は
「……七月三十一日?」
きっぱりと告げた塞の言葉にクラスメイトのほとんどがきょとんとする。全く動じていないのは、話の中心にいた山川コンビたちなどだ。それでも山川コンビの表情もいつもの不気味なものではなく、少し物悲しげな、穏やかな笑みだった。
「なんで七月三十一日?」
葉松がようやく問いを放つ。すると塞はにこりと笑んで答える。
「その頃なら、夏休みの宿題も片付いてていいかなぁ、なんてね」
気兼ねなくやれた方がいいでしょ、なんて笑うと、やなこと思い出させんな! と葉松がどつく。少々力が強く、痛かったが、まあまだ「じゃれあい」と捉えられる範囲だ。何も言うまい。
それを皮切りに、話は逸れていく。ある者は授業の準備を、ある者は完全に居眠りの姿勢を、ある者は読書を、といった感じに。
塞は席に戻る前に、とまだ香久山たちと打ち合わせを続ける八坂の方へ向かった。
「裕くん、適当に日付言っちゃいましたけど、大丈夫ですか?」
「心配いらない。お前ならその日を言うと思っていた。その日は元々部屋を借りるつもりでいたし」
「……そうなんですか?」
驚くも、塞は、頭の中でピースがかちりと合う音がした気がした。
あまりにも、この百物語という企画がスムーズに運びすぎていた。まるで、あらかじめ、計画されていたかのように。
つまり、そういうことなのだ。
「悲しいことだね。ほとんどみんな、忘れてるんだ」
すれ違いざま、球磨川がそう呟いた気がした。
確かに、ほとんどのみんなが忘れている。塞もそれは悲しかった。
けれど同時、『忘れていない』香久山たちが何をしようとしているのかわからず、ふるりと震えた。
嫌な予感というのは、大抵当たるから嫌なのだ。
その日から図書館が賑わい始める。
塞はいつもよく美濃などと話すのに人気のない図書館を重宝していたのだが、怖い話を調べるとかで五年生の児童で溢れ返っていた。美濃が警戒すべき佐伯や吉祥寺はいないが、女子のいじめっ子、
当然美濃には攻撃的だ。
挙げ句の果てにはあの脳まで筋肉な疑いのあるガキ大将葉松まで来ているのである。まあ、本を欠片も読まず、佐藤コンビと棗と星川を伴って行ってしまった。
「……みんな一所懸命なんだね」
放課後の保健室、塞は美濃の元に訪れていた。何故か図書館からついてきた相楽も一緒である。
「すごいよね! なんか一致団結? みたいな雰囲気」
「あはは」
興奮気味に語る相楽に塞は苦笑いを浮かべるしかない。物は言い様だ。
「ふふっ、そういえば相楽くんが来たのは去年の夏休み明けだったよね。一年近く経つんだ。クラスには慣れた?」
「うん、みんな面白い子ばっかりだし。そういえば、図書館の他にも、パソコン室とかも賑わってるみたいだねぇ」
「ああ、そういえば」
三階にある保健室以外でクーラーのある数少ない部屋がパソコン室だ。ここに来る途中通りかかったが、そういえば明かりがついていた。
美濃が感心したように目を輝かせる。
「みんななんだかんだで楽しみなんだね。どういう話が出てくるのかなぁ、ふふっ」
「山茶花さんは余裕そうだねぇ」
相楽も美濃に負けず劣らずな勢いだ。そんな相楽の一言に、美濃は不敵に笑う。
「だって私はレパートリーありますから」
「すごいなぁ。実くんとか瑠色くんとか維くんとか、オカルト好きの子他にもいるし、ハイレベルな感じになりそうだね」
「そういう相楽くんは?」
言われてみると相楽も余裕そうだ。曰く、
「僕には僕でとっときのがあるからね!」
とのこと。
「うふふ、それはとても楽しみ」
「うわぁ、やめてハードル上がる」
「上げたのは自分でしょうに」
なんて、和やかな空気が流れている。さすがは相楽というか。こういう空気感を作るのは得意なようだ。
これでいくらか、塞が伝えに来たことも言いやすくなる。
「あの、美濃さん」
美濃がふわりとこちらに振り向く。こくりと一つ息を飲んでから、塞は告げた。
「その、百物語の日取りなんですけど、七月三十一日になったんです」
「……そう」
直前まで和やかだった表情はやはり翳ってしまい、場に気まずい沈黙が流れる。
相楽がしきりに不思議そうにする。
「どうしたの? そういえば、委員長がその日付言ったときも、なんか変な空気になってた人が何人かいたけど……」
「……あぁ、そういえば相楽くんは知らないんだっけ。ちょうどあの後だから、入れ違いだったもんね」
「……」
あまりいい思い出ではないが、相楽になら、事情を話してもいいかな、と思うが、やはり躊躇われる。
美濃が代わりに語った。
それを聞き流しながら、塞がふと開きっぱなしの保健室の戸に目をやると、二つの陰があった。
「……れ?」
二人を置いて、廊下に行くと、二つの同じ顔が並んでいた。喋らないと全く見分けがつかない二人だが、大体右左の立ち位置がいつも決まっている。妹尾姉妹だ。向かって右が姉の雫で左が妹の悠だろう。
「雫さん、悠さん、どうしたんですか?」
すると向かって右の方が、ぐいっといきなり塞の手を引き込み、耳打ちする。
「ちょっと学級委員! 今の話、本当なの?」
予想通り雫はこちらだったらしく、勝ち気そうな声が塞の耳朶を打つ。
おそらく妹尾姉妹は今美濃が相楽に語って聞かせた内容をたまたま耳にしたのだろう。こんな反応をするのは無理もない。
けれど嘘を吐く気にもならず、塞は頷いた。
「残念ながら、本当だよ」
「だとしたらあんたらどうかしてるわっ! 特に『七月三十一日』って決めたあんた! それをあっさり承諾した八坂やら家具屋やら熊やらも」
「雫、八坂しか合ってない。香久山と球磨川」
「どうでもいいでしょ! ヤバいことしようとしてるのに変わりないんだから!」
悠の静かな突っ込みに雫は強い語調で返す。だいぶ頭に血が上っているらしい。まあ、仕方ないことなのかもしれないが。
「そんな日に百物語だなんて……! 霊感持ちの悠は行かせられないわっ」
「雫は心配しすぎ」
「なっ、たった一人の姉妹を心配しないでどうするのよ!?」
なんだか微笑ましい姉妹の会話に流れそうになっているが、雫はぎろりと塞を睨んだ。
「変なクラスとは思ってたけど、一番まともそうなあんたまで変な行動取るんじゃ終わりね」
「雫、失礼」
ぽすん、と雫の頭に悠の柔らかな手刀が入る。雫はむすっとした顔で喚く。
「んもうっ、危険になるのは悠なのに、なんでこいつらの肩持つのっ」
「……だって、理由くらい聞いたっていいじゃない。ガキ大将とかと違って理知的な人でしょ」
理知的の比較対象がまず間違っている気がするが、悠の言わんとするところが伝わったのか、雫が「で?」と塞を見る。
「あるなら聞かせてみなさいよ。その理由とやらを」
すると塞は苦く笑い、語った。
「香久山くんたちの目的は知りませんが……僕が『七月三十一日』を選んだのは──忘れてほしくなかったからです」
それを聞くと、雫は息を飲み、黙った。悠が、ほらね、とでも言いたげな目線を送る。
そう、塞は、クラスのみんなに『七月三十一日』を忘れてほしくなかった。故に、『七月三十一日』を選んだのだ。覚えていたのは、ほんの数人だったが。
きっと、香久山と球磨川は、塞がその日を選ぶと見越して話を振ったのだろう。塞とあの二人は『七月三十一日』に関わりが深い。
まあ、『七月三十一日』は実のところ、この学年全体──相楽と妹尾姉妹は除く──の問題なのだが。
「……ん、なんかあんたらしくて安心したわ」
「僕らしい、ですか?」
雫の一言に塞は疑問符を浮かべる。
「あんたはクラスの中でも変わった立ち位置だよ。脳筋ないじめっ子と狡猾ないじめっ子からいじめられっ子を守る。まあそれはあんた以外もしてるけどさ、あんたは普遍的な正義感とかじゃなくてもっと……ちゃんと、自分の信念? に基づいた正義感で行動してるよね。道徳の教科書を平読みしたんじゃなく、ええと、薄っぺらくないというか」
言っていて自分でわからなくなってしまったようだが、ともかく、雫は塞を貶しているわけではないようだ。
「ありがとう。でもね、僕以外だって、それぞれの抱え方で持っているんだよ」
いじめられっ子を守るのは、勇気のいることだから。
「とりあえず、聞いたんなら、雫さんにも悠さんにも覚えていてほしいな。『七月三十一日』のこと」
「……わかったわ。でも」
頷いた雫だが、また僅かに剣呑な光を瞳に灯す。
「百物語で悠に被害が及びそうになったら、あたしはクラスメイトより悠を選ぶからね。そこんとこ、文句は受け付けないから!」
「はい」
「……シスコン」
「なっ、なんてこと言うの悠ぁっ」
話も落ち着いたところで、塞もふと考えた。
一体、香久山、球磨川、八坂の三人は何をしようとしているのか。色々と仕組まれた感の多いこの百物語の企画。塞としても気になる点は多かった。
三人は事前に打ち合わせていたようだ。香久山と球磨川は一緒にいることが多いからともかく、八坂は何なのだろう? まあ、八坂はいじめられっ子を守る側の人間だが、その立ち位置が同じだからといって、癖の強い山川コンビに絡むとは思わないのだが。
……いや、単に「家が寺だから」という理由で二人から色々根掘り葉掘り訊かれていたのかもしれない。
霊感のあることで知られている五月七日によれば、八坂は寺の子だからか、霊的存在を操る才がありそう、とのことだし、霊的存在と聞いただけで山川コンビなら食い付きそうだ。
八坂も、誘われただけ、なのだろうか。『七月三十一日』はクラス全体の問題とはいえ、そんなに八坂は関わりが深かったわけではないと思うが……
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