図書館には、今日も人がたくさんいる。

 塞は塞で香久山や球磨川ほどディープではないがそれなりに怖い話のストックはある。ただ、誰かと被るといけないので、探りに来た。

 予想通り、オカルトで名が通る山川コンビと四月一日はおらず、それでもクラスの半分くらいがここに来ていた。けれど、思いがけない人物がいて驚く。

「尚架さん?」

「……ああ、塞くん。塞くんも調べもの? 珍しいね」

「それはこっちの台詞ですよ」

 テーブルでこの辺りの地域に関する本を広げていたのは、クラスで霊感持ちとして有名な五月七日尚架だ。霊感持ちだと怖い話、しかも実体験には事欠かなさそうなものだが。

「いや、この際だから、気になる話、調べておこうと思って」

「気になる話、ですか」

風鳴橋かざなりばしの話、知ってる?」

「ああ、たまにおばあさんたちが話してくれる、この辺りの昔話ですね」

 一応とばかりにある風鳴駅かぜなりえき。意外にも田舎にしてはよく使われる駅で、けれど、問題もある。

 それが、ちょうど北側にある風鳴橋と関わりがあるという噂だ。

 五月七日曰く、霊的なモノがあそこには溜まっているらしい。八坂の寺も風鳴橋と近いし、本当に寄ってきたときのために、と調べているのだそうだ。

「まあ、裕くんもそれなりに祓えの力はあるみたいだし、あまり今回の百物語に不安はないけど」

「意外です。なんか霊感ある人ほどやるなって騒ぐ気がしてましたけど。悠さんも落ち着いていましたし」

 五月七日は、『七月三十一日』を忘れているわけではないようだ。日付に反応していた一人だから。けれど、悠同様、落ち着いている。

 こういう話は寄ってくる、やらお化け屋敷も雰囲気がありすぎるのはだめ、やら言っていたのだが。

「裕くんちはお寺だから、やっぱりそこのところへの信頼は厚いし、それに考えたのは香久山と球磨川でしょ? あいつらならちゃんとした手順でやるし、なんなら四月一日もついてるからね。万全でしょ」

 正しい手順でやる分には問題はないらしい。それでも、塞には引っ掛かりがあるが。

「尚架さんは、『七月三十一日』が怖いとは思わないの?」

「心に疚しいことがないからね」

 すっぱりと言い切った五月七日に、塞は頷く。

 『七月三十一日』の事件に被害者と加害者がいるとするなら、五月七日は少なくとも加害者ではない。物静かだが、はっきり物を言う五月七日は、いじめに対してもずばずば突っ込む。塞だって、助けられたことがあるくらいだ。

「それにしたって委員長、よくあの日にしたわね」

 そこへ五月七日の向かいの席に座る人物が介入してきた。見ると、ポニーテールにきりりとした目をした宵澤輝がいた。

 輝と書いて「きらり」と読む、キラキラネームの代表格だが、彼女は彼女でずばずば物を言う。確か一度、名前をネタに葉松に弄られた際は「私の名前は親がくれた私のものよ。文句を言う資格は私にしかないわ」と随分ぶっ飛んだ発言をして葉松を黙らせていた。紛れもない猛者である。

 どうやら宵澤も『七月三十一日』を覚えているようだ。

 塞は鋭い眼差しを受けて、ほろ苦く笑う。

「みんなに覚えていてほしかったし、思い出してほしいから」

「さすが、優等生の鑑みたいな御言葉で」

 褒め言葉のはずだが、皮肉にしか聞こえない。そんな声音で宵澤は尚も続ける。

「残念ながら、大体のやつは忘れちゃってるみたいだけど。薄情ねぇ」

「仕方ないよ。関係ない人の方が多かったんだし」

 そう塞が言うと、宵澤が机から乗り出し、ちょん、と塞の鼻先を指す。

「あなた、本当にそう思ってる? 思ってないでしょ? 『七月三十一日アレ』はクラス全員の問題。そう思ってる。じゃなきゃ、『七月三十一日あの日』を選ばない」

 鋭く迫ってくる宵澤に、塞は思わずじりと身を引いた。

 否定はできない。けれど、今、塞には、みんなの大半が覚えていなかったことを嘆くしかできない。

 答えない塞から指を離し、はぁ、と宵澤は溜め息を吐く。

「まあ、それを断罪しようなんてあなたの性格キャラじゃないことは重々承知よ。……ただ、山川たちがなんか目論んでるみたいなのが気に食わないんだけどね」

「え、目論んでるって……?」

 不安に満ちたか細い声が闖入してくる。見ると、テーブルの傍にパーカーを羽織った一人の男子が。クラスメイトの一人稲生いのう吉輝よしてるである。

 稲生は普通に話すと気弱なのだが、葉松が現れるとその手下ぶって強気になるいじめっ子グループの一人だ。その出現に知れず、塞は身を固くする。

 宵澤は逆に挑戦的な笑みを浮かべた。

「あら? 疚しいことがなければ怖くなんかないはずよ? オチビさん」

「なっ! 誰がチビだよデカ女!」

 デカ女、とは女子の中では背の高い宵澤を指して言ったのだろうが、宵澤は一笑に伏す。

「うわぁ、ネーミングセンス皆無」

 稲生の返しにクスクスと笑い、飄々と返す宵澤はやはりやり手だと塞は改めて認識した。

「っていうかさぁ」

 そこへ新たな声が入ってくる。左手にシュシュをつけ、頬杖をついている女子が、少し離れた席から声をかけてきた。

「山川が何か企んでるのとか別にどうでもよくない? やっさんが絡んでるのがちょっと疑問だけど」

 怠そうに語ったのは、宇津美うづみ黄里きさと。彼女もまた同級生だ。

「確かに、山川コンビはたまにどっきりとかやるけど、八坂が絡むのは珍しいわよね」

 宇津美に相槌を打ったのは、近くの本棚に軽く寄りかかっていた東海林瑞季だ。うーん、と考え込むように顎に手を当てる東海林に、後ろから厚めの本が落ちてくる。

「痛っ」

「行儀が悪いぞ、瑞季ー」

「沼田っ」

 本の角が当たったらしく、相当な痛みのために涙目で東海林が睨み付けたのは沼田斗亜。男なのに「とわ」という響きが女っぽい名前を気にしているため、大抵のクラスメイトは武士の情けで苗字呼びをしている。

「本棚に寄りかかっちゃだめでしょ」

「だからって本で叩くこともないじゃない」

「えー、こほんこほん」

 わぁわぁぎゃあぎゃあし始めた二人を見兼ねてか、わざとらしい咳払いをしたのは、静かに読書を楽しんでいた設楽したら智宏ともひろだった。

「図書館は静かに」

「あ、はい……」

 設楽の一言で東海林がしゅんとなるのを見、稲生がクスクス笑っていた。東海林が鋭い眼光を飛ばすとひゅんとどこかへ逃げていった。

「……で、何の話だっけ?」

 惚けた調子の宇津美の問いに、塞は首を横に振った。別にいいよ、と。

「僕はこれで失礼します。皆さん、遅くならないように気をつけてくださいね」

 学級委員らしい一言を残して図書館を後にした。


 次はパソコン室か、とからりと開けると、涼やかな空気が流れ込んでくる。

 どうやらクーラーがかなり効いているようで、空調のない教室と比べると、天国と称しても過言ではない。ここにも何人もがたむろしていた。

「あ、塞くんも調べものかい?」

 そう声をかけてきたのは新島建。クラスの中でもがり勉と称される優等生だ。そこに並んで普段はあまり目立つことをしない須川すがわ武人たけひと門間もんまがくなどが座っていた。二人共かたかたとキーボードを叩いている。

「捗っていますか?」

 にこやかに問いかけるが、すぐに返事は来ない。須川と門間は何かに一所懸命のようだ。

 不審に思って二人に近づこうとしたところ、どてっと誰かとぶつかる。きゃっという短い悲鳴が聞こえた。

 同時にわさっと印刷用のわら半紙が中を舞う。

「あっ、ごめんなさい、弓江ゆみえさん」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 塞が咄嗟に謝るも、髪の左上をお団子にした独特な髪型の彼女は周りが見えていないように謝り倒す。彼女は三森みもり弓江。こんな感じでどじっ子なところがあり、いつも行動に余裕がなさそうだ。おどおどとした様子からいじめられそうにも見えるが、今のところ彼女は被害を受けていない模様だ。

 ふう、と息を吐き、大丈夫ですから、と手を差し出す。拾いましょう、とわら半紙を示した。

 そんな後ろで、

「ちょっと男子。何勝手にパソコンでゲームしてんのよ?」

 仏頂面が声だけでわかる声がした。近くにいた小鳥遊たかなしまいが塞と同じことを思ったらしく、須川と門間のパソコンを覗き込んでいた。

「ちょっと、ちゃんと使用目的申請して使ってんだから、余計なことしないでよね。困るのは鍵返しに行く知花ちかなんだから」

 小鳥遊の一言にその傍らにいたちっちゃい女の子がびくりと震える。

「そ、そうだよ……ちゃんと調べて……」

 小動物的な挙動不審さで小鳥遊を擁護したのは千葉ちば知花。気が強くぴりっとした性格の小鳥遊とよく一緒にいるため、守られているのか、気弱ながらもいびりの対象になったりはしていない。

「へいへい」

「まあ、知花ちゃんに言われるなら仕方ないなぁ」

「なっ、まるで私だと従わないみたいな言い種ね!」

「だって舞は怖ぇんだもん。あ、これネタにすっかな」

「このっ」

「……五月蝿い」

 喧嘩に発展しかけたそれは、たった一言、パソコンに向き合ったままの日比谷紗綾から放たれたことで静まった。本人は意識していないのかもしれないが、冷たいオーラが出ている。

「五時には下校時間がやってくるんだから、さっさと調べてしまいなさいよ。それこそ知花さんが困るでしょう?」

「ごもっともだ」

 日比谷に同意を示したのはその近くでパソコンをいじっていた摂津せづかなだった。もう立って帰り支度を始めている。

「哉くん、終わったんですか?」

「ああ、うん。もう帰るわ。めぼしい情報はメモったし。もうすぐ夏休みだから、そう何日も借りられないだろ、ここ。あんたらもさっさと調べてさくっと済ませた方がいいよ。そんなにクーラーが恋しければ、保健室にでも行ったら?」

 日比谷がクールだとしたら、摂津はドライである。自分に影響がない限り、どんな非情なことでも言ってのけるし、やってのける。

 その証拠に、わら半紙を拾い集める塞たちを無視し、彼は出ていってしまった。

「哉の言うことももっともだけどさぁ、なんか酷くない?」

 小鳥遊が摂津の出ていった入口のドアを睨みながら、三森に、手伝うよ、と声をかける。わら半紙を集め始めた小鳥遊だが、少々雑で、時折端がぐしゃっとなっている。

 塞はこっそり苦笑しつつ、わら半紙を伸ばしたりしていた。

 この部屋にいるのは、ほとんどがクラス内における「傍観者」の立ち位置の者たちだ。

 傍観者は、知花のようにいじめっ子たちに目をつけられるのを恐れるタイプ、摂津や日比谷のように自分に被害がなければ我関せずというタイプ、あとはなんとなくで流れに身を任せている呑気勢だ。

 彼らは覚えていない。『七月三十一日』のことを。でなければ恐ろしくてできるはずがないだろう。『七月三十一日』に霊を引き寄せうる怖い話なんて。

 それぞれがそれぞれの理由で止めなかった、止めようとしなかった、百物語の開始は間もない。

 明後日には終業式、その十日後にはもう、七月三十一日がやってくる。


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