第26話 メダカ

 退院して自宅に戻ると、ベランダのメダカが全滅していた。健人と紗和がかつて働いていた店にいた、ラメメダカの子孫たちである。鉢にかぶせていた網が乱雑に外され、濁りきった水の中に残骸は残っていなかった。猫か烏の仕業だろうか。


 紗和の行方が分からなくなってから、しばらくの間健人は落ち着かない日々を送った。警察からの着信音が鳴り、時には出向かないとならなかった。そしてその度に胡散臭い記者達に突然呼び止められ、囲まれることが続いた。


 勤め先の配慮から、完全なリモートワークに切り替えができたことはありがたかったが、カーテンを締め切った部屋の中でただ過ごす毎日は、精神的にきついものだった。


 友人や家族、そして後藤と意識的に通話するようにしていた。誰かと会話していないと、底なしの思考の沼へとどんどん飲み込まれてしまう。


――紗和はこんな感覚だったのか


 もしかしたら彼女が感じていた恐怖と、近いものを体験しているのではないか。健人はぼんやりと考える。

 原因も理由も、手がかりもきっかけも分からないまま、謎は謎のまま進展しない。



***



 それでも日常は少しずつ変化するものだ。

若い女が突然複数の人間の前から連れ去られた事件。それはセンセーショナルな出来事であり、ある程度世間の興味関心を引くものであった。


 しかし全く新展開を迎えない事象に対して、人々が飽きるのは早い。

 新たな事件事故、人々の興味を引くニュースに埋もれるようにして、紗和の失踪事件は世間から忘れられていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る