と
「では、あたしも、お話しさせていただきます」
気を取り直して、といった感じで、吉祥寺がふう、と息を吐き、話し始める。
「ホテルに泊まりに行ったとき、やたら背の高い木がちょうど部屋の前にありましたの。何もなくてつまらないからなんとなく眺めていたら、その木の上に子どもがいました」
特になんてことない話だ。比較するようなことでもないだろうが、短いながらに恐ろしさを湛えた真川の話からすると、すんなり受け入れられた。
「夜遅くに木登りなんて危ないと思って窓を開けて注意しようとしたら、子どもは呑気に手を振ってきましたわ」
まだ子どもの悪戯と呼べる範囲だ。きっと目撃したなら、吉祥寺でなくとも呆れたことだろう。
「呆れて溜め息を一つ吐くと、そのタイミングを見計らったかのようにその子どもは、飛び降りまして。
さすがにあたしは動揺して部屋を飛び出し、四階のその部屋から大急ぎで外に出て、木の下を見に行きましたわ。
でも、そこには何もなかったのです。人の足跡も」
以上ですわ、と吉祥寺は懐中電灯を下ろす。
怖いといえば怖いが、なんだか先程のがなかなか刺激が強かったがために拍子抜けだ、と塞は考えていた。もちろん口には出さない。
けれど怖い人には怖いようで、美濃を挟んで向こうの古宮なんかは小刻みに震えていた。手前の美濃はやはりいまいちと思ったのか、首を傾げている。
そんな中、誰かがこぼした。
「結局、その男の子はなんだったんだろうね?」
「あたしが聞きたいくらいです」
吉祥寺に問いかけるなどなかなか勇気があるなぁ、と思いつつ、案の定ぴしゃりとつれない調子で返されているのに、塞は苦笑いした。どこまでいっても吉祥寺は吉祥寺。慕っている佐伯のこととなると殊更だが、普段から少々きつめの性格をしている。結構頭もよく、こういった疑問を交わし合う会話では「取りつく島もない」ような返しをする。
「吉祥寺さんは気にならなかったの? その男の子の正体」
暗がりなので誰が言っているのかわからないが、案外と食らいつく。吉祥寺相手だというのに気骨のあるものだ。
「気にならないと言えば嘘になりますが……そもそも、建物の四階ほどまである木に上って細枝に座っている時点でおかしいですわ。霊的なものの類じゃないと考える方が難しいですわね」
「細枝?」
「ええ。目分量ですが、人の腕ほどもない枝でした。よくよく考えれば、木の枝というのは根元から離れるほど細くなるもの。幽霊の類と気づいたら、焦って駆けつけた自分が馬鹿らしくて笑えましたわ」
確かに、吉祥寺の言うことはごもっともだ。とすると、塞には一つ不思議に思うことがあった。
「……玲奈さんは、その男の子を助けようと思ったんですか?」
暗がりでよく見えないが、吉祥寺がきょとんとした雰囲気が伝わってきた。「あら?」と自分で疑問符を浮かべているのが聞こえた。
「……よくわかりませんわね。なんとなく、焦ったんですの」
何故でしょうね、と今度は吉祥寺が空に問いかけた。答えるものはない。
らしくありませんわ、と吉祥寺は呟くなり、蝋燭の火を消した。
「じゃあ次は……僕か」
そう言って、懐中電灯で自分の顔を照らしたのは、設楽だった。
普段寡黙な彼は、一体どんな話を持ってきたのだろうか──なんて、どこか期待する自分がいるのに気づき、塞は笑った。思ったより自分は楽しんでいるようだ。
「ええと、いつのことだったかな……そう、夏の暑い、日曜の夕方だった」
そこはかとなくそれらしい切り出しに、おお、と感嘆する。本の朗読を聞いているような心地だ。
「遊んだ帰りにさ、干からびたとかげを見つけたんだよ。
干からびて、ちょんとつついても何の反応もないから、あ、これ確実に死んでるなって思ってなんまいだなんまいだって拝んで帰ったのさ」
ままある話だ。干からびてかどうかは知らないが、真夏に見る動物の死体というのはどこか乾いて見える。道端に落ちていて困るというのはよくあるが、まだ小学生の塞たちはどうしたらいいかわからない。確か、役場かどこかに連絡するんだったか、と塞は知識を引っ張り出すが、自信が持てないので、おそらくそのまま通りすぎるだろう。
大半がそうするはずだ。それに女子なんかは爬虫類などのげてものは苦手だろうから、見ないふりもするだろう。薄暗がりでも、何人かがとかげというワードだけで頬をひきつらせているのがわかった。
「まあ、通学路だったんだけど……」
「ええっ」
耐え兼ねたのか声を上げた女子に「三年くらいのときの話だよ」と苦笑いでフォローを入れつつ、設楽は続けた。
「次の朝さ、まあ月曜だから、やっぱりその道通ったんだよ。見るつもりはなかったんだけどさ、やっぱ通り道だから気になって。
そのままにされてたらやだなぁって思って、見てみたら、」
そこで彼は珍しく、にやりと悪戯っぽい妖しい笑みを浮かべ、一拍間を置いて、告げた。
「身体中から真っ赤な血がぶわっと溢れ出した状態で、そのとかげが死んでたんだわ。
さすがに触る気がしないグロさだったね」
ひっ、と女子の数人から悲鳴が上がる。男子でも何人かがリアルに想像してしまったのか、うげぇ、と声を上げている。塞も少し思考を巡らせてみたが、血塗れというだけでなかなかにグロッキーな気がしたので、あまり深く考えないことにした。
……ん? 血塗れ?
「ねぇ、それだとなんかおかしくない?」
またもや誰かが気づいたらしく、設楽に問いかける。
「……何かとは?」
設楽はよくわからないらしく問い返す。すると声は、塞の脳裏によぎった疑問をそのまま口にしてくれた。
「だって、最初に見たとき、とかげは
そう、それがこの話の核心。話した設楽自身は気づいていなかったようだが、そこが肝だろう。
乾いていても血は血だから恐ろしいが、乾いていた方が恐ろしさは半減するのではないだろうか。少なくとも、『血塗れ』で『グロい』と言われて乾いた血を真っ先に連想することはまずないように思う。お化け屋敷でも、幽霊役がつけている血糊はてらてらと僅かながらに輝きを放つくらいに湿って見える。それはそういう人間の連想能力に肖ってのことではないか、と考えた。
その推測を設楽が肯定する。
「言われてみれば。確かにあのとかげは血塗れで死んだばかりみたいな……あれ?」
どうやら設楽も気づいたようだ。その異常さに。
「ちょっと待てなんで時間が巻き戻ったみたいになってんだ? それに……その月曜の帰り道には、
設楽が追記の問題発言をする。
「そ、それは誰かが片付けたんじゃないの? ほ、ほら、埋葬とか?」
耐えきれず誰かがフォローしようとする。この震え声と吃り具合から察するに、星川だろうか。
けれど、その意見を設楽は即座に否定した。
「それだとおかしいんだ。通学路、コンクリートで舗装されてるし、死骸片付けても血塗れだったんだから、地面に染みくらい残ってるはずだろ? それもなかった」
「ひぇぇぇっ」
星川が隠すことなく悲鳴を上げる。だらしねぇな、と葉松がばしばし星川の背を叩くのが聞こえたが、そんな葉松の声にも、どことなく力がない。
「なかなか興味深い話だったねぇ」
そこへ割り込むように球磨川が声を上げる。
「検証したいところだけど、もう二年も前の話みたいだし、まだまだ夜は長い。次の人に話を回そう」
「おう」
頷くと設楽はふっと火を消した。
「次は私ね」
懐中電灯を持ち上げたのは七篠だった。
「なんかここまでは実体験ものだったけど、私のは人伝に聞いたやつよ」
そう前に置き、話し始めた。
「呪術が好きな従姉がいてさ。霊感とかはないんだけど、霊力はあるってことで占いとかまじないとかよく効くらしいから、今度は呪いを試してみようってなったんだって」
「おおっ」
香久山が思わずといった様子で声を上げる。同じ畑の人間の存在に喜んでいるのだろう。他は大方、「探せばいるもんだ」とか考えているにちがいない。
七篠も同じ考えに至ったのか、あははと乾いた笑いをこぼし、続けた。
「まあ、ポピュラーな藁人形のやつなんだけどさ。
丑三つ時に近くの林に協力してくれる友達と一緒に行ったんだって」
よく聞く「丑の刻参り」というやつだろうか。暗がりで見えないが、香久山や球磨川などは目を輝かせていることだろう。それも感じてか、場の空気が一、二度下がった。
七篠はそこから淡々と語る。
「藁人形のさ、心臓のあたりに刺したら、その友達、次の日に心筋梗塞で逝っちゃったらしくて。まあ実はあんまり好きじゃないからいいかなぁ、なんてさ」
黒い。塞の抱いた率直な感想がそれだ。友達と言っていたはずだが「あまり好きじゃないから」程度の理由で呪いの犠牲にしてしまうほど脆いものなのか、とそれはそれで身震いを誘った。
しかし話はまだ続く。
「今度は面白半分で藁人形の右腕に五寸釘を刺したらさ、その友達から電話が来て、『腕がもげたよぉ』って。
……怖くてそれ以来やめたそうだよ」
賢明な判断だな、と済ませたいところだが。
「おっ、これも意味怖だね」
「あ、やっぱり気づかれたか」
声を上げた誰かの言葉に七篠は苦笑する。
「そういやいみこわいみこわ言ってっけど、いみこわって何?」
葉松が問うと、七篠はあっさり答える。
「意味がわかると怖い話、よ。ちなみに隆治くんは意味わかった?」
「はっ? さっぱり」
即答だった。さすが脳筋タイプのいじめっ子である。
すると、七篠は先程の話を復唱した。
「ポピュラーな藁人形の呪いを従姉が試したらしいんだけどさ。
丑三つ時に近くの林に協力してくれる友達と一緒に行ったんだって。
藁人形のさ、心臓のあたりに刺したら、その友達、次の日に心筋梗塞で逝っちゃったらしくて。
今度は面白半分で藁人形の右腕に五寸釘を刺したらさ、その友達から電話が来て、『腕がもげたよぉ』って。
怖くてそれ以来やめたそうだよ。
……わかんない?」
「ううむ」
はっきりとした返事はしないが、わからなかったらしい。七篠はしょうがないなぁ、と呟いた。
「塞くんならわかってるかな?」
「えっ?」
急に話題を振られ、戸惑ったが、みんなから期待の眼差しを注がれているのに気づき、塞は訥々と種明かしのような説明を始めた。
「ポイントは二回目の呪い実行後の電話。『その友達から来た』って言ってるけど、おかしいよね。腕がもげたらもげただけでも怖いですけど、呪い好きが、その程度で怖じ気づくのは、おかしい気がします。
怖いのは、その電話が『既に心筋梗塞で死んだ』友達から来たからです。死んだはずの人間からの電話なんて、恐ろしいでしょう?」
誰かが息を飲む音が聞こえた。緊張に空気が張り詰める一方、七篠は「大正解ー」とけらけら笑う。
「さすが委員長。すごくわかりやすい説明だったね。
それだけ言うと、七篠は蝋燭を吹き消した。
あと、四十。
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