第34話 正体
確かに紗和は明るくなった。物思いに耽る様子はないし、健人はそんな紗和を見て、本来の彼女はこういう人だったと思い当たるのだった。
「紗和が発見された後のこと、どの程度聞いていますか」
半開きのままの病室のドアを、健人はぴったりと閉めた。廊下から聞こえてくる人々の話し声が遠くなった。
「……病院に来る前に、間宮さんの実家と警察にも寄ってきたんだ。そこでご両親が許可された程度のことは聞いてるよ」
「じゃあ全て知ってますね。俺が把握していることと同じだ」
後藤は頷いた。
「間宮さん本人はまだ、事件の詳細について、全ては知らないんだろう?」
「警察はそう思っているでしょうね」
「……ああ。間宮さんは本当のことを話してないって言ってたな」
「紗和は全部知ってますよ。自分に起こったことも、この一年何をしていたのかも」
警察が後藤に聞かせた話はこうだ。
一年前の海水浴場で健人を刺し、彼女をナンバープレートの外れた車で連れ去った男。紗和は連れて行かれた住居で、男と暮らしていたのだと語った。その住まいはいつも薄暗く、周囲はよく見えなかった上に、紗和は度々目隠しをされていたという。要するに監禁生活である。
「目の自由を奪われていたから、どこにいたのか間宮さんは分からなかった……けど本当は」
「砂の城にいた」
そして一年の後、男は紗和を拉致した場所へと返しにきた。失神した状態の紗和を砂に埋めた後、自分は駐車場に停めた車内で自殺を謀った――――駐車場の片隅に、ナンバープレートの外れた車は停車されていた。車内には若い男が一人、目を見開いたまま息絶えていたのだった。
「男が死んでいたことは、間宮さんは知ってるのか」
「ええ」
「自分を監禁していた男で、間違いはないと?」
「そう言ってます」
「その男が“あの子”なのか」
「記憶の中で追いかけてきた男と、同一人物だそうですよ」
後藤は静かに息を呑んだ。
「男の身元は」
この質問には健人は首を振った。既に答えが分かっていた後藤も、つられたように同様の動きをした。
「結局何も分からず終いだな」
男がどこの誰なのか、何も分からなかった。警察は引き続き調べているそうだが、きっと何も手がかりは見つからないだろう。根拠のないそんな予感を、健人も後藤も確信として感じていた。
「男は本当に自殺か?」
「……紗和は寿命だったって言ってましたね」
「寿命」
「……」
「蛸……か」
言葉にすると、ジョークでも口にしたような気分になる。しかし笑う気にはならなかった。
「先生、生物は詳しいですか?」
「……専門外だからな。一般知識しかないよ。ペットショップで働いていた君のほうが、詳しいんじゃないのか」
そんなことないですよ、と健人は笑った。そして笑顔を全て引っ込めないまま呟いた。
「蛸と人間は交配できるんでしょうか」
後藤は頭を振っただけだった。
「紗和の体内に誰かの体液が残ってたって話、聞きましたか」
後藤の方を見ないまま、健人は続けた。
「よく分からないけど、きっと鑑識にかけたりしてるんでしょう。男の身元を突き止める物証ですもんね。もう結果は出たのかな。出てきた結果を見た人たちは、驚くでしょうね。人じゃなくて蛸の遺伝情報なんて出てきたら」
はは、と聞こえてきた笑い声を打ち消すように、後藤の声が少し大きく室内に響いた。
「人間と蛸では交配は無理だ」
後藤は健人を見た。心配そうな表情を向けたと思う。しかし見返してくる教え子の顔は、普段と変わらないものだった。その平常心しか見当たらない表情というのが、かえって後藤の心にさざ波を立たせるのだが。
「ねえ、先生。蛸って地球外からやってきた生物なんじゃないかって話、知ってますか。トンデモ話だと思うでしょう。けど俺はその話、まるっきり的外れな説でもないんじゃないかって、思ってるんですよ。あの生物は脳の大きさの割に知能も高い。それに目。かなり性能が良いんですよ。宇宙人が送り込んだ監視カメラだって、本気で疑う科学者がいるくらい……」
「原くん」
「やっぱり先に飯にしましょうか。腹減ってきましたね」
健人はそれ以上話を続けるつもりはないと、声に出さずに後藤に告げた。
パイプ椅子から立ち上がった彼は、「食堂にいきましょう」と言いながら、スタスタと病室のドアへと歩を進めたのだった。
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