室が少ない病院ありますよね」

 いつもより饒舌な古宮に目を白黒させつつも、男子の誰かが相槌を打つ。

「ああ、この辺で一番でかい……ええと、何歳以下だっけ、お断りってとこ」

「そうそう、高校生以下お断りっていうお堅い病院ね。

 小児科がないってくらいならまだわかるけど、高校生以下って厳しいよねぇ。でも、それでもあの病院の経営が成り立ってんのは、やっぱり高齢化社会? ってやつが進んでるからじゃないかなぁ?」

 ……何かおかしい。塞はそう感じた。

 古宮はこんな喋り方をする子だっただろうか。まあ、それを言ったらいつもは反目しない佐伯たちに対する態度からおかしいのだが。

 そんな状態のまま、古宮の話は続く。

「しかしなんで高校生以下お断りなんて、こうわかりやすく社会的心象悪くするようなレッテルが貼られてるのかねぇ。わたしも気になったもんだからね、こないだ伯母さんがあの病院に入院したときにお見舞いついでに聞いて回ったんだよ。ああ、見舞いなら高校生以下でも入れるから大丈夫なんだけど」

 くすりと笑う、古宮の顔なのに古宮らしくない。別な誰か……

 ……まさか、と塞の脳裏に一人の人物が浮かぶ。

 いじめられっ子で、けれどいじめ子たちに決して屈することのなかった人物。

 でも、そんなことはあり得ないと塞は首を横に振る。

 尚も古宮の話は続く。

「伯母さんが入ってた隣の部屋……最古参って人に話を聞くことができたの。

 ただ、変だったのよねぇ、その病室。伯母さんの部屋番号は『三一六』だったんだけど、最古参って人がいた部屋はプレートの数字が一つ欠けていて、『三一 』ってなってたのよ。逆隣は『三一七』だったから、空白のところには本当は五って入るんでしょうけど。

 そうしたらねぇ、その最古参って患者さんに言われて気づいたんだけど、あの病院、末尾に『五』がつく部屋がないの。

 病室に末尾が『四』がつく部屋は『四』は『し』とも読み、『死』を想起させるから縁起が悪いって、取っ払ってるのは有名な話でしょう? 実は、同じように『五』のつく部屋も取っ払ってるらしいのよ。

 それがこの怪談と関わりがあってね」

「……ふむふむ」

 怪談好きの四月一日などが興味深そうに相槌を打つ。

「昔、その病院には産婦人科や小児科もあったんだって」

 昔語りが始まった。塞もその病院については軽くなら知っている。かつて母が勤めていた病院だから。そんなに詳しいことは知らないが、その頃は産婦人科があったと聞いた。塞が生まれる前のことらしいから、昔といえば昔だが、そう前の話ではないだろう。

 塞の母が勤めているうちにとある事情で産婦人科がなくなったと聞いたが。

「ただね、法で定められてる適正年齢……女子だと十六ね。それ未満の年で子どもを産んで、母体が保たずに入院、そのまま死亡、産まれた子どもも死亡とか、流産とかが続いたらしくてさ。それで産婦人科を閉じたのが一つ」

 なかなか生々しい話が出た。塞が生まれるより前、まだ母が新人のときだった話だから、法整備などが整っていなかったこともあるのだろう。

 法で定められている、結婚適正年齢というのは、子どもを生むのに、体が出来上がっている年齢を指すのだという。女性の場合は十六歳。それ未満でも産めないことはないと聞いたこともあるが、この適正年齢というのは、精神的な適正のことも表しているとか。十六歳というと、大体高校生だ。それでも低いんじゃないか、と塞は時折考えたりする。

 まあ今、そこを追及しても仕方ないのだが。それより、その問題が『一つ』というのがどうも引っ掛かる。他にもあるのか。

「それとね」

 古宮は続けた。

「どうもそこで死んだ人たちが病院に通う子どもなんかを取り殺す、なんて噂が立って実際、入院した子どもの死亡率も高かったから、子どもを受け入れなくなったってことらしいよ。高校生以下なんて定められたのは……わかんない?」

 きらりと、古宮の瞳が不気味に蝋燭の灯りを返す。ぞくりとすると同時、誰もが古宮から目を離せなくなった。

 古宮は笑んだまま、滔々と語る。

「その早死にしたお母さんっていうのは年齢が高校生くらいなんだよ? この国の法より下なんだから。自分より年下を子どもと思うのは当然、自分と同年代が普通に生きてたら、妬ましい、恨めしい、とか思うんじゃないかな? だからでしょ」

 ぞわりと肌が粟立つのがわかった。法の適正年齢ですら、高校生くらい。それより下──例えば中学生、話にはあまり聞かないが、小学校高学年だったりするかもしれない。となると、年頃はだいぶ自分たちと近くなってくる。

 普通ならまだ純朴なうちに、死んでしまう。それがどれだけ辛いことか、塞には想像がつかない。けれど、いじめという問題があるクラスでも妬み嫉みはこうも顕著なのだ。それが死に繋がるものになったとしたら……考えるだけで恐ろしい。

 きっと、「何故私はこんなに早く死ななければならない?」「私と同じ年頃なのに、何故平然と生きている子どもがいる?」「妬ましい」「恨めしい」「引きずり込んでしまえ」「同じ目に遭わせてやる」──そんな黒い感情が渦巻いて、怪異としてカタチを成してしまったのだろう。

 恐ろしくも、悲しい話だ。

 ……と。

「それはともかく、それと五号室がないのと何の関係が?」

 沼田がきょとんとしながら話を本筋に戻す。すると新島が何か思いついたらしく、「それはあれだよ」と告げる。

「ほら、よくあるげんかつぎの類だろう。病室に『四』がないように『子ども』の『子』と『五』をかけた。単純な話さ」

 さすが秀才なだけはある。なるほどそういうことか、と辺りは納得するが、古宮はゆるゆると首を横に振った。

「ちっちっ、それはちょっと違うんだなぁ」

 その言い種はどこか古宮らしくなかった。なんというか、香久山や球磨川がしたらいい具合に胡散臭いような人差し指を立てて振るという仕種つきの言葉だ。

 自分の考えをあっさり否定されて狼狽える新島に、古宮は説明していく。

「さっき、女の人がたくさん死んだって言ったでしょ? 昔だからさ、みんな『花子』とか『桜子』とか最後に『子』ってつく人ばっかりだったんだって。その人たちが死んだのも、何の偶然か『五』ってつく部屋だったらしいし。それで『──五』号室は存在しなくなったの。子どもって意味も含まれてるかもしれないけど、そっちの意味合いの方が大きいって最古参って人から聞いたよ」

 なるほど、と納得する者もあれば、こじつけじゃないか、とこぼす者もある。

 そんな中話の前から苛立ちを募らせていた佐伯が、「それで?」と高圧的な口調で口を開く。

「さっきからずっと思っていたのですけれど、その『最古参の患者』って誰ですの? ご存命の方でして?」

 下手な答え方をしてきたなら、躊躇いなく詰ってやろう。そんな意気が見えるような佐伯の問いに、問われた当の古宮はこてんと首を傾げる。

「え? なんで最古参の名前なんか聞くの? さっきから言ってるでしょ」

 塞は、なんとなくわかった。これは言葉遊び。非現実のような実話。つまり──

彩子さいこさん、だよ? わたしが話聞いたの」

「なっ……」

 佐伯が絶句する。滅多に見られない、香久山や球磨川にどっきりを仕掛けられたときでもここまで狼狽えないであろうと思えるほどの言葉を失った表情。

「……あっれー?」

 そこで女子のいじめっ子の一人、茂木が口を開く。緊張感漂う中、間延びした口調だ。

「そういえば瑠璃花嬢の大叔母さまって、佐伯彩子って名前じゃなかったっけ?」

「お黙りなさい、冴っ」

 吉祥寺がすかさず茂木を咎める。しかし、出てしまった言葉は返らない。

 茂木の発言は少なからざる衝撃を場にもたらした。

「まあまあ玲奈、落ち着きなさいな」

「いくらあなたであろうと瑠璃花さまを侮辱するなら敵に違いありませんわ」

「問題はそこじゃないでしょうに」

 どこまでも佐伯至上主義な吉祥寺を呆れ、宥めつつ、茂木は続けた。

「随分偉くなったもんだねぇ、紗智。普段はイエスマンのくせに、瑠璃花嬢の血縁を幽霊話に出して貶めるような発言とは畏れ入るよ」

 それは、塞も引っ掛かっていた。古宮にしては強気な発言だ、と。

 しかも女子のいじめの総大将とも言える佐伯を相手取ってとなると尚更だ。報復を怖がって、いつもは黙ってしまうのに……

「あら? 別に佐伯さんの大叔母さまが亡くなったなんて、一言も言っていませんよ? ねぇ、佐伯さん」

 話しかけられると思っていなかったのであろう佐伯が驚いて目を見開き、それからこくりと頷く。

「大叔母さまは存命よ。もっともほとんど寝たきりだと窺っていて、久しく会っておりませんが」

 心持ち、空気が和らいだ気がした。

 それを感じて、古宮の隣の美濃がこっそり古宮に耳打ちする。

「……それにしても、よくお話聞けたね、紗智ちゃん」

 すると古宮は無邪気に笑って頷いた。

「わたしも、よくって、感心しちゃった」

 その一言に、塞はぞくりとする。

 年端も行かぬ母親の全てが、出産に失敗したわけではない、と母から聞いたのを塞は思い出した。全て失敗していたら、責任問題が出て、病院が立ち行かなくなるのだから、当然だ。そこそこに死者は出たが、産婦人科を閉める程度で済んだ死者の数だ、と。

 つまり、佐伯の大叔母というのは生き残りは存在していてもおかしくない。

 けれど、それならやはり、よく引きずり込まれないものだ……というのも納得がいく。

 きっとそうやって生き残った人こそが、妬み嫉みの最大の対象となるのだから。

「わたしの話はこれでおしまい」

 そう言って蝋燭を吹き消した古宮の顔は、青白く、やはり不気味だった。


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