ほ
さて、来たる七月三十一日。
塞は早々に夏休みの宿題を終わらせ、この日に備えていた。集合時間は夜の八時。
うちは両親が夜勤のため、僕がいてもいなくても関係ない。そもそも僕の両親は僕の心配なんかしていないから。
「七月三十一日にクラスで百物語をやるんだ」
「ああ、そう」
それで会話が終わってしまう程度の関係。
僕は家の戸締まりさえしっかりしていれば、何も文句は言われない。
そうして家から出ると、二人の同級生が偶然通りかかった。
「よぉ、塞」
「今日も親御さん仕事かよ」
「まあ、ね」
塞は苦笑を返すしかない。流れで、一緒に行くか、ということになった。別に断る理由もない。
真川が思いついたようにぽんと手を突く。
「そうだ、
「あー、出るのに苦労してるかもねぇ」
真川が話題に出したのは
その二人はやはり傍観者組なのだが、二人の事情を見ると仕方ないのかな、とも思う。だからといって、いじめを見逃していい理由にはならないが。
林道も園田も家が近いから迎えに行くのはいいかもしれない。
「こっちにゃ天下の学級委員サマがついてっからな」
「ちょ、天下のって」
「医者んちの子どもが言うならなぁ?」
調子のいいやつらである。まあ、塞の両親が医者と看護師なのは事実だが。
説得しろというのか、と内心で嘆息する。
まずは林道の家だ。
インターホンを押すと、はぁい、と愛らしい声がする。
「塞です。楓さんですか?」
「あ、うん。もしかして迎えに来てくれたの? ありがとー」
思いの外、事はすんなり運ぶようだ。今出るから待ってねぇ、と弾んだ声が返ってくる。
五分くらい、その場で待つことになった。元々早めに出ていたからいいとはいえ、なかなか待たされる五分とは長いものである。女の子の準備は時間がかかるの、とは聞いたことがあるが、こういうものなのか、とぼんやり考えていた。
開いたドアから出てきたのは、白いワンピースを来た清楚な雰囲気の女の子。彼女が林道楓である。学校ではTシャツにジーパンという格好が多い彼女のこんな姿は初めて見るかもしれない。
「かっわいー」
真城が思わずといった体で呟くと林道は少し頬を赤らめ、ありがと、と返した。
「いつもの格好で行こうと思ったんだけど、夜だから人目につきやすい格好していきなさいってさ……」
「でも外出OKしてもらえてよかったですね」
それは「クラスの行事」という肩書きがついていたかららしい。これで林道はクリアだ。
次は園田の家であるが。
インターホンを鳴らそうとしたときにがさがさと庭木が蠢き、四人がぎょっとする。見ると、庭木の中からひょっこり面長なのが特徴的な園田の姿が出てきた。
「わっ、ちょっ、びっくりした〜」
「しーっ」
びっくりさせたくせに、思わず声を上げた真川の口を塞ぐ。様子から察するに、
「まさか、親御さんに黙って?」
ひそひそと塞が問うと、案の定、頷きが返ってきた。
「だって、俺んち九時には消灯就寝って厳しいんだよ……早く寝るって嘘吐いて抜けてきた。とっととずらかるぞ」
ずらかるとは穏やかではない単語だが、園田は親にバレるのが怖いのだろう。時間のこともあるし、さくさく五人は歩いた。
しばらくすると安心したのか、園田が沈黙を破る。
「いやぁ、楽しみだなぁ。そういやうちのクラスって改まって全員参加の企画ってやったことなかったな」
「言われてみれば」
呑気に言葉を交わす園田たちの会話に、塞も記憶を巡らせる。確かに、山川コンビがどっきりを仕掛けることがあっても、それはクラス全員ではなく、主に葉松や佐伯など、いじめっ子グループに限定されていたように思う。
どっきりが成功するたび、クラスのみんな……主にいじめられっ子たちは溜飲を下げていた。
まあ、葉松や佐伯など、いじめっ子筆頭格にそんなことができるのはその二人からすら異端視されて避けられる山川コンビくらいしかいないのだが。
「瑠色くんも実くんも不気味だけど、こういう企画力っていうの? はすごいよね。実行力もあるし」
「確かに」
五人の話は自動的に今夜の百物語に向かっていく。
「しかし八坂が協力するのは意外だったな。普段目立たねぇやつなのに」
「でも、裕くんは結構気遣いが利いていていい人ですよ。学級委員の仕事が大変なときは手伝ってくれますし」
塞は体験談を話しながらふと思う。八坂は人の行動をさりげなくサポートする役回りにいることが多い。今回百物語の場所を提供したのも、その一環なのだろうか。
だとしたら、別段、八坂が香久山たちに協力的なのも不思議ではないのかもしれない。
──いや、しかしやはり引っ掛かる。確か、八坂は「この日は元々部屋を貸してもらう予定だった」と言っていなかったか? もし、予定があって部屋を借りていたなら、予定を優先させるのではないか? わざわざ香久山たちからの要求を飲んで、自分の予定を後回しにする必要はないのではないか? ──考えすぎだろうか。
「おーい、塞くん」
考え込んでいたらしい。気づけば八坂の家の近くで、甚平を着た八月一日が目の前で手をひらひらと振っていた。
「あ、こんばんは、蓮くん」
「ん。今日はようこそ。早いね。さすが学級委員」
ようこそという言葉に疑問を抱いていると、八月一日が説明した。どうやら彼は今日の受付を八坂から頼まれたらしい。八坂の寺はちょっと山の入り組んだ道を登らねばならないらしく、案内役も兼ねているそうだ。確かに、家の近い八月一日には適任である。
にしても、と真城が八月一日を上から下まで見て言う。
「なんで甚平?」
「ん、まあ、寺の手伝いみたいなことよくするし、それっぽい衣装の方がいいかなって。香久山たちや裕も甚平だぞ」
それはレアな。その場にいた全員が思った。
「ちぇ、そんなことならおれも甚平着てくりゃよかったー」
「わ、私も浴衣とかの方がよかったかな」
不満たらたらの真川と戸惑う林道を見、八月一日はふと笑う。
「安心しろよ、大体のやつが普段着だし、楓のワンピ、似合ってんじゃん」
ぼふんと林道が真っ赤になる。まあ八月一日は俗に言うイケメンな顔立ちをしている。ときめいてしまっても無理はないかもしれない。
真川、真城、園田の三人がこんちくしょうイケメンめはぜろなどと呪詛を唱えているのに、塞は苦笑するしかなかった。
「もしよければ、甚平の貸出とか寺のとうさんかあさんがしてくれるらしいけど?」
「そんなことまで?」
「山川がかなり本格的らしいことに裕の両親が感銘を受け、出血大サービスだそうだ。塞くんとかどう?」
あまりにも至れり尽くせりだ。塞はあまり普段から服に頓着せず、似たようなものばかり着ていたので、たまにはいいかな、と頷いた。
さて、寺の一室には、既に企画主の香久山たちがいた。
「いらっしゃい。蝋燭は持ってきた?」
そう、参加費代わりのようなもので、参加者はそれぞれ蝋燭を一本持ってくるように頼まれていたのだった。さすがにお寺でお盆前に四十本以上の蝋燭を消費するのは躊躇われるだろう。
幸いなことに盆月の前という理由でどこの家にも蝋燭はあった。なくても友達同士でシェアすればなんとかなる。
塞たちは五人共各々蝋燭を香久山に渡す。そういえば八坂が受付らしい長テーブルにいない。そう思って見回すと、燭台をいくつも持ってやってきた。
「探せばあるもんだな、燭台って」
「なきゃ困るでしょ、お寺だもん」
見れば部屋を囲うように見たことない数の燭台が並んでいた。これは全部、八坂の寺のものらしい。
こんなに使って大丈夫なのだろうか、と思っていると、それを読み取ったように八坂が語る。
「燭台は蝋燭と違って消耗品じゃないからな。ちゃんと掃除すればいいって。あ、甚平の貸出やってるけど、着るやついる?」
「あ、はい」
その場では塞だけが手を挙げた。じゃあ来い、と八坂は球磨川に燭台を預け、塞の手を引いて奥へ向かっていく。
奥には八坂の母がいて、甚平をサイズごとに分けていた。結構な数がある。
ぱっと見であなたはこれね、と嚥脂色の甚平を渡され、さくさく着替えさせられた。
「……今夜は楽しんでいってちょうだいね。なるべく寛げるよう、私も主人も協力しますから」
「はい、ありがとうございます」
何事もなく終わることを願います、と語らい合う塞と母を見て、八坂は僅かに目を細めていた。
戻ると、だいぶ人数が集まっていた。受付席になんかはちゃっかり浴衣姿の美濃と古宮が座っており、美濃が嬉々として、古宮がおどおどと受け付けしていく。
藍色の甚平を着た香久山と黒い甚平を着た球磨川は、燭台に蝋燭を差し、セッティングをしていた。座敷の広い一室を囲うようにセットされた四十数本の蝋燭は、その部屋をどこか隔離しているようにも見えた。
「なんでこんな配置なんだよ? 蝋燭」
奇妙に思ったらしい葉松が、手近な球磨川に問うすると球磨川はいつもよりいっそう濃く見える隈の深い目をにっこりと綻ばせた。
「蝋燭はねぇ、悪いものが入って来られないようにするための結界なんだよ。よく言うでしょ? 怪談をするとそれに霊が引き寄せられてくるとか。それを防ぐんだよ」
「はぁ……」
丁寧でわかりやすい説明だったはずなのだが、葉松はいまいち理解できていないような半端な返事をした。納得はいかなそうであるが、この分野に関しては、香久山と球磨川に勝てる者はここにはいない。それくらいは弁えていたため、葉松はそこで引き下がった。
「相も変わらず胡散臭いわよ、あんたら」
そこに容赦ない一言を浴びせてきたのは、東海林だ。こういう霊的なものの類を全く信じていないらしい。よくいる「科学で証明できないものは〜」といった部類の人間だ。
胡散臭いというのは言われ慣れているのか、香久山も球磨川も肩を竦めるだけだ。東海林はそんな反応の薄さにむっとしつつ、受付の美濃に蝋燭を渡し、部屋に入る。
「あはは、ああいう人が本当に怖い実体験をしたとき急に宗教にすがるんだよね」
東海林が去ったのを見て美濃が楽しそうに語る。「そうなんですか?」と塞は受付を手伝うため、美濃の隣に座り、訊ねる。反対側の古宮も不思議そうだ。
「そういうものだよ。人って他にすがるものがないとき、最後の最後にすがるのが、偶像である神様なんだって。偶像でもいいから、自分を救って欲しいって願うの。神様なんていないって言ってもね」
塞の手がぴくりと止まった。
『神様なんていないよ』
あの子が言った言葉が蘇る。
「まあ、ここはお寺だから、お仏さまだけどね」
今日は随分と饒舌な美濃の言葉に引き戻され、塞は首を横に振った。そんな塞の変調に気づいてか、古宮が「大丈夫?」と心配そうな眼差しを向けてくる。「大丈夫です」と塞はどうにか笑顔を返した。
直後。
「な……なんて、山道ですの……」
聞き覚えのあるお嬢様口調がした。
「全くですね、瑠璃花お嬢様。あ、お飲み物を」
お付きのものの声もする。
古宮の顔がひきつるのをフォローしようと、塞が笑顔で出迎えた。
「いらせられませ、瑠璃花さん、玲奈さん」
「あら、学級委員が受付ですの? それに羽虫が二匹。だから山は嫌ですわ」
「おや、羽虫に遭ったのですか。災難でしたねぇ。おそらくそのお手に持った携帯端末の明かりが原因かと」
おそらくいじめの対象である古宮と美濃を指していたのだろうが、塞は器用に話を逸らす。すると案の定、スマホの明かりに群がる羽虫に悲鳴を上げる二人。
塞は困ったように笑い、更に指摘する。
「携帯電話を持ってきてもここは山ですから、圏外ですよ」
「しっ、知ってますわよ、それくらい」
「学級委員! 生意気にも瑠璃花さまを愚弄する気ですか? 身の程を弁えなさい」
顔が真っ赤になっているあたり、佐伯は完全に失念していたようだ。
まあ、これ以上あれこれ言っても、脇の吉祥寺が騒がしくなるだけである。蝋燭をもらうとすんなり部屋に通した。
「あ、ありがとね、塞くん」
美濃が少々顔色を悪くしながらも塞に礼を言った。後ろから古宮もぺこぺこ頭を下げている。
「なんてことないよ。ほら、次の人が来たよ」
その次の人は八月一日の後ろでずっこけ、訳もわからずごめんなさいを繰り返す三森だった。
ということは佐伯たちはビリ一歩手前だったということだが……障らぬ神に祟りなし、である。
最後のチェックを入れて、三森の蝋燭まで回収されたところで、美濃と古宮は去った。塞は長テーブルを片付けようと立ち上がる。
ころり。
一本、蝋燭が転がっていた。
回収し忘れたのだろうか、と不審にしばし眺め、塞は会場の部屋に持っていくことにした。
さあ、物語の幕開けだ。
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